1章 第26話

 少々ハプニングはあったものの、真による鏡花の見送りは概ね順調と言っていいだろう。徒歩で10分ほどの距離を2人並んで歩いていく。

 流石に学校の中ではやらないが、まことはこうやって2人の時は積極的に鏡花きょうかと手を繋ぐ事が多い。

 鏡花の方はまだ慣れてはいないものの、こうして手を繋ぐ事を嫌ってはいない。もちろんそれは誰でも良い訳では無い。

 親しい一部の人間に限る。特に仲良くもない男子にやられようものなら、間違いなく鏡花は悲鳴を上げるだろう。


 初めて同じクラスになった頃と比べると、格段に距離が近くなった2人ではあるが、恋愛と言うにはまだ遠い位置にいる。

 仲がいい男女の域を超えてはいない。友達で終わる距離より先へと近付くには、まだ少々交流が足りていない。

 もちろん出会ってすぐ付き合って結婚まで行く場合もあるが、この2人の場合は純粋に経験が足りていない。

 深く考えずにとりあえず付き合ってみる、と言うやり方は最初から頭にない。そんな恋愛の形は理解出来ないのだから当然だ。



 地方都市であればどこでも見られる様な、ありふれた夜の街を歩く2人には、もう残された逢瀬の時間は少ない。

 ゴールである駅まではもう、それほど距離はない。先ほどのハプニング、と言うより真の暴走と自覚の足りない鏡花によって巻き起こされた珍事のせいで、2人は少々ぎこちない。その割には手は離さないのだから、難儀な2人である。


「あ、あの。」


「お、おう。どうした?」


「ご、ごめんね。私があんまり考えてなかったから、あんな事させちゃって」


「いや、その、俺もちょっとやり過ぎたから」


 鏡花は自分が、あまりにも自覚が無さ過ぎたと言う事を実感出来た。男性にああも簡単に暗がりに連れ込まれると、実際に分かった以上は無警戒では居られない。

 これは自分が軽率で甘かった事を反省する必要がある。誰でも良かった、そんな犯行動機で起こる事件は幾らでもある。

 こうして体験していなかったら、将来相当危ない橋を無警戒で渡っていたかも知れない。


 これまでのモブオーラ満載陰キャ女子で一生居るなら、大丈夫かも知れない。でも今は小春ちゃんのコーディネート、魔法のファッションがあったりもする。あのモブオーラが薄れた状態だったら。

 中身がこんなモブ女と思わなかったら。……必ずしも大丈夫とは言えないかも知れない。もしかしたら、万が一いや億が一ぐらいの可能性が、微粒子レベルで存在している、かも。



 それにもし、あれが真君じゃなくて知らない男性だったら。そう考えてみると、凄まじい不快感を覚えた。それは、絶対に嫌だ。

 所謂パーソナルスペースに入られても、不快感が無い男性は真君ぐらいだ。村田君と高梨君は、まだちょっと抵抗感が残る。不快感はないけれど。

 でもそう思うと、真君とあの距離感で居ても、最近平気なのはちょっと不思議だ。いきなりから膝枕なんてやっちゃったから、距離感がおかしくなっちゃったんだろうか。それともデートした事が原因だろうか。

 恥ずかしさはあっても、抵抗感はない。自分でも、良く分からないけど。……で、それはそれとして言わねばならぬ事がある。


「真君て、思ってたよりエッチな人だよね」


「な!?」


「耳元で囁くのはす、凄くエッチなんだよ?」


「そ、そうなのか?」


「そうだよ! 真君のASMRなんて、レーティング上がっちゃうんだからね! 年齢確認が必要になっちゃうよ!」


「えーえす? すまない鏡花、全然わからない。何の話をしているんだ?」


「と、兎に角! あんなの私以外にやっちゃダメだからね!」


 あ、あっぶない!! ついポロっと要らぬ事を! 私がASMR音声作品を買っているのがバレたら、恥ずかしくて死んでしまう。ましてやASMRで悶えている姿など、見られた日には切腹するしかなくなる。こんな日陰者モブ女がASMRで身もだえしている姿なんて、多数の死者を出してしまう。気持ち悪すぎて。…………でも、さっきの真君の、結構良か……いやいやいや。やめろ鏡花! それ以上はいけないぞ。


