1章 第32話

「どう、キョウ? 顔洗えた?」


「な、なんとかなった、かな?」


「ちょい見せてみ」


 ネガティブ思考と恋心の縺れ合いで泣いてしまった鏡花きょうかは、葉山はやま家の隣にある神田かんだ家に来ていた。

 今から皆でキャンプに行くと言うのに、泣き顔のままでは困るからだ。いちよう洗面所で顔を洗ってはみたものの、まだ微妙に泣いた跡が残ってしまった。


「ありゃ~。やっぱちょい残るか」


「ま、まあさっきよりマシだから……」


 つい先ほどまでは、思いっ切り泣いた痕跡が残っていた。それはもう引くぐらいガッツリと。そもそも泣いたのっていつ以来か、全然記憶にない。

 何よりも、そこまで感情を大きく動かす様な事があまり無かった。青春らしい青春は、あまり送っていなかったから。

 せいぜいモブ友3人で遊ぶ時ぐらいしか、感情が動く事がない。あとは良い本に出会えた時か。

 最近は、かなり感情が動く事が多くなったから忘れていたけれど。


「うん。ちょうど良いし、メイクで隠すか」


「え? どう言う事?」



「軽めのメイクである程度誤魔化せるからさ」


「わ、私が? するの?」


「キョウがしなきゃ意味ないでしょうが」


 め、メイクだって!? わ、私そんなのやった事ない! そもそも道具すら持ってないんだけど!?


「アタシがやってあげるから、安心しな」


「た、助かった。道具とか持ってないから」


「あの時買った服も着て来てるし、ちょいとマコを驚かせてやるか」


 あ、そりゃ分かるよね。選んでくれた張本人なんだから。実は今日は、あの時小春ちゃんに選んで貰ったTシャツと、人生で多分初めてのワンピースを着ている。

 着てみたら案外着心地は悪く無かった。靴は普通の白いスニーカーだけど、合わせるのはこれで良いか、以前に小春に確認済みだ。

 つまり、私はいつもとちょっと違うモブなのだ。地味オーラがかなり減少している。いつもの地味な恰好の時と結構違う。

 でも真君の反応は普通だったよ? 驚くかなぁ?



「今のキョウは、『平凡』が『良い』になってんのは分かってる?」


「うん、前に教えてもらったから」


「じゃあ今度はメイクで、『良い』から『可愛い』にステップアップってこと!」


「え、えぇ? 可愛いは流石に無理なんじゃ……」


「まあ騙されたと思って付き合いな」


 そう言うと小春ちゃんに手を引かれながら、葉山家同様に結構大きい神田家の中を移動する。2階に上がってすぐの部屋に鏡花は放り込まれた。


「ここアタシの部屋ね」


「うわー何かもう、私の部屋と全然違うよ」


 小春ちゃんに連れて来られた彼女の部屋は、何て言うか凄いオシャレだった。フレグランスって言うんだっけ?

