1章 第52話 二人のスタート

「はぁ……疲れた」


 鏡花きょうかは暗くなった校舎内を歩いている。本来なら完全下校時間を過ぎている時間だが、今日は特別だった。


 昨日の件で会議室に呼び出され、それぞれの親も交えて話し合いが行われたのは良い。問題は内容だった。もうお通夜状態。居た堪れない気持ちで一杯だよ。

 北川きたがわさんと言う子の両親は激怒していて、父親に殴られたのか本人泣いてるし。沢下さわしたさんて子のお母さんは泣きながら謝ってくるし、残る森口もりぐちさんのご両親は土下座である。

 カオス過ぎる空間だった。壊した眼鏡の弁償さえしてくれたら良いので、帰って良いですかと言いたかった。


 全く怒ってないわけでは無いけど、警察呼んでとかそんな大事にするほどじゃない。

 それに怒っているのは、まこと君を好きなのに理解度が低過ぎる事に対してだ。あれでは駄目だ、分かっていなさ過ぎる。

 同じ男の子を好きになっておいて、何故あれほど解像度が低いのか。


 そう鏡花の怒りのポイントは真に関する事なのだ。それはもう原作を読まずにアニメだけを見て、全て分かった様な考察するライトなオタクに物申す、原作至上主義のディープなオタクかの様な怒りを抱いていたのだ。真への理解が足りていないと。


 鏡花にとって、真の良い所を挙げろと言われて最初に顔と答えるタイプはNGである。

 それはもう、アンテナが付いていて白ければ全部ガンダムと、そう判断するのに等しい。許されざる大罪である。


 ならば鏡花ならなんと答えるか。それは、意外とエッチな所と答える。いつもは爽やかで優しい男の子だけれど、実は結構そう言う事に敏感なのだ。

 最初の頃は鏡花も気付け無かったが、最近は真の視線に気付いている。スカートが捲れそうな時や、身長差故に胸元が見えそうな時にスッと動く視線に。

 本人は隠しているつもりだが、鏡花にはしっかりバレていた。


 そんな年頃の男の子らしい反応と、必死に隠そうとする所が可愛いなと、鏡花は思っている。それに、意識されていると言うのが嬉しくもある。

 あんな人気者でも、そんな普通の男の子らしいギャップが良い。鏡花としては、そんなに見たいなら見せても構わないと思っていると言うのに。


 つい先日、真が喜びそうなポーズを考える会を1人自宅で開催し、30分ぐらい様々なポーズを取った後に羞恥と自己嫌悪で倒れた鏡花である。

 両想いになって浮かれに浮かれた鏡花が暴走した結果なのだが、案外この2人はお似合いかも知れない。


 そんな風に、もう鏡花は真との日々に頭が一杯だからこそ、沢下達の事は大して気にしていなかった。

 真といつどれだけ一緒に居ようが文句を言わない、それさえ守ってくれるなら謝罪すら要らないとそう告げて出て来た。

 先程まで一緒に居た鏡花の母親は、夕飯を用意する為に先に帰っている。鏡花も教室に残してあるカバンを回収したら帰宅するつもりだった。


 自分のクラスに到着した鏡花がドアを開けて教室に入る。本来無人の筈の教室に、まだ誰かの気配がある。

 教室の一番奥の席、その前で薄暗い中、立っていたのは良く知る男の子。


「真君? な、何でまだ居るの?」


「よっ! いやな、一旦帰って用事を済ませて来たんだ」


「用事?」


 良く分からないけど、一旦帰ったのなら何故戻って来たのだろうか。そのまま家に居れば良いと思うんだけど。


「ちょっと人に会って来てさ。相談したい事があって」


「そう、なの? それなのに何で教室に?」


「鏡花に、一番最初に聞いて欲しくてさ。待ってたんだ」


 もしかして、結構待たせてしまったのだろうか。わざわざそんな事しなくても、メッセージなり通話なり色々方法はあると思うんだけど。


「やっと、見付かったんだ、目標が。これから俺が頑張りたいもの」


「え、本当?」


「ああ! 聞いてくれるか?」


 目標が見付かったって、それじゃあ。今度こそ元通りの真君になったって事だよね。欠けた部分を埋め終わったんだ。

 あの日あんな風になるぐらい、心がボロボロだった男の子はもう居ないんだ。


 私に異論なんてないのだから、答えは当然イエスだ。そして彼の語る目標を聞く。小学校の先生、良いんじゃないかな。サッカー部の顧問がしたいなんて、真君らしくて良いと思う。そう言うと、恥ずかしそうに真君は笑う。


「結局サッカーなんだよな。ちょっと馬鹿っぽいよな。ハハハ」


「そんな事ないよ。私は真君のそう言う真っ直ぐな所、好きだから」


「鏡花……」


 真君の表情が真剣なものに変わる。幾ら恋愛初心者の私でも分かる。だって、そう言う約束だったから。

 目標を見付けたら、その時から本当の私達が始まる。私はもう、覚悟が出来ている。以前とは違い、曖昧じゃない答えが用意出来ているから。




「俺は、あの日初めて鏡花と話した日に、鏡花の事が好きになった」


「そう、だね」


「こうしていつも一緒に過ごして来て、あの時よりももっと、鏡花の事が好きになった」


 真と鏡花の過ごした日々は、そう長い期間ではないけれど、十分な密度があった。お互いの良い所を沢山見付けるのは、そんなに難しい事では無かった。

 最初は翻弄されるだけだった鏡花も、今や葉山真と言う男の子に好意を抱いている。そしてそれは、この前のデートの時にお互い確認は済んでいる。


 だからコレは答えを求める目的の会話ではない。新たな2人の関係性を構築する儀式。言葉にしてこそ意味がある、始まりの宣誓。


「俺は鏡花と、これからもずっと一緒に居たい。友達としてではなく、恋人として。」


「……うん」


「鏡花、俺と付き合ってくれないか?」


 鏡花は言葉ではなく、行動で示す。こう言う時の良い回答が分からないから。でも、気持ちを伝える方法はもう分かっているから。

 この時を待っていたからこその歓喜が鏡花を満たしていく。高ぶる気持ちそのままに、鏡花は真の首筋に抱き着く。


 その日鏡花は、教室の隅にある自分の机の前で、月の光に照らされた薄闇の中、人生で初めての恋人とのキスを経験した。

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