1章 第47話

 まこととの2回目のデートを経て、更に距離が近くなった2人の関係に、鏡花きょうかは幸せを感じていた。

 お陰でバイトも学校も、毎日楽しく過ごせている。とは言えバイトの方は、春子はるこに厳しい指導を受けているので、その点は少々大変ではある。


 真との関係も、正式には付き合っていないものの、お互いがお互いを想い合っている事は共有出来ている。

 後は真が宣言通り目標を見付けて、覚悟を決めるのを待つばかり。それも長引く様ならば、自分が動けば良いだけ。その方法は既に大人の女性から教わっている。


 後はせいぜい真の両親に挨拶するぐらいか。自分の両親は、その必要性がいずれ無くなる。問題は特にない。そんな風に、考えていた。

 いつもの様に登校し、下駄箱で靴を履き替えようとした時だ。指先に妙な感触がした。


「あれ? なんだろ?」


 自分の上履きに何か入っている。取り出してみたら、二つ折りになったノートの一部らしき紙が入っていた。

 その紙を開いてみると、恐らくは女性と思われる字でこう書かれていた。





『調子乗んなブス』






「あ~。まあ、そうだよね」


 今まで何も無かったから、つい忘れてしまっていた。今自分が誰と一緒に居て、自分はどう言う見られ方をしているのかを。

 多分クラスメイトではないと思う。もしそうなら、机の方に入れるだろう。下駄箱を選ぶ理由は、私の席がどこか知らない人になる。


 2年生になったばかりの頃の鏡花であれば、こんな手紙を入れられただけで学校に来るのが怖くなっていただろう。

 でも今の鏡花は違う。沢山の味方が居て、真との関係を認めてくれている人達が居て。

 そして何より、週に3回春子のしごきを受けている。下手な男性よりも強烈な、圧倒的威圧感のある女性に。


 この様な子供染みた嫌がらせなど、今更大したダメージにはならない。もちろん不愉快さはあれども、こんな事をされたぐらいで真を諦める程、今の鏡花の気持ちは軽いものでは無い。




 それにしても、随分と古典的な手段を使うんだね。SNSの鍵垢とかでやるんじゃないんだ。グループチャットに悪口書き込むとか、今ってそう言う時代じゃ無かったっけ?


 うーん、どうしようかな。とりあえず捨てるのは捨てるけど。どうして欲しいのかも書いてないし、調子に乗るとはどの辺りを指してるのか分からない。

 真君と一緒に居る事そのものなら、悪いけど今更辞めない。他人にとやかく言われた程度で、引き下がる程浅い関係でもない。


 じゃあ、それ以外の何かだとするなら、全然検討がつかない。それほど目立つ様な行動はしてないし、元々目立つ方ではない。


 今の所一番可能性として高いのは、真君との関係だろう。それなら納得の行く嫌がらせだ。

 高梨たかなし君と村田むらた君の可能性もあるけど、ここまでされる程の距離感じゃない。原因としてはかなり薄い。


(とりあえず様子見で良いかな。あんまり関わりたくもないし)


 以前カナちゃんにも言われたけれど、小春こはるちゃんの存在がある。それに何より、高校生にもなって行き過ぎた行動をする人は、そう居ないだろうし。

 うちの学校はそんなに治安の悪い地域じゃない。適当に流していれば、そのうち飽きるだろう。


 校則は緩くともここは進学校だ。内申書に影響する程の行動に出る可能性は低いし、自分達はそろそろ進路を決めて行く必要がある。こんな事を何時までも続ける余裕は無い筈だ。


 昔何かで読んだけれど、こう言うのは無視されるのが一番効くらしい。相手にしてませんよと、示すのは良い手かも知れない。


(それに、気持ちは分かるからね)


 今の私なら良く分かる。真君が私以外の女性と仲良くしていたら、それはもう大いに気にする。

 絶対めちゃくちゃ嫉妬する。竹原さんに対する多少の嫉妬心が、今も残っているのぐらいだもの。

 この程度の嫌がらせぐらい、甘んじて受けよう。気分は良くないけれど。でも、嫉妬してしまう心までは否定しようと思わない。


 これで真君と関係無かったら、私とんでもなく恥ずかしいヤツでは? いや、それ以外の理由なんて無いだろうし、大丈夫だと思いたい。


「おはようカナちゃん」


「鏡花ちゃんおはよ〜」


 こうして私は、特に誰にも言う事なく日常を継続した。たまに同じ様な手紙を貰っていたけど、私物を隠されるとかそう言ったエスカレートは見られ無かった。


 むしろ昼食のメンバーに麻衣まいが加わった事の方が重要なイベントだった。高梨君とは同じラクロス部同士で親交があり、私とカナちゃんとは昔馴染みだったから、いつものメンバーに馴染むまで、そう時間は掛からなかった。


 結局それ以上の被害は出る事もなく、6月になった。5月は中間テストの時期でもあったから、余計な事にかまけている時間なんて無かったのだろう。やはりその程度でしかないと言う事か。




 そう考えていた私の読みは、大きく外れていたらしい。嫌がらせがエスカレートしなかったのは、当人達が陰湿なタイプではなく、もっと直接的な手段に出るタイプだったのだ。

 その日、下駄箱に入れられていた手紙は、いつもの罵詈雑言では無かった。



『放課後、校舎裏に来い』




 これはまた面倒臭い事になった。関わり合いたくないけど、無視するのも余計な面倒を生みそうだ。

 でも誰かに相談、するのもなぁ。皆に言ってゾロゾロ引き連れて行くのは、逆にこっちがいじめてるみたいじゃない?

