1章 第22話

 色々と、本当に色々とあった月曜日の学校は終了し、私はこれから人生で初めてのバイトに向かう。自宅とは逆方向に行くので通学用の定期は使えないけれど、交通費は支給されるので問題ない。

 こうも条件が良いと、本当にこんな私で良いのかな? と思わなくもない。……いけない、またマイナス思考が働いてしまう。まだまだ私の悪い所は改善しないらしい。まあそう簡単にどうにかなるなら、高校生になっても陰キャやってないんだけれど。

 その改善の為にこうしてバイトに向かっているんだから頭を切り替えないと。昨日会って数時間一緒に居ただけの春子はるこさんと、まだ見ぬ一緒に働く方々しか居ない場所に行く。カナちゃんも麻衣まいも居ない。小春こはるちゃんと真君まことくんも居ない。本当に大変なのはここからだ。



 昨日降りた駅で今日もまた降りる。昨日とは違い私1人だけ。幸いにも道はちゃんと覚えらえている。

 目印として覚えたコンビニや看板、風景を頼りに歩いて行く。そう、確かここを曲がったハズだ。そうすれば長年営業して来た風格を感じさせる喫茶店がある。よし、ちゃんと覚えて居る。


 鏡花きょうかは閑静な住宅街を1人歩く。地方都市の、そこそこの規模の街並みが広がっている。犬を連れた老人が散歩をしているのが見える。買い物帰りだろうか、大きな袋を籠に乗せた女性が自転車で通りを走り抜けていく。

 年季の入った住宅もあれば、明らかに綺麗な新築の家もある。結構な築年数を感じさせる雑居ビルの一階では、有名な宅配ピザのチェーン店がのぼり旗を揺らしている。

 最近出来たらしい新しい綺麗なマンションが、少し離れた位置に聳え立っている。かと思えば、病院かマンションでもあったらしい結構な広さの空き地が広がっていて、除草剤にも負けない雑草たちが風に揺れている。

 その隣には、恐らく土地の所有者が持てあましたと思しき微妙な面積の土地が、コインパーキングになっていた。

 どこにでもあるような、ありふれた景色が鏡花の視界に映り込んでいく。


 自分の意志で何かに挑戦するのは、いつ以来だろうか? 小さい頃、まだ家の周囲も良く分かっていない時期だ。ちょっとした冒険心で外に出てしまった事がある。

 外の世界を見てみたくて。多分、そんな幼い子供心が働いたのだと思う。自宅から10分と掛からない場所で迷子になり、大泣きしたのを今も覚えて居る。結局買い物帰りのお隣のおばさんに発見され、何とか帰宅出来たのだった。


 恐れずに新しい事に挑戦する。それが大して苦では無かったあの頃と、それなりに成長した今の私では心理的抵抗感が違う。

 もちろん無知故の無鉄砲さと、色々と世界を知った今を比較する事自体が、間違っているとは思う。けれども今はあの頃の、一歩を踏み出す軽やかさが切実に欲しいと思う。

 まあその割に最近は随分と思い切った行動をしてばかりいるけれど。




 そんな風に物思いに耽りながら歩いている内にバイト先っである『株式会社カトウ加工』に到着していた。春子さん以外とは初めましてだし、最初の挨拶は大事!頑張るぞ!


「し、失礼します!」


 月曜なので昨日閉まっていたシャッターは全開になっていた。庫内に砂埃などが入るのを防ぐ為の、厚めのビニールカーテンが掛けられている。

 どこから入ったら良いのか分からなかった鏡花は、とりあえず昨日と同じドアから入って挨拶をしてみた。


「お、来たね。君が新入りの子で良いのかな?」


私服の上からエプロンを掛けた40代ぐらいの女性が、鏡花のちょうど目の前に居た。肩口で斬り揃えられた黒髪と、泣きボクロが印象的な優しそうな雰囲気の女性だった。


「は、はい。佐々木鏡花ささききょうかです。」


「私は水谷洋子みずたにようこ。よろしくね。


「よしくお願いします!」


「じゃあちょっとこっち来て。皆に紹介するから。」


 そう言うと水谷は、昨日鏡花と小春が作業していた辺りに移動する。鏡花もその背中を追いかけ後に続く。

 たどり着いた先では、水谷の他に6名の女性たちが居た。彼女らも大体は水谷とそう大差ない年齢層に見える。


「この子が例の新しいバイトの子よ」


「佐々木鏡花です! よろしくお願いします。」


 何とか噛まずに言えたよ。こういう時に噛むんで恥ずかしい思いをする失敗は良くあるパターンだけど、以前よりは多少なりとも初見の他人とも話せる様になったお陰でクリア出来た。成長と言うには、あまりにも微妙な進歩なんだけれど。

