第1話 ナインロイヤル、開幕③


■第一勢力


 少女と呼ぶには大人びており、淑女と呼ぶには幼さが残る。

 エナリス・ハーバルシャットをよく知る者は、彼女の人格をそう評する。


「この乗り物、壊れているわよ⁉︎ ちゃんとしたものに取り替えてくれるわよね?」

「いや〜、特に壊れてないですねぇ……」


 イブラ西部に位置する、住宅街と繁華街の間に存在する商店。

 近年人気なとある乗り物を売り出したことで連日混み合う人気の乗り物店である。

 エナリスは混雑する客たちをかき分け、声が店中に響くことに一切の躊躇いを見せずに抗議、もといクレームを続ける。


「でもおかしいわよ! 人間が乗れる乗り物じゃないわ。車輪が前後二つだけなんて、どうやってバランスを保つのよ。不良品よ不良品」

「う〜ん、そりゃ頑張って練習するしかないですねぇ……」


 店員の背後のお試しコーナーでは、フラつきながらも楽しげに乗り物を乗りこなす客で賑わっている。バランスを保つのは確かに難しいが、ある程度の訓練をすれば子供でも乗れる簡単な乗り物なのだ。

 乗り物の名前は、自転車である。

 かの第七世界からやってきた者から伝えられた、便利な乗り物としてヘクタール人王国の都市部では人気になっている家庭用乗り物。


 自転車である。


「はぁ⁉︎ 私が努力不足だって言いたいの⁉︎」

「そりゃあ、買ってすぐに坂から降りたら転びますよぉ〜。一回、そこで練習してみるといいんじゃないですかねぇ〜……」

 

 机に叩きつけた震える手を持ち上げ、エナリスは


 子供用にガラガラと音が鳴る三輪車に乗った。


「……簡単ね、これ」

「そりゃ良かったですぅ〜」

「二輪車も余裕だわ」


 三メートル進んで盛大に転んだエナリスは、その後二時間の間、お試しコーナーを独占した後、二輪車もマスターした。


「ふ、ふん。王国魔軍大将の娘である私に乗られるなんて、名誉ある自転車ね。特別に貰ってあげる」

「そりゃ何より〜」


 その後、調子に乗りブレーキなしで坂を降った彼女の自転車は石畳に叩きつけられ跡形もなく潰れることとなった。


「嬢ちゃん、無事かい⁉︎ 砲弾みたいな勢いで頭ぶつけてたけど⁉︎」

「わ、私は魔術師よ。魔力で頭を守ったから、なんともないわ」


 以降、彼女が自転車に乗ることはなかった。


「はぁ、なんてツいてない日。運勢を占っておくんだったわ」


 シャワーを浴び、自慢の長い金髪を整えながら寛ぎの時間を過ごす。

 イブラ中央部の高級ホテルの最上階。そこが『第一シーカー』としてないんロイヤルに参戦することとなった、彼女の拠点である。

 見晴らしが良く、魔術による都市部の監視が容易な上、厳重なセキュリティによって侵入が困難となったこの場所は、一時の拠点として適している。

 長い期間の貸切となったが、その程度の金銭負担はなんら問題はない。ヘクタール人王国の魔軍_____魔術を主に用いる軍隊であり相当の権力を持つ_____を率いる魔軍大将の娘である彼女の資産は、爵位を貰っていないにも関わらず中級貴族のそれを上回る。この一室どころかホテルそのものを購入することすら造作もない。


「召喚……もうやってもいいのよね」


 魔術師としての正装に着替えながら、自信の背中を鏡に向け振り返る。

 髪に隠された背中を露わにし、そこに映った模様の形を目に焼き付ける。

 数日前に行った『魂の書』との契約に伴い背中に現れた、シーカーとしての証。


 魂の痕ゼーレシーフ

 エナリスのそれは、羽ばたかんとする翼のようにも、天高く伸びていく大樹のようにも見える。

 ナインロイヤルの監督だという少年魔術師の前で行った契約に伴い発現し、微かにどこか遠くにある何かと繋がった、という感触がある。『魂の書』との契約がどんなものであるかあまり知らされなかったため問い詰めてみたものの、監督役のエルメイドが「監督の俺すら『魂の書』の場所は分かんねェんだよ。クソイカれてやがるぜ、魔術大連の上層部は。中間管理職の俺を使い捨てにする気満々だぜゴミハゲ親父どもがよォ」と机を蹴飛ばしながら愚痴っていたので、恐らく監督役ですら詳細は知らないのだろう。

 知り得たのは、過去の参加者の末路のみ。

 ある者は騙し討ちに遭い断末魔を上げ。

 ある者は裏切られ絶望し。

 ある者は誇り高く散っていき。

 ある者は強大な力を前になすすべもなく消え。

 

