1章 第23話

 葉山真はやままことはその日、散々友人達に弄り回された。流石の真もこれには参ったとしか言えない。今まで色恋沙汰の欠片も存在しなかった男に、突然降って湧いた意中の相手。盛り上がらない訳がなかったのだ。

 幼馴染の小春こはるはもちろん、中学時代から親交のある水島友香みずしまともか高梨翔太たかなししょうたにとっては一大ニュースだ。ちょっとした騒ぎになったとしても仕方がない。もう少し静かにしろと、美しい養護教諭の叱責が飛ぶまで大いに騒いだ。


 その日の夕方、真と小春の地元である美羽市中山町にあるカトウ加工で、鏡花きょうかがアルバイトを始めた。彼女が初日の3時間と言う勤務時間を楽しんでいた頃。弄られ疲れてベッドで横になっている真の下へ、小春からの連絡が来た。


『ねぇマコちょっと良い?』


「なんだよ」


『アンタまだ昼休みの事怒ってんの? 器ちっさいわね』


「怒ってない!」


 怒っている訳ではないが、少々いじられ過ぎて疲れているだけだ。特に友香と恭二きょうじの悪ノリと来たら。今日1日中あれからネタにされたのだ。幾らなんでも酷いだろう。

 まあ俺の言い方が悪かったのは事実なのだから仕方ない部分はあるが。それで納得が行くかと言われたらノーと答える。


『あら~? そんな態度でいいのかな~?』


「な、なんだよ。何かあるのかよ?」


『そう警戒すんし。ちょい提案があるだけ』


 散々弄り回された後に、警戒するなと言われても難しい。その提案とやらが、決してろくでもない事ではないと願いたい。


「提案? なんのだよ?」


『キョウって今日からバイトしてるわけよ』


「そんなの知ってるぞ」


 今更何を言ってるんだコイツは。小春が昨日教えて来たんだろうが。…………また何か変な事考えてるんじゃないだろうな?そう都合よく玩具にされてはやらないぞ。今日は本当に散々だったんだから。


『分かんないかな~? 小柄で大人しいキョウが、夜道を1人歩きだよ? 男の人、居た方が良くない?』


「あっ!?」


『叔母さんはきっと社員にやらせると思うけど、どうする?』


 そんなの答えは決まっている。迷うまでも無く即答できる。


「俺がやる!」


『必死過ぎるでしょ』


「良いだろ別に」


『ま、こうなると思った。行けない日はちゃんと叔母さんに言いなよ』


 もし万が一鏡花に何かがあってはいけない。ちゃんと自宅に着く所まで、送ってやらねばなるまい。

 案外鏡花の様に、目立たない女性ほど狙われやすい、なんて話も聞いた記憶がある。自分なんて狙う物好きは居ない、そんな風に考えている女性こそ危険なのだと、いつかテレビでやっていたのを見た。……絶対に鏡花はそう考えるタイプだ。こうして家でのんびりしている場合ではない。


「ああ。もう今日からで良いんだな? 今から行く」


『バカ早過ぎるでしょ』


「いやしかし」


『アンタ、惚れた女が絡むとここまで壊れるのね』


「そんな事より鏡花の安全が第一だ! 待てよ、通学中の痴漢だって十分に可能性が…クソっ! どうして今まで気付かなかった!? まさか、もう目を付けられている可能性だって……おい小春、俺はどうしたら良い?」


『……彼氏面したかったら早く付き合えよ』



 それからも暫くの間、真はわりと面倒くさい男をやっていた。気になる女の子の身の安全、それは確かに心配ではあるだろう。ただし、付き合っても居ないのにこれでは、ストーカーと言われても仕方ない。

 幼馴染をストーカー男にしてしまう訳にはいかないと、三十分にも及ぶ小春の努力が実を結んだ。恋する暴走列車と化した真は、落ち着きを取り戻したのだった。




 本当にそうなのか?