 その場に居たパート従業員達と自己紹介を済ませた鏡花は、水谷に連れられてロッカールームへと連れて来られた。


「ここの空いてるロッカーを使えば良いから」


「は、はい。分かりました」


「制服が汚れたら大変だし、上着は脱いでおいた方がいいわよ」


 言われた通り、鏡花はカバンと制服のブレザーを空いていたロッカーに収納した。ハンガーも入っていた為、変に皺が行くことも無いだろう。


「あとは、そうね。今日は以前辞めた人が使ってたエプロンを使っておいてちょうだい。隣のロッカーに入ってると思うから」


「分かりました。……えと、ありました!」


「春子さんに聞いたけど、封入だけ教えて貰ったのよね?」


「そうですね。昨日小春ちゃんに、少しだけ教えて貰いました」


 教えて貰いはしたものの、出来ると言うにはまだ少しばかり頼りない。まだ昨日数時間やった程度だ。初心者も初心者である。即戦力と言うレベルには遠く及ばない。


「じゃあ今日はその続き、封緘をやって貰うわ」


「ふうかん、と言うと?」


「封筒に封をする事よ。まあ、今どきの高校生はあんまり使わない言葉かな?」


「そう、ですね聞いた事ないです」


 少なくとも鏡花は耳にした事が無かった。時代の変化と言うのは、人が思うよりも早い。10年前には当たり前だった事も、今では変わってしまっている事は多々ある。DMなんてその典型と言えるだろう。

 DMとはダイレクトメールの略称だが、今の時代におけるダイレクトメールは電子メールが主流だ。いや、むしろ電子メールすら少し古くなりつつある。

 若い世代はSNSや通信アプリでDMを受け取る事が多い。若者向けへのアプローチならば、その方向性でないと認知すらされない時代へと変わりつつある。


 そんな時代になったからこそ、今の学生達は紙媒体の広告と触れ合う機会が少ない。この様な紙ベースの作業など、知らない方が自然である。

 今は入学願書もWEB出願が主流になりつつある。若者が封筒に触れる機会など、いずれは無くなってしまうかもしれない。そんな時代を生きる鏡花だ、『封緘』という言葉は知らなかった。


「これからは使うから覚えておいてね。じゃあ向こう行ってやりましょうか」


「はい! あ、ところで春子さんは? まだ挨拶してないので」


「春子さんは社員さん達と外回りよ。暫くは帰って来ないかな」


「そうなんですね」


 昨日は春子さんしか見ていないから分からなかったけど、思ったより従業員が居るのかもしれない。全員の顔と名前を覚えらるか、自信が持てない。と言うかここ最近で、一気に覚えねばいけない人達が増えた。

 嬉しい悲鳴ではあるものの、実際覚えるのは少々苦労しそうだ。そんな事を考えてる間に、作業場に戻って来た。


「早速始めるけど、まず封緘にはやり方が2種類あるの」


「2種類?」


「そう。先ずは業務用のノリね。水で溶いて使うから、乾く前に全部貼り終わる必要があるわ。ノリがついてないタイプの封筒を使う時にやる方法よ」


「な、なんか大変そうですね」


「慣れてても夏場はどうしようもないわね。でも今日は2つ目の方だから安心して」


「だ、大丈夫かなぁ」


「2つ目は、元から封筒にノリがついているタイプよ。こっちは簡単に貼れるから早いわよ」


「あ、そう言えば昨日やった時付いてました」


 そう言えば付いていた。何かべたべたするなあと思っていたら、封入しないといけない三つ折り用紙が引っ付いて、中々に驚かされた。

 封筒のベロの内側部分に、予めノリが付いていたのだ。小春ちゃんにもそう言えば、昨日教えられた気がする。簡単に封が出来る様に作られているとか。


「それじゃあやり方を教えるわね。よく見ていて」


「はい!」


 水谷は先ず1通の封筒を取った。封筒のベロを折り目に沿って綺麗に折り封を閉じる。そしてそのままノリが付いている部分を、指で上からなぞる様に押さえて留めた。


「これだと簡単だけど、1通ずつしか出来ないわよね?」


「え? そうですけど、それで良いのでは?」


「それじゃあココでは遅すぎるのよ」


「へ? 結構早かったですよ?」


「まあ見てなさい」


 そう言うと水谷は、5通分の封筒を重ねて持った。先ほどとは違い今度は5通分が重なったまま、まとめてベロを折り曲げた。折り曲げたベロの部分を、水谷は掌を使って机に押さえつけた。

 その状態から水谷は、重なった封筒を1通ずつ引き抜いて行く。するとどうだろう、あっという間に5通全て封がされている。


「え? ど、どうして??」


「別にそう難しい事じゃないわよ? ノリが付いているのは全部ベロの同じ所でしょ? だから重ねて押さえたままにすれば、引く抜く時にノリが勝手に付くと言うだけ」


「あ、あ~なるほど!」


「ただ、これでは完全にくっついてはいないわ。だからこうやってまた5通重ねて持って、ノリの部分を強めに握るか押すかして、完全に封をしてしまう」


 水谷は封筒の閉じ口、ベロの部分を机に載せて上から掌で押していった。するとそこには、今度こそ完全に封がされた5通があった。


「1通ずつじゃ遅いのはこれで分かったでしょ?」


「分かりました!」


「最初は3通ぐらいで慣れていきましょう」


「はい!」


 鏡花の初めてのバイトがこうして始まった。あまり世間で広くは知られていない業種である為、普通のバイト以上に鏡花が知らない事が沢山あった。

 そういった事柄を知って行く楽しみを、鏡花は感じ始めていた。決して華がある作業ではない。それでも鏡花は、この初めての作業が楽しくて仕方がなかった。

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