 そして、最後に残った者が栄光を掴み、転生を果たした。


 殺し合いである以上、凄惨な儀式であることは疑いようがない。

 と同時に、エナリスは己が勝利することも疑っていない。

 エナリスに与えられた番号は『第一』。

 魔術大連による参加者への審査の元、儀式の成立において最も重要な存在であると定められた参加者シーカーに贈られる番号。


「私だけが勝つ。私だけが生き、私だけが見下ろす。私以外の何者も、私の努力を、勝利を、歩みを……揺るがすことはできない」


 大魔術師は高らかに謳う。

 掲げられた手に深く細かな文様が刻まれ、今この世界そのものに証を刻んだ。

 『魂の書』との契約と同時に授けられた、アバターを召喚するための召喚術。

 一度しか使えないが、必要な魔力も複雑な術式も、何一つ必要ない。どんな凡人であろうと、与えられさえすればアバターを召喚できる。

 

「私があなたを勝利させ、あなたは私の勝利にかしずく。我ら第一のシーカーとアバターが_____最強であるのよ!」


 そして、ここに第一のアバターが召喚を果たされた。

 イブラの土地を流れる莫大な魔力を糧に、並び立つ者なき第一の魔人が顕現を果たした。

 召喚術の方陣の上に立った人影は、大柄な男だった。

 短く切り揃えられた髪は白いが、逞しい腕の太さと若々しい顔つきからして老人ではないのだろう。

 そして、着込んだ服は明らかに戦闘服だ。

 かの世界には魔術が存在せず、代わりに銃器を用いた戦いが主なものだという。それらの戦いに適するであろう、ミリタリージャケットと呼ばれる服を着ていた。


 男が目を開ける。

 初めはまるで寝て起きたかのようにおぼつかない表情で、次に拳を開閉して感触を確かめ、そして真っ直ぐにエナリスを見た。


「いかがかしら、異世界の空気は」


 肌に刺すような強大な魔力の気配にも一切臆することなく、男の前に立つ。

 アバターを召喚した際に注意を払うべきは、召喚による混乱だ。魔術もない世界から突然異世界に召喚させられたことによる衝撃と混乱は計り知れない。

 混乱の果てにアバターが暴走を起こし、シーカー諸共に消滅した事例は過去にいくつもある。故にエナリスは優雅に、そして傲慢にアバターの前に立つ。


「混乱するようだけど、安心なさい。私がいる限り、あなたは_____」

「いや、問題ない」


 男は取り乱すのでもなく疑問を投げかけるのでもなく_____不敵に笑った。


「俺は……戦うために呼ばれたのだな? お前さんによって」

「あら、物分かりのいいアバターね。流石は私」


 風が、エナリスの髪と礼服を靡かせる。

 それを目の前で見ている男に、それは異なる光景として映った。

 彼女を引き立たせるために、風が吹いているのだと。

 この美しくも苛烈な大魔術師が舞うために、この世界が存在しているのだと。

 そう言わんばかりに、彼女は鮮烈であった。


「戦うわよ、アバターの男。私に、勝利を捧げなさい」



■第二勢力

 

 アレクセイ・シルバは混乱を見せながらも、自身が異世界へと召喚されたことを冷静に受け入れていた。


「ナインロイヤル……つまり俺とアンタがタッグと組んで、九組の殺し合いに参加する、と」

「正しい」

「そして勝ち残らなければ……元の世界に帰ることもできないのか」

「そうだ」


 だが、冷静さはあくまで内面の話。

 第二アバターとして召喚された彼の手には、発射される寸前で静止した拳銃が握られている。

 銃口は、彼を召喚した男に向けられていた。


「異世界の存在も、魔術の存在も……受け入れ難いが、理解しよう」


 彼が着込んでいるのは、軍服。

 それも尉官級の軍人でなければ着ることができない、名誉あるものだ。

 東ヨーロッパ系移民の家に生まれ、米空軍の戦闘機パイロットとして武勲を上げたからこそ、手に入れたものだ。


「だが、この儀式は受け入れ難いし理解もできん。人を攫い殺し合いをさせるなど、人道と正義に反した行為だ!」

「人道と正義、ねぇ」


 鬼気迫るアレクセイに拳銃を突きつけられてもなお、彼を召喚したシーカーの男は寛ぐことをやめない。拳銃など、自分にとって危険でもないと言わんばかりに、男は戸惑いも混乱も見せない。


