第2話 起床幼女
スマホのアラームが鳴る5分前には目が覚める。
時刻は朝5時55分。
長年の生活リズムというのは簡単に変わるものでは無い。
65歳定年で仕事を辞した後でもそれは変わらなかった。
暖かい布団の中でゴロンとうつぶせになって、それから伸びをする。
猫とか犬とかがするアレだ。
まずはお尻を上げて腕を伸ばして、次にお尻を下げて上半身を逸らす。
半年前までは、硬くなった筋肉や関節がミシミシと悲鳴を上げていたが、今は体が柔らかいのかそんなことは無い。
というか反り過ぎて折れないか心配になるくらいまである。
本当に柔らかいのだ。
「ふむぅー。むむむ」
思わず変な声が出てしまう。
だって、なんか気持ちいいんだもの。
――ピピピ。とスマホのアラームが鳴る。
アラームを停止させ、ベッドから降りる。
最初に向かうのは洗面所。
洗面台を使うには背が足りないので台の上に乗る。
なにせ今は身長136cm。とても低い。
鏡に映ったのは皺の増えた老いた男性――ではなく10歳くらいの女の子。
赤銅色の瞳に、色白ですべすべの肌、長い黒髪は腰を通り越してお尻の下くらいまである。
そして、自分で言うのも恥ずかしいが、すれ違ったらつい視線で追ってしまいそうに程には整った顔立ちをしている。
まぁ、つまり可愛いのだ。コホン。
そう――鏡の前に居るのはどこからどう見ても幼女なのだ。
俗にいうTSというヤツだ。
世の中不思議なことが起きるものだ。
まぁ、ダンジョンなんていう不思議を煮詰めたような存在があるのだからおかしなことでは無いのかもしれない。
とは言え、TSなんて聞いたことないが……。
――私の名は、岩泉みのり。
岩泉が姓で、みのりが名前。
男性であった時の名前もあるが、流石にこの格好で男性名は馴染まない。
だから、思い入れのあったこの名前を使わせてもらっている。
なんでこうなったのか? 正直よくわからない。
ダンジョン探索中にモンスターパニック――モンスターのリポップが重なってフロアにモンスターが溢れる現象――に遭遇したのが始まりだったと思う。
モンスターの奇襲で負傷した後、一か八かで転送罠を使ったところまでは覚えているものの、気付けば自宅のベッドの上でこんな姿になっていた。
「ホント。一体何があったんだろうね?」
小首を傾げる。
しかし、覚えていないものは覚えていないのだ。致し方ないのである。
で、訳も分からず混乱していたら、運良く――いや、悪くかな? 連絡がつかないことを不審に思った姪が自宅を訪れ、そこで取り乱している幼女――つまり私が発見されたのだ。
警察に通報しようとする姪を何とか抑えて事情を説明。
信じてもらうのに時間を要したがなんとか納得してもらえた。
やはり小さい頃から知っている親戚というのは良いものだ。
それから、私の生存をダンジョン管理省に連絡してもらった。
倍以上歳の離れた姪に頼むのは心苦しかったが背に腹は代えられなかった。
何故か? プレイヤーがダンジョン内で行方不明になった場合、何日か経過すると死亡扱いになって戸籍も無くなってしまうからだ。
ほら、モンスターって雑食だから、ダンジョン内でプレイヤーが死亡したりすると発見されないことが殆どなのである。
だから、ダンジョンでの死亡は遺留品が見つかれば御の字とさえ言われている。
「うう。ちべたい」
洗面所で顔を洗う。思っていたより水道の水は冷たかった。
それから朝食を済ませ、歯を磨いて、洗濯して、部屋着になる。
いつものルーチンワーク。
「さて、今日はどうしようかな」
一息ついてから居間のテレビをつける。
丁度、ダンジョン関係のニュースが流れていた。
特に事件や事故のニュースは無い。
モンスターパニックもそうそう起きる事象じゃないからね。精々年に数回かな?
