1章 第25話

 鏡花きょうかに夜道の一人歩きをさせる訳にはいかない。そう言った理由から自分から買って出た鏡花の見送り係だが、やはり来て正解だったようだ。懸念通り鏡花は自分なんて狙う奴なんていないと思っている。この少女は少々自己評価が低すぎるのではないだろうか。

 大人しくて目立たない一見地味に見える少女ではあるが、何も魅力が無いと言う事はない。そこまで親交の深い男子が少ないだけで、仲良くさえなれば分かるだろう。佐々木鏡花という女性の持つ魅力的な部分を。彼女の個性的な一面を。


 そもそも良からぬ事を考える不埒者にとっては、ガードの堅い華やかなタイプより緩い者を狙う方が楽だ。この場合、鏡花は非常に狙い易い相手と言えよう。

 小柄で運動も苦手、大きな声を出すタイプでもない。人気のない所で襲撃にあえば、簡単に被害にあってしまうだろう。

 だと言うのに、全く本人には自覚がないと来た。これはなるべく早く自覚して貰わないと困る。いつ如何なる時も一緒に居る事は出来ない。

 流石に学校の敷地内であれば平気だろうが、学外となるとどうなるかは分からない。わりと平和な街ではあるが、全く犯罪が起きない土地ではないのだから。



「私は別に大丈夫だよ?」


「そうはいかないだろ。何かあってからじゃ遅いし」


「どうせコイツも暇なんだ。こき使ってやればいい」


「うーん、何だか真君まことくんに悪い気がするし」


「良いんだよ。俺がやりたいんだ。ほら、帰ろう」


 あんまりここで問答していても仕方がない。普通に春子はるこさんの仕事の邪魔でもある。やや強引ではあるが、致し方ない。鏡花の手を取って連れ出す事にする。


「あ、ああちょっと!」


「行くぞ鏡花。じゃあ失礼します。」


「お、お疲れ様です!」


「おう、気を付けて帰れよ」






 鏡花がアルバイトとして出勤して来た頃と、街の様子は大きく変わっていた。明るい時間帯と比べると、真っ暗闇に染まっている場所が多い。

 経営が破綻して更地になった病院跡、大家が亡くなり買い手が現れるまでは、そのまま放置となった古びたアパート。

 学生向けの寮はそれほど入居者がおらず、明かりもまばらについている。本来ならもっとある筈の街灯が今はない。

 古くなった街灯をLEDに換えようと言う話が出たのに合わせて、どうせなら街灯そのものも新しくしようと言った意見が出たからだ。とりあえず撤去だけはして、その後どうなったのか住人は誰も知らない。


 典型的なお役所仕事によって、もう3年ほど経つが未だに新しい街灯が増えていない。今のところはそれで問題が出ていないので、案外忘れられているのかも知れない。

 しかし、それは決して安全だからと言う意味ではない。まだ問題が起きていないだけとも言える。この一帯で不審者情報が出回る事だってあるのだから。

 そんなちょっとした大人の事情で、街灯が少なくなってしまった道を真と鏡花は歩いて行く。この土地を歩き慣れた真のエスコートと、大地を照らす月明りを頼りに。



 流れで連れ出したは良いが、嫌がられていないだろうか。小春の彼氏役を何度もやらされた事でついた癖で、自然と鏡花の手を握ってしまう事がある。この前は、嫌じゃないと言ってくれはしたが、今はどうか分からない。

 不愉快な思いをさせたかも知れない。それは俺が望む所ではない。鏡花を心配したから今回こうしているわけではあるが、本人の意志を確かめたりはしていない。

 つい勢いで行動してしまったが、押しつけがましい男と思われたくはない。せめてその辺りの意志は、窺っておいた方が良いかも知れない。


「あ~その、今更だけど迷惑だった、か?」


「えっ? い、いやそれは全然良いんだけど、ね」


「……何か気になるのか?」


 迷惑でないのは良かったが、何やら考えている様に見える。


「いや、えっとね。何でここまでしてくれるんだろう? って思って」


「それは心配だったからに決まっているだろ?」


「私の事が? 気にし過ぎじゃないかなぁ」


 やはりその認識はそう簡単には変わらないか。普段からそう目立つ事がないから、いまいちピンと来ないのかも知れない。……これはどうすれば良いのだろう。

 小春こはるならわざわざ言うまでもなく、勝手に自衛する様になっていたが、あれは本人が目立つからだ。そうするしか無かった。

 対して鏡花は、あまり目立たないタイプだ。小春の様には考えないだろう。どう伝えれば良いのか。


「そんな事はないぞ。鏡花だって女性なんだぞ」


「それは、そうだけど。でもそんな魅力ないでしょ?」


「何を言ってるんだ? 鏡花には鏡花の魅力がある」


「えっ!? えぇ!?」


 ああ、これは私のどこにって顔をしているな。100%合致ではないだろうが、大体合っているだろう。

 本当に自己評価が低いのだから困ったものだ。その矯正が難しいのはともかく、せめて一般的な防犯意識ぐらいは持ってほしい。


「あんまりこう言う事を言うのは気が引けるんだが…」


「う、うん」


「……まあ、その。鏡花は十分、女性らしい体をしているんだからさ」


「えぇ? そうかなぁ?」


 何で分かってくれないんだろうかこの女の子は。これでは本当に日々の生活が不安になって来る。要らぬ所で何者かに目を付けて居ないだろうか。

 これほど無防備だと、余計な不安が込み上げて来る。どうにかして自覚ぐらいは持って欲しいのだが…………ここはちょっと、荒療治で行くしかないか。このままでは埒が明きそうにない。