「アバターはな、シーカーと精神的な共鳴が可能な者だけが自動で選別され呼ばれるんだ。つまり、お前は俺と似たものってことだ」

「……何が言いたい⁉︎」

「俺は傭兵、お前は軍人。違うのは金のためか国のためかって話だ。それ以外に、大差はないだろう?」


 なおも挑発的な言動を繰り返す男に向けて、アレクセイはついに発砲した。

 異世界、魔術。人を誘拐したことの正当性のために、こんな出鱈目を言うとは。

 軍人である自分を誘拐しうるとなれば、大規模テロ組織、マフィア、あるいは敵国の諜報機関などが考えられるが_____

 そんな思考は、男が弾丸をキャッチしたことで霧散した。


「なっ……⁉︎」

「拳銃、か。魔力頼りの魔術師相手であれば、狙撃による不意打ちは十分有効だ。至近距離での拳銃なら、重傷を負わせられるだろう。例外は、俺みたいなやつさ」


 男、傭兵ダブラン・ジオはソファから降りると、握りつぶした弾丸をアレクセイの前に落とした。

 引き金を引いた感覚も、その反動も、火薬の匂いも、全てが本物だ。長い軍人生活を送ったアレクセイは、それが夢でも幻覚でもない現実であることを理解している。

 だからこそ、異世界が、魔術が、この儀式ナインロイヤルが_____何より、この男が恐ろしいと感じた。


「喜べよ。お前の主は、世界最強の傭兵、ダブラン・ジオだ。俺がいる限り、お前は死なない」

「…………!」

「安心しろ、勝てば家族の元に帰れる。そして勝つことは正義だ。お前は軍人として、この世界でも役目を果たせ」


 深く被ったハットの奥から覗かせたダブランの目は、アレクセイの心に傷のように刻まれた。



■第三勢力

 

 エナリスが拠点として定めた、イブラ中央地区のホテル。

 そのホテルを遥か遠くから覗く、とある少女がいた。


「今日も優雅に……テラスで紅茶ですって……? あんな場所にいたら狙撃されること間違いなしなのに、気にしてないっていうの? ぐぅ〜、腹立つ!」


 少女が着こなすのは、魔術による覗き見をするような輩とは思えないほどに高価で珍しい服だ。長い袖と煌びやかな装飾、流線美を強調した白いドレス。歩くには適さない高いヒールに、重量故に首を動かすこともままならない帽子。

 第七世界では『ゴスロリ』と呼ばれる格好をしていた。


「慢心にも程があるわよまったく。まぁ、私に負けるまでの話だけどね、ふん!」


 などと言いながら優美に紅茶と焼き菓子をいただく姿は、なるほど確かに令嬢と呼ぶに相応しい姿だ。

 彼女がこれほどまでにエナリスを気にする理由は一つ。

 単に、彼女が自分の先輩で、憧れ、そして嫉妬する対象だからである。


「忘れもしないわ。入学の日に私に向けられるはずだった賛美と花束の全てを攫っていったこと……!」


 天才と謳われる大魔術師の両親の元に生まれ、自身も両親をも凌駕する天才的な魔力量と魔術センスを持って生まれ、時には教師に恥をかかせるほどだった少女。

 ヘクタール人王国の中央魔術院に入学するまで、彼女は常に最高しか経験してこなかった。

 敗北という感情を知ったのは、エナリスを見てからだ。

 なるほど、持って生まれた才能や魔力量、センスで言えば自分の方が上だろう。実際の数値計測でも、少女の方がエナリスを上回っていた。

 だが、実戦や技能試験では、常にエナリスが上回っていた。一時的に少女がそれを上回ったとしても、翌日にはエナリスがそれを上回る。

 一体何度、屈辱を味わされたことだろう。


「待ってなさい、エナリス・ハーバルシャット。あなたを超えて、私が勝つのよ。この戦いで、それを証明する。私、リーリルト・タイランド―ルこそが、最強の魔術師なのよ!」

 

 こうして、第三のシーカーとして選ばれた少女リーリルトの戦いが始まる。

 首筋に浮かんだ魂の痕ゼーレシーフを触り、少女は華麗に自身の儀式場へと戻っていった。


 リーリルトの拠点はイブラの中央地区からやや離れた場所に位置する見晴らしのいい丘の上。そこに建てられた簡素ながらも美しい造りの邸宅である。元は貴族の別荘として建てられたそうだが、今は一般開放され観光地となっている場所を、人が寄りつかない結界を張り拠点としている。

 エナリスと同様に高所、そして格式高い場所を拠点として選んだのは対抗心故か、実用性を兼ねてのことか。

 ともかく、彼女のパフォーマンスにとっては良い立地であることは事実だろう。

 日が暮れ中央地区の照明が丘上を照らした頃、リーリルトは召喚術を発動する。


「今の私には、夢も希望も要らない。欲するのは、勝利と力よ」


 召喚するアバターを、シーカーは選べない。そんな事前の説明を理解してなお、リーリルトは祈りを術に込める。


「強欲に、傲慢に、尊大に! 我が剣として、ふさわしき姿を見せなさい!」


 術が終わり、ここに第三のアバターが降り立つ。

 その姿は、リーリルトが望んだ通りに背の高い男の姿をした_____頬に傷のついた人物だった。

 褐色の肌に黒い髪。

 だが、顔は想定よりも幼く見える。


(若いわね。歳は二十……いや)


 アバターとして当たりだと言われるのは、戦いに関する職業についていた者だとされている。軍人として訓練を積んだ者であれば、突如として殺し合いに巻き込まれても冷静な対処が可能であるためだ。

 だが、召喚したアバターの青年は、また異なる方向性でナインロイヤルに向いているアバターであった。


(私と、同じくらいの年齢?)

