1章 第44話

 5月も中旬の日曜日、4月にちょっとだけ働いた分の給料を得た鏡花きょうかは、遂に眼鏡を新調する為に駅前に来ていた。

 金曜日のバイト帰りに直接手渡しで受け取った給料は、2万円と少し。十分な金額だったので、これを機に購入を決意した。

 帰り道でまこと君に話したら、一緒に行くと言うのでオッケーした。そして現在待ち合わせ中である。あと5分もしない内に彼も到着するだろう。


 なんだかんだで、こんな風に2人だけで出掛けるのは久し振りだった。初めてデートした日以来だろうか。

 学校やバイト帰りなど、2人きりになるタイミングは結構あるものの、ちゃんとしたデートはこれが2回目になる。


(他にオシャレな服がないから、またあの服だけど、流石にレパートリー少なすぎだよね)


 そう、またもあのワンピースなのだ。流石にこれしかないのはダメな気がする。幾らセンスの無い鏡花と言えど、これではいけないと危機感を覚える。

 あ、コイツいつも同じ服だな、とか真君に思われたくない。これは眼鏡の新調で余ったお金で、多少服も買った方が良いかも。

 幸い前回行った店は覚えているし、あの時撮ってもらった写真が残っている。まだ同じ物が売られているなら、その中から幾つか買うとしよう。

 ま、真君にも感想聞けるもんね。どれが良いか、とか。ちょっと前ならそんな事出来なかったけど、今ならそれぐらい出来る。もうそれ以上の事をやってるし。


 基本的には小心者な鏡花だが、一度大丈夫のラインが更新されると、それ以降は平気になるのだ。羞恥心が消える訳では無いが、心理的抵抗感はかなり低くなる。鏡花は最初の壁が物凄く高いだけで、その後ろは平坦で緩やかだ。

 今の鏡花にとって、人前でいちゃつくのは恥ずかしくて出来ない。しかし、それよりハードルが低い行為であればやれてしまう。


 そのせいで最近の真はかなり苦労していた。理性を保つと言う苦労を。真と2人きりになると、鏡花はやたら無防備に距離を詰めるのだ。

 理性が負けてまたキスをしたとしても、鏡花は全然嫌がらない。場合によっては押し倒したとしても、拒否はしないだろう。

 それ故の無防備さと、たまに漏れ出る女性としての色気に、真は耐え続けていた。中々の精神力である。

 一般的な男子高校生ならば、もう鏡花を襲っている。その誠実さだけは評価されても良いだろう。…………言うほど誠実か?





「すまん鏡花、待ったか?」


「大丈夫、さっき着いたばかりだから」


 デートとしては2回目でも、2人きりの時間はもう十分に過ごしている。どちらかが何かを言わずとも、自然と手を繋ぎ目的地を目指す。


「眼鏡マーケットで良いんだよな?」


「うん。前に小春こはるちゃんと行って、どれにするか決めてあるから」


「結構楽しみなんだよな、その写真だけ無かったし」


「写真?」


「ああ、いや何でもない! 気にしないでくれ」


 真が小春に賄賂を送る事で、鏡花を着せ替え人形にした時の写真を入手した事実は秘密にされている。そしてその中には、鏡花の新しい眼鏡は無かった。

 うっかり鏡花にバレてしまう所だったが、真は何とか写真の事を誤魔化した。


 普段通り雑談しながら、目的の大手眼鏡チェーンに到着した2人。どれを買うか決めている鏡花の案内で、該当のコーナーに行く。


「これだよ、小春ちゃんがこれが良いって言ってたから」


 私は淡い緑色をした、アンダーリムタイプの眼鏡をかけて見せる。どうかな? 喜んでくれるかな?