 この時は、ちょっとムッとしてしまったのもあるのだろう。もう少し冷静であったならば、絶対にやらない行動に出てしまった。

 これまでに余計な心配をしてしまったのも、影響したのだと思う。どうにか分からせようと、躍起になってしまった。


「言っても分からないなら」


「へ?」


 いつもの調子でのんびり隣を歩く鏡花の細い腰に、自分の右手を回す形で小さな体を抱き寄せる。小柄で軽い体だ、簡単なものだ。そのまますぐ近くにあるマンションと、雑居ビルの隙間にある空間に強引に連れ込んだ。

 何度も通っている道だ。どこに何があるかは、大体は把握している。どこにどんな空間があるかも。

 ここは夜になると通りからは見えない。連れ込んだ鏡花の体を、壁と自分の体で挟む様にして抑え込む。


「ほら、簡単に人気のない所に連れ込めてしまう。」


「えっ……」


「別に魅力を感じようが感じまいが、鏡花は小柄だからこんなにも簡単に」


 襲われてしまうんだぞと言う言葉は紡げなかった。月明りしかない薄暗い空間に、鏡花と2人で密着している。

 その事実に気付いたら、意識が鏡花にしか行かなくなってしまう。ぽかんとした顔で俺を見上げているその表情が、やはり可愛いと思う。建造物の狭間に降り注ぐ月光に照らされた鏡花は、いつもより魅力的に見えた。

 ちょっと間の抜けたこの表情も、それはそれで可愛いと感じる。誰もが認める様な美人ではない、でも愛らしいとは思っている。

 密着していた事で、いつかの河川敷で感じた甘い香りがまた感じられた。やはりあれは鏡花の匂いだったらしい。


 まだ分かっていないのだろうか。間の抜けたその表情を、いつまで続けるんだろう。こうも無防備だと、キスぐらい簡単にしてしまえる。

 全く無防備にも程があるだろうに。……でもそんな所がまた良いと、思ってしまうのも惚れた者の弱みなんだろう。

 そんな事を考えながら鏡花を見つめる。見惚れる、と言うのはこう言う状態を言うのだろうか。今までの人生で、こんなにも異性を顔を眺めた経験などない。……ああ、本当にこの子は不思議な魅力がある。


 それに鏡花はそれほど凹凸のハッキリする体型ではないが、それでもちゃんと女性らしい柔らかさを持っている。

 抱いた腰や密着して触れ合っている衣服越しの接触であっても、その感触だけで理性がガリガリと削り落としていく。

 男の腕力があれば鏡花ぐらいは、簡単に襲えると実感させる為に取った行動。その名目が今や、真の脳内では隅に追いやられている。


 これまでにない程近い距離で見つめ合い、真の理性が溶かされていく。こうして改めて見るとありきたりなボブカットの黒髪も、鏡花の顔立ちに良く似合っている。

 派手ではないからこそ、この独特な味が出て来る。無意識の内に、真の空いていた左手が鏡花の頬に触れていた。

 掌から感じる鏡花の体温が、真へと伝わっていく。ただそれだけの事で、真の理性は吹き飛んでしまう。…………真は鏡花の少しだけ開いた、形の良い唇に吸い寄せられる様に顔を寄せて行き…………

















 (って違うだろうが!! 不審者から守る為に来た俺が、襲う側になってどうするんだ!)






 下心なんて無かった筈なのに、今や煩悩に塗れまくりの自分に喝を入れる。未だ高まる欲求を誤魔化す様に、気付けば頬に添えていた左手で、鏡花の頬をムニムニと摘まむ。


「ほ、ほら。こんな目に遭ったら困るだろ?」


「え、あ? え?」


「だから、良からぬ事を考える男なら、この程度簡単に出来るぞって事だ」


「あ、あああああの、えっと」


 なんだろうこの可愛い生き物は。ようやく状況に気付いたのか、今になって慌て出した。正直な所、あまり褒められた行為では無かったとは思う。

 でも、ちゃんと効果があったのは良かった。これでもう少し気を付ける様になってくれたら良いんだけど。




 ちょっと沸いたイタズラ心に動かされた俺は、鏡花の耳元に顔を近付けた。


「分かった?」


「うひっ!? わわわわわわ分かったから!!! もう許してぇ!!」


「これからは気を付けてくれよ」

 

 そう言ってから鏡花を解放する。本音を言えば、思いっきり抱きしめたい。だがそれは、ちゃんと交際が決まってからだ。

 つい勢いで動いてしまいはしたが、これで鏡花も多少は理解してくれただろう。

 

 なぜだろうか、脳裏に浮かぶのはゴミを見る様に冷めた目をした幼馴染の顔だった。

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