「……お?」


 青年は目を瞬きさせた後周囲を見まわし、口を開いたまま唖然とした。

 無理もない話であると理解しているリーリルトはすぐに青年の心を落ち着かせる言葉を発そうとしたが、


「これは、一体どんなカラクリだ? ベッドと共に昼の厚さ凌ぎシエスタを満喫していたら、突然見知らぬ場所に降り立って、目の前には麗しいレディとは⁉︎」


 青年は混乱するでもなく、興奮した口調で大仰に腕を動かし踊るように言葉を紡ぐ。逆に混乱させられらリーリルトが唖然としているところに、青年が指を立てる。


「言わずとも分かるさ、我が麗しき淑女ヴェイア・ダマ。僕は人を騙し魔法を騙るまじないを披露する人間だ、僕の身に起きたことが摩訶不思議そのものであることはたった今理解したさ」

「……あなた、魔術を知っているの?」

「ほう、やはり魔術か! そうか、本当に存在したんだな……!」


 問いかけ一つで、青年はオーバーな動きを伴い喜びを表現する。

 

「素晴らしい! 僕が生涯をかけて存在を証明したかったものに、こうして巡り合うことができた! 素晴らしきかな我が人生ハレルーヤ!」

「ええっと……?」


 どうやら、相当な変人を引いてしまったのかもしれない。

 果たしてこれで、自分はエナリスに勝つことができるのだろうか。

 そんなリーリルトの不安が表情に出たのか_____アバターの青年はいつの間にか近づくと、リーリルトの手を握り、その場に跪いた。


「心配要らないよ。君の不安を、僕が拭ってあげよう。この手、この魂は、淑女の麗しき明日のために」


 そう言って、リーリルトの手の甲にキスをした。


「__________〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!??!?!」


 素っ頓狂な声をあげて飛び上がったリーリルト。

 顔は真っ赤に染まり、動悸は早い。


 彼女は令嬢として育て上げられ、十六の歳を迎えるまで、同年代の男と触れ合うどころか会話すらほとんど経験がない。

 つまり、免疫がないのである。

 それも精悍な顔立ちの、男らしい容貌の整った者に対しては。


「あ、あ、あ、あなた……⁉︎」

「おや、手の甲にキスをする文化ではなかったか。これは失礼した」


 青年は恭しく一礼し、第三のアバターとして名を告げた。


「この僕、イグナティオ・レオンが。君に見たことのない景色を見せると約束しよう」

 


■第四勢力


 第四のアバター、雷美琳ライメイリンは魅惑的な女性である。

 かつては様々な企業を渡り歩く情報スパイとして活動し、会社の重役、代表、役員、投資家、政治家の全てを『女』としての魅力だけで欺き、堕としてきた。

 そんな彼女の行いは例え世界をまたごうとも変わらない。

 国も時代が違えど、『女』の魅惑はあらゆる男を惑わし騙した。

 彼女にとってそれは不変の摂理であり、絶対であるべき法則だ。

 故に、異世界に召喚され、理解もできぬままに参加させられた殺し合いにおいても、なすべきは変わらない。

 己を差し出し、惑わし騙すだけ。

 自分を召喚したシーカーの少年など、惑わすにすら値しない。少しでも触れてやれば、自ら求めてくるだろう。

 肩と背中を大きく露出させて扇情的な服をはだけさせながら、美琳は少年の頬に細い手を伸ばす。


「ほら、好きにしていいのよ。私はあなただけのものなのよ」


 両者の顔は吐息がかかるほどに近づき、美琳の唇が少年の唇にさらに近づく。

 それに対し、一切近づくこと遠ざかることもせず、少年は無表情を貫く。

 それが、美琳にとっては面白くない。


「……困ったな。色仕掛けが得意なアバターとは。戦闘向きじゃないな」

「私たちは殺し合いをするゲームに参加させられているのでしょう? なら、私がいれば問題ないわ。敵が男である限り、必ず裏切らせてみせるわ」

「いや、その必要はない」


 少年_____背丈の割には女性的な高い声と、首筋まで伸びた髪によって性別の判別が難しいその人物は、美琳には一切の興味を見せずに彼女を押しやり、拠点としている部屋の一室で地図を見上げる。