『落ち着いた?』


「ああ、すまん取り乱した」


『……まあ良いわ。叔母さんに言っとく。迷惑掛けたら解任させるからね?』


「わ、分かってるよ」


 つい先ほどまでの言動を思えば少々怪しい所ではあるが、小春はいちよう納得する事にした。最後に釘だけはちゃんと刺しておくが。


『キョウは19時まで。5分前ぐらいに行けば良い。分かった?』


「ああもう大丈夫だ。」


『はぁ……頼んだからね?』


「任せろ!」




 真は鏡花の退勤10分前にカトウ加工に到着した。5分前で言いと言われたのこれである。待ちきれなかったのだ。

 普段は親しくない女性に対して、クールな表情を見せる事の多い真であったが、好意を抱いている女性にはかなり積極的になる。

 最近まで小春すら知らなかった事実だ。当然本人にそんな自覚は無い。これっぽっちも。

 整った外見をしていようとも、これはちょっと擁護出来ない一面であった。ある意味で、当初小春が伝えた『グイグイ行き過ぎるな』と言う忠告は正しかったのだ。


「春子さん、いますか?」


「ああ。ったく、10分も前に来やがって」


「鏡花は?」


「そこで作業してるよ。まあ筋は悪くないな。」


「へぇ」


「まあ、もうちょい待っとけ」



 真剣な表情で作業をしている鏡花は、夢中になっていて俺には気付いていないみたいだ。ちょうど良いから仕事中の横顔でも眺めて待つ事にする。

 思えばまだ、会話をする様になってから、1ヶ月も経っていない。ほんの2週間ぐらいだろう。この短い期間に、今まで知らなかった様々な鏡花を見る事が出来た。

 こうして働く鏡花もまた、俺には輝いて見える。目標に向かって頑張る姿は、誰のものであっても尊いのだから。


 俺もかつては、あんな風に輝いていたのだろうか。そんな事は気にした事が無かった。……俺がもしまだサッカーを続けられていたら、ちょっとはいい所を見せられたかもしれない。でもそうしていたら、この目の前で働く彼女とは、他人のままだっただろう。何とも複雑な気分だ。

 俺が一番頑張っていて、結果を出せていた時期の俺を、鏡花は知らないし見ていない。逆に俺は、鏡花が未来の為に頑張る姿を見ている。

 何とも皮肉な関係性だと思う。本当にどこまでも真逆な俺達だ。どうにかして鏡花に好かれる様な、良い所を見せられる日が来ると良いんだが。







「随分と熱心じゃないか。お前にしては珍しい」


「え? 何がですか?」


「真は異性に興味がないのかと思っていた」


「……まあ、最近まではそうでしたね」


「ま、良いんじゃねぇか? 実に健全なこった」


「正直、もうちょっと弄られるかと思いましたよ」


 真と春子の関係もそれなりに長い。小さい頃から小春が入り浸っていた様に、真も同じ様にここに来ていた。ちゃんと真面目に仕事を手伝えば、真もお小遣いを貰えたからだ。

 小学生の頃から真を知っている春子から見ると、葉山真と言う少年はあまりにも異性への関心がない様に見えた。

 それなりの容姿をしている姪と一緒に居るのだ、幼いながらも何かしらあると考えるのが普通だ。


 最初こそは、この2人が結婚まで行くのかと春子は思っていた。だが、その考えはわりと早い段階で改められた。姉弟の様な関係にしか見えなかったからだ。

 中学に入ってから、新しく出来た友人の少女を一緒に連れて来るようになったが、やはり真は異性として見ていない。いや、異性だという分別はあるが、異性としての興味はないと言う所か。


 それは去年にもまた、新しい女友達が増えていても同じだった。小春に近いタイプの美人だったが、真にはやはり変化がない。3人の美しい少女達に囲まれているのに、色恋沙汰の欠片すらない。もしかしたら不能なのではと、真剣に疑った事も有るぐらいだ。

 それが久々に顔を合わせたら、こうも熱心に見つめる相手が出来ていた。余計な心配だったらしい事は、春子にとって喜ばしい事だった。


「お前がちゃんと男だった様で安心したよ」


「……何に見えてたんですか」


「こまけぇ事気にすんなよ。それよりもな」


「なんです?」


「せっかく新しいバイトを育てるんだ、それなりの労力を使う」


「そりゃそうでしょうけど、それが?」


 それはそうだろう。ここで覚えないといけない作業は幅が広い。こういった郵便物もあれば、食品関係の外装箱の組み立て。化粧品サンプルの封入なんかもある。

 郵便物でも色々と違いがあるし、特殊なルールも有る。それらを全部覚えるのは結構掛かるし、覚えたからって出来る訳ではない。俺はここの作業は大体知っているが、得意かと言われたら微妙だ。純粋な力仕事の方がやり易い。


「育てたバイトが1年かそこらで、子供が出来て退職じゃあ困るんだ」


「なんの話ですか!?」


「女には興味ないですって顔してた奴がな、案外やらかすんだよ」


「そんな事しませんよ!?」


 本当にどんな風に見えてるんだ。そういう事は、そんな考え無しにする訳がないじゃないか。それともそんな男に見えると言うのか。


「なんでも良いが、ちゃんと避妊はしろよ」


「今日一番の酷い弄られ方しましたよ!」


 今日は本当に散々な日だ。

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