1章 第2話

 私、佐々木鏡花ささききょうかは地味なモブ生徒Bである。Aですらない日陰者だ。日陰者オブザイヤーを欲しいままに生きる教室の壁のシミ系女子である。

 ……自分で言ってて悲しくなる。でも本当にその通りなのだから。化粧気もないし小心者だし、陽キャに話しかけられるとアワアワしちゃうし。

 同じくモブともな僅かな友人たちと、ひっそりと過ごす日々を送るだけのハズだった。あの日までは。


 その日も完全下校時間になったので帰宅する事にした私は、いつも通り帰り道を歩いていた。太陽もそろそろ落ちて来ており暗くなり始めていた。

 いつも通る河川敷の側道を1人歩きながら、そんな夕日が沈んでいく様子を何となく見ていた時だ。

 ふと視界に何かが入った気がした。なんとなく違和感を感じた私は、すぐ近くにある橋の下を見た。

 驚いた事に誰かが倒れている。もしかしたら病気か何かかも知れない。慌てて駆け出した私は倒れている人の近くまで来たけれど、こう言う時どうすれば良いのか思い出せず混乱した。


(え、えっと、AEDとか、要るんだっけ? この辺だと何処に置いてるんだろ? あれ? どうしよ?)


 半ばパニックになりつつも目的の人物の側に辿り着く。こういう時どうしたら良いのか、習った事が全然思い出せない。

 保健体育の授業で、何て教わっただろう。こう言う時はどうすれば良いのか、確かに聞いていた筈なのに。


「あ、その! えっと……だ、大丈夫ですか?」


 何とか絞り出せた掛け声は、如何にも目立たないモブ女子B感に溢れていた。こんな時にすら消えないモブっぷりに涙が出そうだ。


「っ……くっ……」


 どうやら意識はある様だけれども、見る限り凄く苦しそうだ。幸い心臓発作等でないのは見て分かった。両手で右足のかかとを抑える様にして悶えている。良く見ると同じ学校の制服を来た男子生徒だ。

 もっと言うならクラスメイトで、学校でもトップクラスに人気のあるイケメン体育会系男子、葉山真はやままこと君だった。

 刈り上げられたソフトモヒカンが良く似合う彼は、こんな風に倒れていてもカッコいいのだから不思議だ。整った顔立ちは苦痛に歪められていても、十分な魅力を持っていた。……いや、今はそれどころじゃなくて。


「あ、あの! は、葉山君はやまくん! 大丈夫?」


「うっ……あっ……だい……じょうぶだ……」


 どうみても大丈夫には見えないけど、どうしたら良いのか分からずにオロオロと周りを彷徨う。これが少女漫画の主人公ならば、適切な処置を施して良い感じに助けるのだろうけど、こちとら現実世界を生きるモブ生徒B。これと言って何が出来る訳でもなく、不様にもオタオタする事しか出来なかった。

 ヘッタクソな声掛けを続けながら見守っていたら、どうやら落ち着いた様で葉山君の苦しそうな様子も無くなった。


「あの、その~葉山君?」


「……あぁ、ごめん。変なとこ見せて……佐々木ささきさん、だったよね?」


 苦しそうな様子はもうないが、起き上がる様子もない。手を貸した方が良いんだろうか?


「あ、えっと、立てる?」


 おずおずと手を差し伸べてみる。緊張してぎこちなくなってしまった私の手は、掴まれる事はなかった。


「いや、ゴメンもうちょいこのままで。その方が楽だから。」


「あ、う、うん。」


 はい空気読めない女でしたね。余計なお世話乙って?はぁ……辛い。

 何とも言えない沈黙が流れて行く。この空気を何とかする様なコミュニケーション能力があれば鏡花きょうかはモブ生徒などやっていない。とことんまで役に立たない自分の無力感に苛まれていたら、意外にも葉山君の方から話しかけて来た。


「……あのさ、急にこんな事聞かされても困るだろうけどさ、俺は昔からサッカーが好きだったんだ」


「へっ!? あっ! そ、そうなんだ。サッカー部、だっけ?」


「あぁ。そうだ。そう、サッカー部だったんだ……」


 本当に突然だけど、どうしたんだろうか? 騒がしいタイプではないが、いつも明るい葉山君にしては珍しく暗い感じがしている。


「もっと上手くなりたくて、鍛えて頑張って無理もして……」


 やはり変だ。こんな辛そうな顔を見せる男の子ではない。何があったんだろう?