「何よりもまず情報だ。君の名前と、第七世界での経歴。それから、与えられた力。戦いにおいて、自分たちの情報を正確に把握することは最重要事項だ」


 その無機質さに、美琳はロボットを連想した。

 忠実に、己の使命以外には一切無駄な思考をしない、機械的かつ論理的な機構。

 少年に見える第四シーカーは、そんな存在であった。


「……都合がいいのね。いきなりこんなところに攫っておいて、戦えですって? まずはあなたから、十分な誠意と説明をもらわなければならないわ」

「ふむ、それは正しい。説明しよう」


 そう言うなり、少年は美琳の側頭部に指を当てた。

 瞬間、情報が美琳の脳に流れ込む。

 目を見開いた一瞬にして、美琳はナインロイヤルという儀式と、この世界の成り立ち、そして自分たちが戦うべき運命を理解した。


「これ……は」

「理解しているのだろう。これが魔術だ。今のは暗示を使って情報を脳に焼き付けた簡単なものだ」


 アバターが混乱するのは、単に圧倒的な情報不足だ。

 それは、年齢が高い者_____第七世界という世界に深く根をさした者であればあるほど、異なる法則の世界への慣れは難しくなる。受け入れ難い論理、価値観、法則を受け入れるためには、相応の時間が必要となる。

 だが、この時既に第四勢力はそれらの障壁を取り払い、既に戦いの準備を完了させた。未だ第七の勢力がアバター召喚にすら至っていない中、最速で準備を完了させたと言っていい。

 だがそれは、あくまで知識の話。

 精神的な観点では、美琳の混乱はかえって強まったといっていい。


(異世界、ナインロイヤル……彼がシーカーで、私がアバター……? 最後の一人にならないといけないということは、つまり誰かを殺さなければならないということなの?)


 戦い。

 馴染みがない概念ではない。美琳の場合、それが人の底暗い欲を利用した戦いだっただけであり、暴力によるものであるかは重要ではないのだ。

 重要なのは、勝たなければ生き残れないということ。

 アバターとして召喚される九名に残される道は、召喚者たるシーカーと共にその他の八勢力の命脈を絶つこと以外に存在しない。

 回避する手段も逃げる手段もない、絶対の運命である。


「理解していても……受け入れられないわ。生き残れる可能性は九分の一しかないというの……?」


 シーカーの少年は不安を露わにした美琳に対して困惑や同情の目を向けるでもなく、ただ観察した。

 この狂気の儀式を。

 おぞましき蟲毒を。

 なんとも思っていない、そうとしか思えないその無機質な目に、美琳は恐怖した。

 

「ふむ、やはり人とは理性だけでは動かないのだな。どれほど嘆こうと、戦うしかないというのに」


 無機質なその歩みに、美琳の体が震える。

 どれほどの権力者にも資産家にも、暴力の持ち主にも恐怖せずに立ち向かえた美琳でも、ここまで異質な存在には抗えない。

 震える美琳の肩肌に、少年の手が留まる。僅かに上を向いた美琳の瞳に、端正な少年の瞳が映った。


「ならば、お前の良く知るやり方を用いるとしよう」

「何を言って_____」


 少年が、美琳の唇を塞いだ。

 言葉を発することもできず、覆いかぶさるような接吻に目を見開く。

 自分が幾度となく、数えきれないほど行ってきたことだ。肌に触れ、体を捧げれば、どんな人間であろうと支配できた。

 そして、今。

 美琳は、少年に支配されようとしている。

 十数秒にも及ぶ接吻の後、少年はその手を美琳の衣服に伸ばし薄いドレスを脱がしていく。一糸纏わぬ姿を露わにされてもなお、美琳は一歩たりとも動くことができなかった。

 目は少年の瞳に留まり、震えは止まった。


「お前は、僕のものだ。お前が死ぬことはなく、お前は僕に全てを捧げろ」


 背中に回された手の力に抗うこともできず、美琳は少年の胸に体を埋める。

 耳元で囁く、心地の良い声に抗うことはできなかった。


「第四シーカー、アブソル・テル・レイは、雷美琳を勝たせると約束しよう」



■第五勢力

 

 ナインロイヤルに参加するシーカーは、魔術師でなければならない。

 第七世界へと転生し人類の先導者たる存在は理を知る賢者でなければならないという原則の元、魔術大連はシーカーを選んでいる。

 だが、この世界に住まう全ての人間が第七世界への転生を良しとしているわけではない。

 魔術大連の敵対組織もまた存在しており、その中で最大の勢力と武力を持つ組織『聖人会』は、ナインロイヤルという儀を敵視し、度々刺客を放ってきた。

 人類の大半が教えに身を預けるとある教えの中枢組織である聖人会には『聖騎士』と呼ばれる武力の執行者がおり、対魔物、対魔術に特化したその戦闘能力は並の魔術師を遥かに超える。少数精鋭ながらもその名は魔術の世界に名を轟かせ、畏れられていた。