トピックにあがっているのは、身の丈に合わない階層に潜った学生パーティがSNSで炎上とか、ダンジョンに辻支援を行う座敷童が現る? くらいなものだった。
「ふぅん。奇特なプレイヤーも居るんだなぁ」
牛乳で割ったカフェオレをクピクピと飲みながらニュースを眺めて独り言ちる。
残念ながらコーヒーは苦くて飲めなかった。
お子様舌というヤツだ。なので辛いものもダメ。とても悲しい。
そういえば、と、先日助けたお兄さんたちを思い出す。
脱出アイテムを使ったから無事に帰れた筈だけど、あの後無茶してなければ良いな。
若い時って何事も無茶をし易いからねぇ。
黎明期なんて無茶なプレイヤーが多かったから、それはもう交通事故に遭うよりも高い死亡率とか揶揄されていたほどだ。
脱出アイテムが出来てからは、逆に交通事故に遭う確率の方が高いと言われる程度には安全が確保されるようになった。だから、ちょっとした無茶や無謀も笑い話で済む。
まぁ、それでも場合によっては先のニュースみたいに炎上したりもするけど。
なお、脱出アイテムが作動するタイミングはプレイヤーが重症というか瀕死状態なので肉体へのダメージは相当だ。
脱出先の救護所で死なない程度に回復してくれるけど、肉体的にも精神的にも相当来るものがある。殆ど臨死体験に近いからね。
50代の頃に一度経験したことがあるが、正直二度とごめんなさいレベルである。
その後病院へ搬送されて仕事も2週間休んだし……。
結果、安全マージンが二割増しくらいになったという苦い経験だ。
なんで脱出アイテムがそんなハード設定になっているかと言うと、プレイヤーの心を折るためだと言われている。でも、これはプレイヤーたちが言っている都市伝説みたいなもので、政府の公式見解では無い。
「ホント痛いんだよね。あれ。――まぁ、この身体だとダンジョン内では以前より動けるからそうそうお世話になることは無さそうかな?」
おもむろにライセンスカードを取り出す。
ライセンスカードはプレイヤーへ与えられる身分証明書だ。
しかも、プレイヤーのステータスと同期しているのでプレイヤー情報がリアルタイムで繁栄される便利アイテム。
と言っても、通常表記される情報はプレイヤーの写真と名前、生年月日にレベルだけ。
詳細な情報はダンジョン管理省の端末を通さないと分からないという徹底的な個人情報の保護っぷり。
上級プレイヤーになると自分のステータスや取得魔法なんかは隠したがる傾向が強くなるので配慮をしてくれているらしい。
この姿になってからは端末で詳細情報を確認していないので各種ステータスがどうなっているかは分からないが、レベルだけは分かる。
“nx”
それが今の自分のレベル。
「なんなんだろうね。この表記。この姿になる前はレベル27だったのに」
なお、他の人が見た場合にはレベル27と表示されているらしい。
姪と姉に見てもらったがどちらも同じ回答だった。
今の状態は、明らかにレベル27以上あると思うんだけど……。
「ソロで無理だった階層とか普通に攻略できるからねぇ……」
それから、ご丁寧に写真は今の姿になっているし、生年月日は計算すると現在13歳ということになっている。
13歳というのはプレイヤーライセンスが取得できる最低年齢だ。
いや、しかし13歳というには、背も小さいし発育も良くない。これどう考えても水増ししている気がするよね?
そもそも、もともとの写真とか生年月日とか何処へ消えてしまったんだろうね?
もし今の状態でダンジョン管理省の端末にカードを通したらデータベースと一致しなくてエラーとかになりそうで怖い。
だから、詳細の確認はしていない。
それにプレイヤーのライセンス詐称は罪が重いのだ。
それ以前に、ライセンスカードの偽造なんて聞いたこともないけど。
「むぅ……。考えてても仕方ないか。うん。そうだ。午後は水族館ダンジョンでも行ってみようかな」
中の人は既に退職して無職の年金暮らしだから暇なんだよね。
それに年金収入だけだと老後生活がカツカツだからね。
ダンジョン産アイテムの売却益は無下にできない。
第一に、この身体になってからはダンジョン探索そのものが楽しいのだ。
若い人がハマるのも今なら良くわかる気がする。
以前の身体だとレベル補正による強化があったとはいえ老骨に鞭打つ感じがあってどうしても無理出来なかった。
まぁ、無理するような歳でも無かったけど。
20代、30代の頃ならもっと行けたのかもと思うと、本当もっと早くダンジョンが出現してくれれば良かったと思うよ。
そんなことを考えながら私はダンジョン探索の準備を進めるのだった。
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