「去年の冬に…………利き足が駄目になった……」


「えっ……」


「もうどうにもならないらしい。ちょっとの時間ならプレイ出来ても、選手としてはもうやって行けない。これで……ここで俺は終わりなんだ……」


 そんな事になっていたなんて知らなかった。関わろうとすらしなかったのだから当然ではあるが、クラスの中心となって輝かしい高校生活を送っている筈の彼が、こんな辛そうな表情を見せているのは意外だった。

 そんな苦悩を抱えていた事すら、当然ながら知らなかった。


「本当は、もっと……やりたかった! 中学の時も優秀選手に選ばれてて、プロだって目指せたハズなんだ! まだやれるかもって、少しやるだけでこれだ…………この有り様だ……」


 今まで気付かなかったが、少し離れた所に使い込まれたサッカーボールが転がっていた。1人で練習していたのだろう。そうして限界が来て立っていられなくなった、と言う事みたいだ。さっきかかとの辺りを抑えていた理由が分かった。


「もう……俺には何も無い。やりたい事もなにも…………」


 そう言って顔を歪ませる彼の様子が、まるで傷付いてボロボロになった野良犬の様に見えた。何故だろう? このまま放っておいたら、もう二度と学校で顔を見る事もなくなる様な気がした。だからだろうか?これが普段の教室でなら絶対にやらない行動に出てしまったのは。

 倒れている彼のすぐ近くに腰を下ろした私は、頭を優しく持ち上げて自分の膝の上に置いた。


「えっと、ごめんなさい。私はスポーツとか全然ダメだから、葉山君の気持ちを分かってあげられない。」


 そう、私には彼の辛さが微塵も理解出来ない。運動オンチで鈍臭どんくさいから頑張った事も数える程しかない。けれど。


「でも葉山君に何もないとは思わない。葉山君の事は良く知らないけど、私には出来ない事を一杯やってる。」


 あんな風に周りを盛り上げたり出来ない。誰かを笑わせるとか私には出来ない。見た目だってそうだ。目茶苦茶カッコいいし俳優とかモデルとかやってても不思議じゃない。私には無い物を沢山持っている。私には出来なくても彼に出来る事は、勝負にならない程の差が有るだろう。


「私と違って明るいし、クラスの皆を笑わせたり出来るし、私みたいな陰キャにも優しくしてくれるし。あ、覚えてるかな? 前に私がメガネをケースごと側溝に落としちゃって通学路でオロオロしてたら取りに行ってくれたよね! 凄く助かったんだよ! あの時はありがとうね!」


 何を話したら良いか分からなくて思い付く限りの事を勢いに任せて並べたてる。多分、今の彼に必要なのは温かい言葉で、でも私みたいなモブ生徒Bにはそれらしい事なんて何も言えないから下手クソな励まししか出来ない。

 こう言うのはきっとメインヒロインの仕事だ。葉山君にお似合いの美少女がやる事だと思う。運悪く通り掛かってしまったのが、私の様なモブで申し訳ない。


「それに見た目だってカッコいいと思うし! 私は素敵な男の子だと思うよ!」


 葉山君が驚いた顔で私を見ていた。あっ……やべっ……今なんて言った? ヤバいよ変な事を言ったよね今?


「ほ、ほら! 葉山君が何も無いんだったら、私みたいな陰気でジメジメした教室の壁のシミみたいな女なんて生きてる価値すらなくなっちゃうって言うか! だからね」


「ありがとう」


「えっ……」


 勢いに任せて膝枕なんてやっちまった私の手は今葉山君の頭を撫でるみたいに添えてあって。そんな私の手を葉山君の大きな手が優しく握ってくれていた。

 うん? 私これ何やってるんだ? 冷静に考えたら何この状況? 学校でトップクラスのイケメン男子を陰気なモブ女Bの私が夕方の河川敷で膝枕??? 馬鹿じゃないの??? 3回ぐらい死んだ方が良いのでは??? リア充じゃないけど爆発した方がいいよね?

 今更になって現状を把握した私は何度目か分からないパニックに陥る。


「佐々木さんがそんな風に見てくれてたなんて知らなかったよ」


「いや! その、何と言いますか、言葉の綾とかそのアレでそう言う何かで」


「まだ俺に何が出来るか分からないけど、もうちょい考えてみるよ。」


 そう言って立ち上がった葉山君は、転がっていたサッカーボールを拾うとこちらを見た。


「佐々木さん、また明日!」


「う、うん。」


 先程までとは別人の様に、いやいつもの葉山君に戻った彼は、沈みゆく夕日と共に帰って行った。



 帰宅して夕飯を作り、食べて入浴してベッドに横になった頃に自我を取り戻した。


「はっ!? 私は何を……ここは私の部屋……」


 つい衝動に駆られてあれこれ色々とやかした私は意識を取り戻し、積み上げた黒歴史の重みに押し潰されていた。

 何だよ膝枕って。意味分からないよ。今日体育あったよね? 汗かいたよね? ヤバくない? 陰気なモブ女Bの汗臭い体で膝枕とかテロ行為では? 今すぐ絞首台に上がるべき??

 それに半年ぐらい前にメガネ拾ってくれた事を、未だに覚えてる粘着女とバレてしまったのも痛々しくない? あれコイツまだあんな事覚えてたのキモっ! とか思われたのでは?? うあああああああああ。

 私はあの短時間でどれだけの黒歴史を積み重ねてしまったんだろう? 明日学校に行くのが億劫だ。ごめんカナちゃん私不登校になっちゃうかも……


 その日佐々木鏡花は中々に寝付けず起床時間が大きくズレ、寝不足のまま慌てて学校に向かった。昨日作り上げた黒歴史の山についてまでは頭が回っていなかった。

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