 だがそれは、あくまで魔術師が相手の話。

 この世界の理が通じず、魔物をも凌駕する魔人として生を受けたアバター相手では、聖騎士であっても無力だ。


「アバターだけが持ちうる特異能力『式録しきろく』……。遥かな過去に実在した神や精霊が持っていたという術理を模倣したこの能力は、生半可な術では対抗できない。式録に対抗しうるのは、同じ式録でしかあり得ないんだ」


 故に、聖人会は新たな手を取る。

 聖なる教えでは絶対に肯定されることのない、禁忌の儀式そのものを利用するという手を取る。

 聖騎士では叶わないアバターを討つために、アバターを召喚する。

 そのために、聖騎士をシーカーとして儀式の参加者に送り込んだのであった。


「アバターは召喚と同時に、自身の式録についてのみ知識を与えられる。君の式録については、シーカーとして把握しておきたい。話してはくれないか?」


 そして送り込まれた聖騎士、ヴァイド・クルーガーはイブラ東部の入り組んだ区画にある飲食店にて、スキンヘッドの男と食事を共にしている。

 ただ単に二人の男が食事をしているだけであれば、それは平和な光景であっただろう。だが、魔術に対して少しでも通ずる者がいれば、その場で卒倒しかねない。

 それほどまでに凶悪な魔力を、アバターの男だけでなく聖騎士の男、ヴァイドも纏っているのだ。


「もちろん、この世界に住まう者の勝手で君をこの儀式に招いてしまったことに対しては相応の補償をしよう。儀式の破壊に成功すれば、召喚術を打ち消し元の世界に帰る方法が分かるかもしれないんだ」


 ここに、このナインロイヤルが常識の範囲外にあることが明白となる。

 シーカーたちは互いに殺し合えど、その根底には共通の利益を持っている。

 儀式を成立させること。この一点においてのみ、シーカーたちは共通の利を持つ。

 だが、ここに異端が生まれる。

 儀式そのものの破壊、それのみを目的とした勢力が誕生した。

 その存在がこの儀式を混沌に誘うこととなる。


「だから……せめて君の名前だけでも聞かせてくれないか?」


 だが、異端の歩みは決して迅速であるとは言えず、召喚から参戦に至るまでの時間は全勢力で最も長かったといって差し支えない。

 彼が召喚したアバターは、些か奇妙な考えの持ち主であることが否めなかったことも、原因であったが。


「……パンに挟んだこの肉は、何の肉なんだ?」

「え? あぁ、それは袋鳥ふくろどりの肉だ。第七世界にはいないのか?」

「悪くない。俺の食べ方であれば、豆のペーストと香辛料を加えるがね」


 逞しい腕や身のこなし、そして召喚されたばかりであるにも関わらず混乱を見せない豪胆な精神からして、恐らく第七世界でも戦場に身を置いた人物であることが伺える。

 だが、ヴァイドとは何かが決定的に異なる。

 何かを信仰し己を捧げ戦う聖騎士であるヴァイドとは決定的に異なる、別種の戦士。戦う運命を決定づけられながらも、そこに熱を見出していないその異様に、異端のシーカーは戸惑いを隠せない。

 