「……全部小春チョイスなのが悔しいが、めっちゃ良い。凄く可愛いと思う」


「かっ……そ、そうかな? へへ」


 す、凄く可愛いだって! ど、どうしよう、目茶苦茶嬉しいけど同じぐらい恥ずかしい。

 ま、まあね分かってるよ。あくまで真君の中では、だからね。物好きな人の特殊なフィルターが間に挟まってるからね。一般的な視点で言えば平凡って所かな。


「ホントに良いと思う。良く似合ってるよ」


「あ、ありがとう。じゃあ、これにするから」


「ああ、じゃあ店員さん呼ばないとな。……あ、すいません! ちょっと良いですか?」


 それから視力検査や細かい調整の為に移動して、店員さんとアレコレ必要な手続きを行う。


「今からですと、大体1時間ぐらいで作業が終わりますので、12時以降にお越しください」


「分かりました」


 あっさりと目的の1つである眼鏡の新調が終わったので、少し時間が出来てしまった。


「ねぇ真君、ちょっと買い物しても良い?」


「ん? 良いぞ、付き合うよ」


「ありがとう! じゃあ案内するね」


 前に来た時とは逆にのルートになったが、そう複雑な移動はしない。目的の店にはすぐに辿り着ける。


「で、何を買うんだ?」


「服を買おうと思って。小春ちゃんに教えて貰ったお店なんだけど」


 真にとっては非常に有り難い話だった。あの時入手した幾つかの写真の中には、真にドストライクなコーデがあったのだ。


「なるほどな、うん。良い判断だと思う」


「そ、そうだよね! 小春ちゃんだしね」


 鏡花の主張と真の主張はある意味では同じ意見なのだが、真の方には欲望が含まれており、微妙な温度差がある。鏡花は気付かなかったが。


「あ、ここだよ」


 前回小春に連れて来られた時は、バタバタしちゃったけど、今回は余裕を持って入店出来た。

 店の名前は『Jewel Fish』確か熱帯魚の種類だったかな。創業者の趣味なのかもしれない。

 この店は全国展開している女性向けブランドらしい。主に中学生から大学生ぐらいまでの年齢層をターゲットにした、安くてデザインの良いアイテムを扱っている。

 後で調べたんだよね。また行くかも知れないからって。その甲斐があって良かった。どう言う商品があるのか、公式通販を見て多少は理解出来た。


「結構色々あるんだな。どれにするか決めてるのか?」


「それが、まだなの。どれが良いか決められなくて」


 そう、幾らお金に余裕が出来たとは言っても候補を全て買うほどの金額ではない。せいぜい2〜3パターンが限界だ。靴も含むなら2パターンになる。


「だからその、真君の意見も聞きたくて」


「え、良いのか? 俺が選んで」


「うん、私1人じゃ決めきれないから」


 真に見せるなんて、等と考えていたあの時の鏡花はもう居ない。今や好きな男の子が喜んでくれる服を着ようとしている。

 恋をすると女の子は変わるなんて言うけれど、鏡花にも様々な変化が現れていた。


「なら、選ばせて貰おうかな」


「どう言うのが良いかな?」


 鏡花に問われた真は、自分の好みを盛大に反映させたチョイスを挙げて行く。こんな鏡花が見たいな、この格好可愛かったな、そんな真の意思が多分に含まれたコーディネートが出揃う。


「これぐらいかな。靴も買うなら2パターンなんだよな?」


「うん、それが限界かな」


「うーん。……ならこのパターンは減らして、この2つでどうだ?」


 真が示したのは、薄いグレーの生地に花柄の入ったマーメイドスカートに春夏用の蒼いフリルスリーブブラウスの組み合わせと、黒地にチェック柄のフレアミニスカートと、ピンクのストライプ柄シアーシャツの組み合わせだ。

 真は前に写真を見た時から、これらを着た鏡花に会いたいとずっと思っていたのだ。


「え、凄い! 真君センスあるんだね!」


「い、いやたまたまだよ。こう言う鏡花が見たいなって思っただけだから」


 前に見て知っているなんて、真は口が裂けても言えない。着せ替え人形にされた鏡花の写真を大事に保存しているなんて、まあまあ気持ち悪い事をしているのだから。


「それより鏡花、試着しなくて良いのか? 俺、サイズまでは分からないし」


「あっ、そうだよね。ちょっと試して来る」


 鏡花はそのまま試着室に向かう。先ずは一組目から。マーメイドスカートとブラウスに着替えた鏡花がカーテンを開ける。

 少女から大人の女性に変わりつつある鏡花に、ガッツリと大人っぽさを与える組み合わせだ。最近恋をした事で、色気を纏い始めた鏡花の、女性らしさがいい具合に強調されている。


「……最高か。めちゃくちゃ良い!」


「そ、そうかな? 変じゃない?」


「全く問題なし!」


「あ、ありがとう。じゃ、じゃあ次ね」


 続いては2組目。フレアミニスカートにシアーシャツの組み合わせだ。こちらは、先程とはまた違うタイプの組み合わせになる。

 先程は美しさにフォーカスした組み合わせで、こちらは可愛さにフォーカスしている。

 ミニスカートから覗く鏡花の生足は、肉感がやや足りない分、ほっそりとしている。見栄えとしては悪くない。


「これも良いな。可愛いよ鏡花」


「うっ、ストレート過ぎるよ。……ありがとう」


 鏡花としてもサイズに違和感が無かったので、このまま購入で問題ない。あとは靴なにのだが。


「小春ちゃんに言われてたんだよね、ショートブーツもあった方が良いって」


「それは、流石に俺には分からないな」


「何かお探しですか?」


 めちゃくちゃ良いタイミングで店員のお姉さんがやって来た。鏡花と真ではスカートに合うブーツを選ぶセンスなど持ち合わせていない。まさに渡りに船。

 もちろんお姉さんは、タイミングを見て声を掛けているのだが。


 鏡花は事情を説明し、今回購入するこのフレアミニスカートに合うショートブーツを紹介してもらう。


「でしたら、この辺りがオススメですね」


「け、結構種類あるんですね」


「俺には違いが分からん」


 色んな形状のブーツが何種類も並んでいる。シンプルな物と、厚底タイプ、靴紐のある物と無いもの。色もホワイトやブラックなど微妙に違う。


「彼氏さんとは結構身長差がありますから、この厚底タイプはどうですか? 高さが低めなので初めてでも大丈夫かと」


「あ、いや俺は彼氏と言う訳では」


「まだ、その……」


 2人の反応を見て全てを察したお姉さんは、とてもニコニコしている。青春真っ只中の男女の、甘酸っぱい関係性が実に微笑ましい。

 結局鏡花は、お姉さんオススメの、厚底初心者向けのショートレザーブーツに決めて支払いを済ませた。


 温かい目で笑い掛けてくるお姉さんの視線がちょっと気恥ずかしく思いながらも、鏡花の2度目のお買い物は終了した。


 この日の夜、『Jewel Fish』のお姉さんは、勤務中に見た初々しい高校生カップルの話をSNSに投稿し、バズり散らかすのだが、それはまた別の話。

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