「す、すまん。そんなつもりは無くて」


「真君もやっぱり男の子なんだね」


「それは、仕方ないだろ」


「……エッチなのが?」


「そっちじゃない! その、気になる女子の色んな表情が見たいのは、男として普通だろって意味だ」


 月曜になってから、真君の私への態度がそれまでと変化している。小春ちゃんと話している時に、だいぶ近くなった様に感じる。

 そして好意の向け方もよりストレート、と言うより年相応な感じになった様に思う。

 どう言う心境の変化があったのかは、私には分からないけど。そしてこの年相応、等身大の感情を向けられると凄く恥ずかしい。それはもう、めちゃくちゃ照れ臭い。


「そ、そう言うものなの?」


「そりゃあそうだろ。 俺は色んな鏡花が見てみたい」


「そ、そんなの見て楽しいの?」


「ああ、俺は楽しいよ」


 いい笑顔でそんな事言われたら、何も言えなくなってしまう。恋をした事がないから分からないけど……私は、どうだろう。

 真君の色んな表情見てみたい、のかなぁ。実際、こうして話す様になってから、知らなかった真君の色んな表情を見て来た。

 河川敷で弱音を吐く時の顔、立ち直った時の笑顔。今日のお昼休みでも新しい真君の表情を見た。それに、さっきも。



 恥ずかしい勘違いで、さっきあの時キスされるんじゃないかと思ってしまった。あんな風に見つめられたのは初めてだったし、体勢的にそんな風に考えてしまった。結構ドキドキさせられたからかも知れない。実際は、全然違ったけど。

 そりゃボケっとみっともない顔してるモブ女を見て、そんな事したくなる訳がない。ちょっとイケメンに好意を向けられたからって、ちょっと近いからってキスされるなんて勘違い……エッチなのは私か。

 脳内ドピンクかも知れない。私って、もしかして欲求不満なの? どこに需要があるんだよ、性欲が爆発した陰キャ女なんて。帰ったらお経でも読もう。煩悩を消さないと。

 そんな黒歴史の脳内反省会を脳内詠唱していたら、最寄り駅の近くまで来ていた。



「あ、もうそろそろだな」


「ホントだ」


「これからバイトの日は俺が見送るから」


「……良いの? 本当に迷惑じゃない?」


 危機感を持つ、その点においてはもう十分思い知ったから、それはとても助かる。この人なら信用出来ると言う、安心感が非常に有難い。

 でも本当にいいのだろうか。こんなボランティアに過ぎない行為を、無償でやって貰うなんて。


「大丈夫だって。俺がやりたいって言ったんだから」


「う、うん。」


「そんな事より、本当に家の近くまで着いていかなくて良いのか?」


「それは大丈夫。うちの近所は人通りも多いし、結構明るいから」


 うちの家の近隣には、遅くまでやっている飲食店が結構ある。それに遅い時間までそれらの店に居るのは、大体がご近所さんだ。

 最悪何かあってもお店に逃げ込める。特にラーメン屋をやっている羽田はださんは結構な強面。ただの変態ぐらいなら、十分撃退出来る。


「それは分かったけど、本当に油断はするなよ?」


「うっ……それはさっき良く分かったから、大丈夫」


「俺は何かあってから、後で知るなんて絶対に嫌だからな?」


「ちゃんと家に着いたら連絡するから」


「ああ。……それじゃあ、また明日な」


「うん、また明日」


 僅か10分程度の短い逢瀬は、これにて幕を閉じる。だが、これが最後ではない。むしろこれから始まるのだ。

 この、2人だけの時間は。毎週3回、繰り返される特別な時間。放課後の教室とはまた違った、2人の思い出の時間。淡い感情が少しずつ繋がれていく、そんな時間が。



 予定通り何の問題もなく帰宅した鏡花は、無事である事を真へとメッセージで告げる。外野からすれば、もう付き合えばいいだろうと言いたくなる関係性だ。しかしそれは、まだもう少しの時間が必要だ。

 多少なりとも下心があるわりに、変な所は律儀な男。そして経験と自信が無い、恋心に無自覚なモブ。この2人の平凡で普通の恋物語は、まだまだこれからなのだから。

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