「……怒っているのか? このおぞましい儀式に。君を呼び出した、俺に」

「それもある」


 動作にも表情にも一切のかげりを見せず、男はただ食事を続ける。

 二つの世界の差異は多いが、『食事を楽しむ』という点においては共通するらしい。その共通点が、今はありがたい。


「だが、怒りだけじゃない」

「ならば、なんだ」


 次に男が口にした言葉は、世界各地を渡り歩き聖騎士として務めてきたヴァイドでも聞き慣れない単語だった。


既視感デジャヴだ」

「……デジャヴ? なんだそれは」

「世界が違えど……結局人間がやることは変わらない。それを理解させられて、少しがっかりしたってだけだ。違うのは食事の味くらいのもんだな。……美味かった」


 勘定を済ませ店を出てからも、男は語らない。

 これから強制的に望まなければならない命のやり取りにも、自身の生死にも、微塵の興味を持っていない。

 彼もまた、九柱のアバターの中では異端たる存在であろう。

 異端を狩る、異端の第五勢力。

 彼らは未だに、互いの名すら知らない。



■第六勢力


 『魂の書』との契約は、儀式監督の前で『魂の書』に触れることで行う。

 触れた人物には自動で召喚術が授けられ、シーカーとして魂の痕ゼーレシーフを授かる。


 過去様々な参加者たちが、勝ち残るために裏の手を使ってきた。

 九人の内五人を事前に組織し、戦いが始まった途端に数の力で残りの勢力の一掃を企てた者たち。

 儀式の動力源である地脈に干渉し、他勢力の妨害を図る者。

 監督役に毒牙を向ける者など、毎回確認されるほどである。

 そういった『例外』とされる戦い方の中でも、今回のナインロイヤルの第六勢力は初の事例となる『例外』を押し通そうとしていた。

 他のどの参加者が考えもしなかった、シーカーの選出方法そのものに干渉したのである。


「なんだ、これは……?」


 第六のアバターとして召喚された青年は、目の前に座る魔術師から基本的な知識を既に聞かされており、既に戦う運命を受け入れている。

 敵を殺さなければ、帰れない。だが大抵のアバターは、殺しに躊躇いを持つ。

 故にアバターの心理状態は勝敗を分ける重要因子であり、元軍人のように殺人に対する抵抗が薄いアバターは『当たり』だとされているのだ。

 だが、この青年にはそれがなかった。

 魔術師による念入りかつ丁寧な説明を一度聞いただけで、既に敵を殺す覚悟を決めていた。

 経験ではなく、生来の異常性によって作られた真の『殺人鬼』。

 こと殺し合いの儀式において、彼は確実に最強格のアバターになりうる素質を持ち、自身のシーカーを勝利に導いていたことだろう。

 


「彼女が……俺を召喚したシーカーなのか?」

「ああ。彼女こそが第六のシーカーであり、君の主だ。だが見ての通り……意思能力はない」


 青年の前でベッドに横たわるのは、眠り続ける少女。

 しかしその眠りに、安らぎはない。少女の額には汗が流れ、表情からして眠る今もなお苦痛によって苛まれ続けている。

 そして青年にとっては見慣れない、この世界特有の医療器具に体を拘束されている。光を発する糸が両手首に巻きつけられ、額に魔術的な意味合いを持つ紋様が刻まれ、光り続けている。

 明らかな、昏睡状態。

 やせ細った肉付きからして、同じ状態が長く続いていることを青年は悟った。


「なら、どうやって俺を召喚した」

「簡単なことだ。命じて契約させたのさ」

「意識がない状態でか?」

「意識がないのは、あくまで表層の話だ。彼女の……我が娘サウラの意識は、今も脳内の結界に囚われたまま生き続けている。魔術を使って命令を脳内に伝え、糸を通して契約をさせればこの状態でもシーカーになることができる。賭けではあったが、上手くいったな」


 頬に小さく刻まれた魂の痕ゼーレシーフを撫でながら、少女サウラの父親は満足気に語る。

 娘を見つめる目にも、触れる手のひらにも、確かに親としての愛がある。

 だが、その愛が行きつく先にあるこの光景だけが、どうしようもない乖離を青年に感じさせた。


「魔術師としての素養で言えば、サウラは私よりも遥かに優れている。このまま死ぬ可能性もあったが、シーカーに選ばれたおかげで

「…………」

「サウラの結界魔術があれば、距離が離れてもアバターの君の魔力出力が落ちることはない。シーカーの身を守る必要がないのは、他勢力に対して大きなアドバンテージになりうる。私も身を隠して、君の援護をしよう」


 シーカーとアバターは、常に近い距離で行動しなければならない。

 アバターが召喚される際に地脈から汲み上げられ与えられる魔力は膨大であり、その魔力はシーカーの魂の痕ゼーレシーフを通してアバターに供給される。

 つまりアバターが十分な戦闘力を発揮するには至近にシーカーがいなければならず、命綱であるシーカーもまた前線に出る危険を冒さなければならない。

 故にシーカーはアバターに戦闘をただ任せることはできず、アバターの援護、あるいはシーカー同士の戦いに参加せざるを得なくなる。

 だが、結界術を用いればこれらの弱点を回避できる。第六勢力の戦術は、確かに有効なものであった。


「……昏睡状態でそんなことをするのは、負担が大きいんじゃないのか」

「確かに、負担は大きい。だが、このナインロイヤルが終わるまで命脈が保てれば問題ないだろう。勝ちさえすれば、魔術なき世界に転生し今の状態を脱することができる。サウラの目は覚め、君も元の世界に帰れるのだ。勝ちさえすれば……全てが上手くいくんだ!」


 父親の魔術師は興奮気味に語る。そこに狂気はなく、正気で以て愛する娘を見知らぬ世界へと送り込もうとしている。彼は本気で娘を愛しており、私利私欲ではなくそれが娘の幸せだと思っている。