 香水みたいな柑橘系の匂いが室内に広がっている。これが女子の部屋なんだ。カーテンとか家具とか、凄い拘って選んだのは分かる。


 薄い爽やかな青で統一された小春の部屋は、整理整頓が行届いていおり、清潔感が溢れている。

 部屋の中央に置かれた一人用の小さい机には、ファッション雑誌とメイク道具が置かれていた。壁際に置かれたウッドラックには、香水の瓶や小物類が綺麗に並んでいる。


「アタシの部屋は今は良いじゃん。時間ないからサクッとやるよ」


「お、お願いします」


「本当なら一から説明したいけど、それは今度ね」


「えぇ~~覚えるの?」


「当然でしょ、どうせ大人になったら必要になんのよ? ほら、それより急ぐよ」


 それからは、されるがままだった。パッチテストだなんだとあれこれ腕に塗られたり、ベースメイクがどうだとか。

 途中で眉を整える為にちょっと剃られたり。色々と鏡花の顔面に、工事が施されて行く。

 キャンプの出発予定は10時半だが、迫る刻限に焦りも見せず小春は作業を続ける。作業開始から20分経った頃。


「よし! 完成だよキョウ。見てみ?」


「わ、分かった」


 手渡された手鏡を、恐る恐る鏡花は覗き込む。


「…………え。こ、れ……私?」


「そだよ~。良い感じっしょ?」


 誰だコレは、思わずそう言いかけた。鏡に写る私の顔は、普段と全然違った。先ず肌が凄く綺麗だ。

 いつものノーメイクのモブ顔とは全然質感が違う。メイクの知識がないので、何をされたのかは理解出来ないけれど。


 小春によりメイクを施された鏡花は、十分な可愛さを持っていた。ファンデーションで綺麗に作られた肌色と、控えめに塗られた薄ピンクのチーク。

 オレンジ色の鮮やかなアイシャドウと、グレーのアイラインが両目に引かれている。

 ビューラーで強調された睫毛には黒いマスカラが塗られており、普段とは比べ物にならない程の魅惑的な二つの眼が出来上がった。

 形の良い唇に塗られた紅い口紅が、平凡だった鏡花に女の色気を生んでいる。泣いた跡など、殆ど分からなくなっていた。


 普段の鏡花を知る者であれば、大層驚く事になるだろう。服装のお陰で、いつもの垢抜けないモブっぽさは成りを潜めている。

 そこへ施された小春のナチュラルメイクにより、女性として十分な魅力を放つ存在に変わっていた。

 もしこの姿で学校に居れば、誰かしらは恋に堕ちるかも知れない。鏡花の持つ彼女なりの魅力が、小春のコーディネートで十分に発揮されたのだ。


 ファッションとメイクは、女性の魅力を十全に発揮する技術だ。小春からすれば、素材は悪くない鏡花を、ちょっと可愛い女の子に変えるぐらい簡単だ。

 メイクで女は化けると言うが、化けて何がいけないと言うのか。こうして平凡で地味なモブだった鏡花が、可愛い女の子になれるのだから。

 美しい女性が増える事に、何の問題があろうか。


「す、凄い! 私じゃないみたいだよ!!」


「だから言ったじゃん。素材は悪くないって」


「だ、だってこんなに変わるなんて思わなくて」


 そりゃあ多少なりとも変わるのかもと思ったけれど、これほど大きく変わるとは思わなかった。本当にびっくりだ。

 眉ってちょっと整えただけで、全然印象が変わるんだ。何かもう別人みたいだけど、ベースはあくまで自分の顔だから混乱する。

 いつもの平凡で地味なモブ顔の造詣は変わっていないのに、普段の自分には無い華やかさが有る。


「これで分かったっしょ? これなら、マコの横にいてもそんなに見劣りしない」


「あっ……だから気にしなくて良いって」


 そっか。こう言う事だったんだ。モブっぽさが消えた今の私なら、そこまで卑下する必要はない。もちろん絶世の美女になった訳じゃない。私はシンデレラじゃない。王子様に釣り合う程美しくなったんじゃないけど、真君と一緒に居ても恥にならない程度にはマシになった。


「そういう事。女は大人になる過程で化けるんだぜ~」


「確かに、別人みたいだよ」


「メイクもその内教えてあげよう」


「うっ、が、頑張る」


 これだけ変わるんなら覚えないなんて選択はない。今の私は、もう真君と一緒に居る事を望んでいる。だったら頑張らないといけない。真君がそんな事気にする人じゃないのは、もう分かって居るけど。でも、あいつ女の趣味悪く無い? なんて言われてしまわない様になりたい。私自身がそう思っているから。


「結構お金掛かるかんね。ある程度バイト代貯まってからかな」


「あ! そ、そうだよ、この分の化粧品代って」


「良いって良いって。もう使ってないヤツばっかだし」


「えぇ、でも。本当に良いの?」


 こう言うのって凄く高いんじゃないの? 勝手なイメージだけど、高価な印象がある。前にSNSで美容に掛ける金額を挙げている人を見た時は、自分には理解出来ない高額なものを大量に並べていた。

 この小さい瓶みたいなやつも、見た目は小さくて可愛いけど凄く高いのでは?


「気にすんなって~! 捨てちゃうよりは良い使い方だよ」


「……小春ちゃんがそう言うなら」


「そんな事よりマコに見せに行こうぜ~」


 そう言うと小春は、鏡花をまた先ほどの様に連れていく。小春によって『意外と可愛い』領域に足を踏み入れた鏡花が、初めて世界に放たれる。

 ただのモブから、サブヒロインに片足ぐらいは突っ込めた鏡花が、真の前でもう間もなく披露される事になる。

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