第8話 帰宅幼女

玄関のカギを開けて家に入る。

幻惑ローブを脱いで玄関のハンガーへ。


「むむぅ……」


台の上に乗ってローブを掛ける。

背伸びをしないと届かない。

ハンガーはこの身体になる前から使っていたものだから身長が足りないのだ。


「もう一段高い踏み台が欲しい……」


以前この踏み台は低いからと三段の台を所望したのに、高くすると危ないからと姪に却下されたことがある。

これは再請求をしたいところだ。


「ふぁあ」


欠伸が出る。

いけないちょっと眠気が……。

この身体はダンジョンの中だと元気なのに、ダンジョンから出るとドッと疲れが出る。

肉体的な。というよりは精神的な部分の方が大きいような、緊張の糸が切れるような感覚。

ただ、まぁ、見た目はこんなんだけど中身はおじいちゃんだから精神的に疲れやすいのは仕方ないのかもしれない。

夜も寝るのは早いからね。


「お風呂にしよ」


――チャポン。と浴槽の湯に身体を沈める。


「はふぅ……」


温かいお湯が気持ちよくて声が漏れる。

うーん。しかし、本当にツルツルスベスベだ。

身体に触れる。

カサカサで皺の多かった肌が嘘のようだ。

ツルツルなので毛はないし、勿論ぺったんこだ。何がとは言わないが。

老人とは言えもとは男だったのだ。

性別が変わってしまったらそりゃあ気にもなる。平たかったけど……。


「んー」


お湯の中で手をグーパーグーパーと動かす。

柔らかくて小さな手。

こんな細腕なのにモンスターを素手で殴り倒せるなんて、プレイヤーのレベルって凄いよね。

明らかにレベル27とは思えないけど。

もしレベルnxの中に何かの数値が入っているとして、一体どんな数値ならあれだけの威力になるのか?

正直、よくわからない。

お湯から出る。

ちょっと磯の香りがするかな?

まぁ、本日探索したのは水族館ダンジョンだから仕方ない。

体を洗って、髪もワシャワシャ洗う。

髪が長いので洗う時は大変だ。

最初は四苦八苦していたものだ。

その結果、この歳になって姪にお風呂で髪を洗われることになるとは思いもしなかったけど。

お恥ずかしい限りで一生の不覚でもある。

そんなこともあって、面倒だからと髪を短めに切ってしまおうかと姪に話したことがあった。

断固拒否された。解せぬ……。

しかも、泣かれそうになったので綺麗さっぱり諦めた。

姪の涙には勝てないのだ。


お風呂から出て身体を拭いていると、玄関のチャイムが鳴った。

続けて、ガチャリと鍵の開く音。そして、玄関が開かれる音。

噂をすればなんとやら。だ――


「こんばんはー。みのりちゃん居るー?」


機嫌の良さそうな声が玄関から発せられる。


「はい。此処に居ますよ」


脱衣所から顔を出す。


「こんばんは。結那ゆいなちゃん。今お風呂に入っていたので居間で待っていてください」


結那。それが姪の名前だ。

そして、幼女になった私の第一発見者。


「みのりちゃんお風呂上り? なら身体拭いてあげたほうがいいわよね」


にっこり笑顔になる結那ちゃん。

あ、これ。駄目なヤツだ。


「大丈夫なので、居間でゆっくりしていてくださいね」


言って、ピシャリと脱衣所の戸を閉め鍵も掛ける。

これ、鍵を掛けないと勝手に入って来て体を拭いたり髪を拭いたりしてくる。

しかも、二度あることは三度も四度もあったので、流石に鍵を掛けるようにした。

この身体になってから、結那ちゃんはちょっとスキンシップ過剰なところがある。


結那は、私がTSする前から時々我が家に顔を出していた。

ただ、それらは、私の姉――つまり結那の母親に言われて様子を見に来たとか、会社の人から差し入れを貰ったけど食べきれないからお裾分けとか、そういった社交辞令的なものに過ぎなかったのだけど。