 その乖離に、青年だけが気づくことができた。


「さぁ、勝つための行動を始めよう。まずは君の名と、有する式録を教えてもらえないだろうか」

「ああ」


 青年の手に、剣が生まれる。

 魔術ではない。魔術よりも遥かな高みの力『式録』によって生み出された創造物。

 放たれる光と激烈な魔力の圧に、魔術師は興奮に身を震わせる。


「素晴らしい……! なんという強大な魔力だ……!」

「俺の名前を聞いたな、魔術師」


 確かな実力を持つ魔術師による、惜しみない賞賛。

 彼は本当に、善意のみでこの戦いに臨み、勝つ気でいた。


 その時点で、終わっていた。


「_____ぇ」

「 消 え 散 れ 」


 魔術師の肉体が三分割され、血と臓物を散らして砕けた。

 乾いた一声のみを断末魔として許された魔術師は、部屋の一面を赤く染める形でしか、その命を使うことを許されなかった。

 アバターの力ある声が、切りつけられた魔術師の肉体を瞬時に分解。肉片すら残さず消えることを強制された。

 それが、式録の力。

 召喚からものの数分で、アバターの青年はこの世界の仕組みを、そして己の力の使い方を、そして召喚主である少女の状態の全てを悟ったのであった。


「……もう、お父さんはいないよ」


 青年は赤く染まった手を髪をかき上げ、額についた傷跡を晒す。

 なんてことはない、幼少期の頃に負った傷跡。消えることなく残り、自身にとっては呪いであり、同時にシンボルとなった、かけがえのない傷。

 サウラが額に刻まれた魔術の模様とは似ても似つかない外見ではあったが、それだけの共通点が青年の心をサウラに縫い留めたのだ。

 青年はこの時、執着を得てしまった。

 自分と同じ傷を持つ少女を、見つけてしまった。


「僕と来るんだ。サウラ」


 血に染まった手を拭き取り、その額に触れる。

 シーカーとアバターの間に結ばれた薄くも絶対に切れない縁。

 それが、サウラの世界に変異をもたらす。


 * * * * *


 その世界は永遠に美しく、永遠に孤独であった。

 サウラが望んだものだけがあり、サウラの知るものだけで構成される未知なき世界。そして、サウラ以外の、誰もいない世界。


「……嫌だ」


 最近になって訪れた変異は、父からもたらされた命令だった。


『喜べサウラ。その世界から、出られるかもしれないよ』

『今から行う契約に、同意しなさい』

『今からお父さんと一緒に戦うんだ』

『勝てば、第七世界に行くことができるんだ』

『そうすれば、その世界から出られる。もうすぐ終わるこの世界から抜け出すこともできる』

『さぁ、契約に従い召喚術を使いなさい』


 命令はいつだって一方的なものである。

 サウラはいかなる言葉も外に発することはできない。脳内に構築された結界によってサウラの精神だけが肉体から切り離された状態であり、どれだけ思念を飛ばそうとも魔力を動かすことができなかった。

 逆らうことなどできない。

 逆らおうと思うことすらできなかった。

 なぜなら、理解できるからだ。


「嫌だよ、お父さん……!」


 父からの命令が、愛に満ちたものであることが。


「私、戦いなんて嫌だ。別の世界に行くなんて嫌だ。私は……」


 その愛が、母によって閉じ込められた自分を救い出したいと考えてのことであると。それと同時に、先立った母の思いを受け継ぎ、天才として生まれたサウラの才能を最大限に活かしたいと考えてのことであると。

 父として、魔術師として、確かに愛されていた。

 単に、どうしようもなく相容れない二つの愛を共存させてしまったが故の狂気なのだと、当人は気付けなかっただけだった。


「私は、お父さんとお母さんと、また一緒に散歩がしたいだけなの」


「私は、魔術師になんてなりたくないの!」


 少女はどこにも届かない声を叫ぶ。

 それがどこにも、誰にも届かないことを学んでいても、尚。

 報われない思いだと分かっているからこそ、より強く、より鮮烈に感情を発露させた。

 その感情が、ついに届く。

 結界の壁を切り裂き、彼女の元へと舞い降りた、青年のアバターの元に。


「君が、サウラか」

「あなたは……だれ? どこから入ってきたの?」

「僕はトグロ・レツ」


 青年、トグロは名を告げサウロの手を取る。

 サウロにとっては閉じ込められてから初となる、会話が成り立つ情景。

 それが、彼女の迷いと恐れの全てを取り払った。


「君のために戦う、君のアバターだよ」


 今ここに、トグロは目覚める。

 生き残るためでも、勝つためでも、帰るためでもなく。

 一人の少女を、解放する。ただそれだけのために、どんな犠牲も厭わない怪物が生まれた。

 

「よろしく、サウラ」

「……私も、よろしくお願いします。トグロさん」


 

 

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