姫は武器を手に入れた


「深山、深山。これかな」

「……う、うん、多分」


 姫川と僕は夜のドラッグストアに来ていた。


「わ、こんな色になるの? 可愛い!」


 目的のものはすぐに見つかった。

 姫川はリップクリームを入手したいらしい。


「……普段使わないの?」

「冬はたまに使ってる。パパが買ってくれたやつ」

「ふう、ん」

「でもみんなは年中使ってるんだって」

「へえ……」


 家から徒歩十分足らずなここは、たまぁに来る。

 だけどこういうものが並ぶエリアで立ち止まることはなかった。

 別に悪いことをしているわけじゃないし、そこまで場違いというわけでもないはず。でも僕は居心地が悪かった。女子と一緒に外出をしている、というのもあるのかもしれない。


 リップクリームか。冬だとCMでちょいちょい見るけど、こんなに種類があるんだな。

 一体どう違うのか。配合成分の違い、発色の違い、デザイン性……。パッケージに映ってる唇の写真はどこまで真実なのだろう。


「ねぇ深山、保湿成分についてどう思う?」

「は? ……どう思う、とは」

「いやね、どのリップにも書いてあんだけど必要なのかなあって思って。なんかベトベトしそうじゃん、夏場はさっぱりがいい」

「……そりゃまぁ、だって口を保護するために使うんだろ、これ」

「ほおん」

「……。あ、ほら乾燥から守るって書いてる」

「ふうん」

「潤いは大事なのでは」

「そうなの? 舐めときゃ潤うくない?」

「……」


 僕はここで察した。姫川のリップクリームご所望の動機は色がつくことであると。

 年中使っている『みんな』はきっと唇保護のために使っているのでないかと僕は思うのだけど。


「これにしようかな」

「……うん、いいんじゃない」

「適当やめて。一緒に選んで!」

「ええ……。わ、わかんないよそんなの」

「今私はこれがいいかなって思っています。似合うでしょうか」

「に、似合わないとかあるの?」

「だって色がつくんだよ」


 ところで。どうして僕が連れ出されているのかと言うと、とても単純な話で。

 姫川は一人で買い物するのが不安だったんだ。初めてのメイク道具(といっていいのかは知らない)らしいから。


 友達を誘えばいいと思うけど、姫川は無知であることを恥じている。

 それも周りが姫川を『大人』とか『経験豊富』とか言っているせいだ。最初は否定していたそうだけど、いつしか疲れてしまったと聞いた。

「そこまでムキになることでもないしねぇ」と姫川は笑ったくせに、その後小さくため息を吐いたのを僕はしっかり覚えている。


 クラスの奴らは知らない。

 女子がメイクの話をしているのを聞きながら「呪文か思った」と圧倒されていた姫川を。

 美容知識は皆無なんだ。本人曰く「びっっっっくりするくらい興味ない」のだ。

 でも周りにはそう見えていない。僕だって教室での姫川しか知らなかったら、キラキラ女子=オシャレやメイク大好きってイメージだったと思う。


 そんな姫川が顔面に色をのせたいと思う日が来るとは。


「派手かなぁ」

「口紅じゃないし、そんなに色つかないのでは。……わかんないけど」

「そう? じゃあこの真っ赤なのにしよ!」


 だろうね。姫川が選ぶものは分かっていた。「これがいいかな~あれもいいかも~チラチラッ」と、僕に意見を求める間もずっと離さなかったから。


「日曜、みんなで遊び行く時つけようっと。ドキドキするう」

「……」

「それまで我慢できるかな、私。明日つけたいかも」


 くふふ、と嬉しそうに。だけど照れているみたいな顔で笑って、姫川は会計へ向かった。



 *



 ドラッグストアを出て姫川はすぐそばにあるコンビニへ。レジ横にあるチキンを二つ買って、一つは僕へのお礼だとくれた。

 頬張りながら僕らは長い階段を下りていく。


「深山、口てっかてか!」


 街灯の下、姫川は僕へ振り返り笑った。

「……そっちもだから」と言えば、姫川は残っていた欠片を口に放り込む。あむ、とチキンにかぶりつく僕に、姫川はパチンと指を鳴らした。


「ねぇ、深山。私すごいこと気付いてしまった」

「……」

「これ、リップ代わりになるんじゃない?」


 ならないよ。


「美味しいし一石二鳥じゃん」

「……でも色はつかない」

「はっ、確かに。盲点」


 盲点とは。ほかにもいろいろ見落としてると思うけど。


 包み紙を折りたたみながら姫川の背中を見る。

 手に持っている小さな袋を顔の前に掲げる姫川は弾むように歩いていた。多分笑っていると思う。

 後ろを歩く僕には見えないけど、なんとなく想像できる。さっきと同じ……ううん、きっとさっきよりも満面の笑み。

 勝手な想像に僕の口元はちょっとだけ緩んだ。



 住宅街を進んで、やがて見えてくるお互いの家。

 僕たちはご近所さんだ。

 といっても半年ほど前、僕の家の隣に建つアパートに姫川が越してきてからなんだけど。


「明日、お邪魔しますねー」

「あ、はい」

「楽しみ~。早く学校終わんないかな~」

「まだ始まってもいないのに……?」


 お父さんと二人暮らしの姫川は、たまにうちで一緒にご飯を食べている。

 でもそうじゃない日もこうして一緒に時間を過ごすことがある。姫川が「今夜いい?」と聞いてきて、断る理由のない僕は「はい」と答えて。

 今日は買い物だったけど、大抵はうちの庭と姫川んちのアパートの間にある塀を挟んで過ごす。


 基本的に喋るのは姫川で、僕は大した返しもできず大体が相槌だけなんだけど。でも毎回姫川は「ありがとう」と言う。

 だから僕でも何か役に立ててるような気がして、少し嬉しかったりする。


「じゃまた明日、おやすみー」

「う、うん」


 アパートの一室へ消えるのを見送ってから僕も家へ入った。


「ただいまー」


 そんな時間を過ごした後の僕の声は、多分いつも、ちょっとだけ高い気がする。





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