***


「逃げられちゃった」


結那は鍵の掛かった脱衣所のドアの前で肩を落としていた。

仕方ないので居間へ移動して夕飯の準備をしておく。

みのりはダンジョンから帰宅したらお風呂に入って夕飯にするのを心得ているからだ。

それは、結那の叔父――つまり、みのりがTSする前からの習慣。

だから結那はちゃんとそれをわかっている。


「ふぅ」


冷蔵庫からチューハイの缶を取り出して一口飲む。


「でも、今日もちゃんと帰ってきてる」


呟いて思い出すのは半年前のあの日のことだ。

朝、出社前にテレビをつけたら珍しく朝のニュースでダンジョンのことが取り上げられていた。

それは昨日、水族館ダンジョンでモンスターパニックが発生したということ。

複数の重傷者と一人の行方不明者が出たということ。

嫌な予感がして叔父のスマホへ電話を掛ける。


出ない。出ない。――出ない。


慌てて家を出る。

会社とは別方向の叔父の家へ向かって。

母からこっそり渡されていた合鍵で叔父の家へ入る。

そこで見た光景を結那は生涯忘れないだろう。


――いや、あのインパクトのある光景は忘れようとしても忘れられないだろう。


今にも泣き出しそうな素っ裸の幼女が、結那の姿を見た途端に泣きながら抱き着いてきたのだから。

この瞬間、結那の母性本能が限界突破した。と、同時に、まさか叔父さんに隠し子が? と嫉妬心まで限界突破しかけたのだが、幼女の必死の説得でそれが叔父さんであると理解した。

何せ小さい頃からのあんなことやこんなことを知っていたのだから――


「あー、でも、こんなことになるならもっと前に……。いいえ、でもこれはこれで良いのよね。なにせ同性なら気軽にスキンシップ出来るんだし。ウフ。ウフフ」


酔いが回っているのかちょっと笑みに邪なものが混じっている。

みのりが見たら確実に引きそうなセリフと共に。


「えーと、結那ちゃん。ちょっと怖いよ?」

「ふぇッ!? ――ゴホン。夕飯食べますか? それとも」


いつの間にか傍に居たみのりに気付いて、結那は誤魔化す為に表情をキリッと切り替える。

なお、全く誤魔化せてはいない。


「髪の毛乾かします?」

「お願いします。でも、変なことはしちゃ駄目ですよ?」


結那はみのりからドライヤーを受け取ると優しくみのりの髪にドライヤーを当てていく

ドライヤーの温風によって、みのりの黒く長い髪の毛からほんのりとシャンプーの良い匂いがした。

思わず顔を近づけたくなるのを我慢する。


(いけない。いけない。――ああ。でも綺麗な黒髪だなぁ)


日本人形みたいな艶やかなロングストレートの黒髪。

大き目なTシャツの襟口から覗く肌はお風呂に入ったためか血色がよくほんのりと桃色に染まって、幼女とは思えない艶めかしさがある。


「……えっちね」

「――? 何か言いましたか?」

「いいえ」


それから二人で夕食の席につく。

テレビをつけたら、ちょうどダンジョンの話題なんてのが流れていた。

しかも、ご丁寧に、噂の座敷童がついにカメラに。というテロップまで付いている


「座敷童ですか、ダンジョンで遭遇したら縁起が良さそうですね」

「そうなんですか? ダンジョンだとモンスターの類なんじゃ?」

「うーん。そんな人型モンスターいたかな?」

「もしかして、みのりちゃんの事だったりしません?」

「ハハハ。結那ちゃんは面白いことを言いますね」


その時、件の画像が表示される。


「「ぶっ!?」」


画像を見たみのりと結那がほぼ同時にみそ汁を吹いた。

動画の切り抜き画像なのか若干画像が粗くフードで顔までは見えないものの、その座敷童はどう見ても幻惑ローブを装備したみのりの姿そのものだった。


「おじ――、じゃなくて、これって、みのりちゃん!?」

「あはは……。たぶん、そうですかね?」


苦笑いを浮かべて頬をかくみのり。


「あッ!? まさか……」


結那は自分のスマホを取り出すとSNSを表示させる。

トレンドの上位に並ぶ単語をタップするとトップに表示されているのは絶賛拡散中の動画だった。

それはある配信プレイヤーの動画を切り抜いたもの。

モンスターハウスで一方的にモンスターを蹂躙するローブ姿の子供の姿。

見慣れたその姿がつまり本日水族館ダンジョンでのみのりの姿だ。

既に動画の再生数は100万を超え絶賛上昇中。


「あー。これ今日行ったダンジョンのですね。やっぱり映ってたみたい?」

「でも良いんですか? こういうの肖像権とか」

「ダンジョン関係は自己責任の世界ですから。気付いた時にはお願いして止めてもらうこともありますが強制力はありません。問題が起きた場合はプレイヤー同士でお話合いっていうのが基本ルールですね」

「へ、へぇ……。大変なんですね……」

「まぁ、私闘に発展したとしても脱出アイテムがあるから人死にまでは出ません。そもそもそこまでの大事なんてそうそう起きませんからね」


ダンジョン管理省もこの手の問題には基本ノータッチだ。


それ本当に大丈夫なの? と、心配する結那に対して、みのりは柔らかな笑みを浮かべるのだった。

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