 小春ちゃんなんて連れて行ったら、私が脅すみたいになってしまう。真君本人を連れて行くのも論外だ。それではマウントを取りに行く様なもの。とても理性的な会話にはならないだろう。


 一対一で向き合うのが、一番平和的なのかな。気は乗らないけど、行くしかない。分かって貰えるかは、分からないけど。

 でも、引く気はないのだからいつか必ずぶつかるんだ。ここで逃げても、意味はない。

 これは真君と一緒に居る以上、避けては通れない。だって彼は凄くモテる。対して私は平凡で地味なモブ女。

 それでも隣に居る事を望んだ以上は、ちゃんと意思表示をしなければいけない。自分と同じ、真君を望む者からは逃げない。


 佐々木鏡花は小心者であっても、心が弱い訳では無い。後ろ向きで自己肯定感が低いだけで、怒る事だって当然ある。

 自分の望む未来の為なら、ちゃんと頑張れる女の子なのだから。




 何者かと対峙する決意をした私は、放課後になるまでいつも通り過ごした。今日は木曜日でバイトの無い日だ、こちらとしても都合が良かった。

 真君には用事があるからと、先に帰る様に伝えておいた。教室で待たせるのも悪いから。


 さて何処のクラスの誰さんかと思いながら、いざ校舎裏に着いてみれば、何と3人の女子生徒が居た。小春ちゃんの様なギャル系の子達だ。1人じゃなかったらしい。


「おせーよ佐々木!」


「何様のつもり?」


 いきなり話が通じそうにない空気だ。平和的解決は、ちょっと無理そう。身長は私とそれほど変わらない、茶髪の女子はいきなり呼び捨てだし、背が高い金髪の女子は最初から喧嘩腰だ。

 もう一人の黒髪の女子も、めちゃくちゃ睨んで来ている。


「時間は書いて無かったから」


「そんなのどうでも良いの。葉山君に近付くの、もう辞めろって言ってんのまだ分かんない?」


 やっぱり真君絡みなんだね。と言うかあの手紙、警告のつもりだったんだ。それならもうちょっと分かりやすく書いてよ。ただの罵倒だと思ってたよ。あれで理解出来る人、そんなに居ないでしょ。


「誰と居るかは私の自由でしょう? 真君が嫌がるなら近付かないけど、そうじゃないし」


「……なにそれ、自慢のつもり?」


「そうじゃなくて、人付き合いとして常識の話を」


「はぁ? 何なの馬鹿にしてんの?」


 う~~~面倒臭い! 春子さんと比べたら全然怖くないから、ビクビクせずに話せてる。でも、会話が成立しないのはどうしようもない。


「バカにしてるんじゃなくて。真君の意思を無視しないでって」


 そう反論した時だった。衝撃を感じたと思ったら、私は地面に尻もちをついていた。かけていた筈の眼鏡が、離れた所に転がっている。


「ムカつくんだよ! さっきから偉そうに! 自分の方が葉山君と仲が良いって、そう言いたいの!」


 黒髪の子が目の前まで来ていた。彼女が拳を握りしめているのと、頭部の痛みで理解出来た。私は今、殴られたのだと。

 

 鏡花は左側のこめかみ辺りを殴られた。女性の拳と言えど、頭部を思い切り殴れば脳は揺らされる。

 鏡花が尻もちをついたのはそのせいで、殴られた衝撃で眼鏡は飛んで行ったのだった。

 未だ衝撃で鏡花の頭は回らない。立ち上がる事も出来ない。でも、鏡花に負ける気はない。喧嘩には勝てなくとも、気持ちまでは負けていないから。


「お前なんて、相手にされるわけがない! 葉山君の周りをチョロチョロするな!」


「そうだよ、あんたみたいな芋が調子乗るな!」


「身の程を弁えろっての! ブスの癖に!」


 別に私の事はどう言われても良い。自分でも同じ様な事を思った事は何回もある。でも、これだけは言わねばならない。


「真君は、こんな事を喜ぶ人じゃない。好きなんだったら、それぐらい分かるでしょ」


 また衝撃を感じた。今度は右肩の辺りを。結構な威力があって、そのまま左側に倒れ込んでしまう。


「くぅっ」


 鏡花の右肩を蹴ったのは金髪のギャルだ。殴り合いの経験がない鏡花では、すぐに起き上がる事が出来ない。倒れた時に頭を打ったせいで、意識が朦朧としている。


「ウザいんだよ佐々木!」


 今度は茶髪のギャルが、倒れて込んだ鏡花の顔面を狙って蹴りを入れようとした。しかし、それは止められた。1人の乱入者によって。


「そこまでだ!」


 そこに居たのは、かなり際どいタイミングで鏡花の救援に間に合った、この騒動の中心人物。葉山真だった。

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