第29話 騎士は侍女を獲らまえる


「君にはすまないと思っているが、俺には、心に住まう女性ひとがいる」


 思わずそんな言葉を吐いた俺を、レティシアーネ嬢は目を見開いてこちらを見たかと思うと、にっこりと笑みを返してきた。


「そうでしたか。承りました。―――それでは、おやすみなさいませ」

「いやいやいや。待て、ちょっと待て。待ってほしい。そうじゃなくて」


 随分失礼な態度を取っているのにこの聞き分けの良さは何だろう。もっと反論してくれても良いのに。そう思ったのだが。


「だって、私と共寝するつもりはないと仰っているのですよね。所謂“白い結婚”をお望みなのでしょう。身体に負担がかからずに済むのですから、私としては有難くお受けいたします。適当な時期を選んで離縁していただければ結構です。そうしたら貴方様も、何処どこの何方どなたか存じませんが、愛する方と結ばれるのですし、大変喜ばしいことかと。応援して差し上げますよ。

 ですが、私と結婚している間は、あんまりお盛んにその方のところへ通われるのはちょっと、デュトワ侯爵家としても外聞が悪うございますので、そこそこにしていただいた方が宜しいかと思います。それにしても、――そういうことでしたら結婚式をする前に一言あっても宜しかったのでは? まあ、婚約してからまともにお会いしたのも今日が初めてですし、伝える暇もなかったのかもしれませんが」


 ぺらぺらとそう一気に捲し立て、手を腰に当ててふんすという鼻息が聞こえてきそうな態度にすっかり困惑していた。思っていたのと違う。そんなふうに。

 以前、図書室で会ったレティシアーネ嬢はこんな人だったか?


 改めて今日我が妻となった女性をじっくりと観察する。

 プロスト子爵にエスコートされて歩いている時、僅かだが違和感を感じていた。それは、披露宴に参加してくれた客に挨拶しに回っている時にも思った。手を添えた時に感じた背中のしなやかさ、柔いだけでない腰の動き、しっかりした体幹を感じる姿勢の良さ。それからダンスをした時の、すっぽり腕に収まる覚えのあるサイズ感。


 目の前の女性は、誰なのだ。もしや。


 彼女の手を取ろうと手を伸ばすと、じりじりと下がられてしまった。怖がられているのだろうか。ちょっと傷つく。剣で突きを入れる要領で大きく足を出して一気に距離を詰めると、反射的に後方へと飛び退かれた。こんなの、普通の令嬢の反応ではない。ぱしっという音が聞こえるほどに強く手首を取り、軽く捻って、ついでに片足を払ってやった。バランスを崩してこちらへと倒れ込んできたところを、しっかりと抱き留めた。


「ちょっ……っ! ユーグ様、何なさるのです?」

「うん、確かめようと思って」

「はっ……?」


 身動ぎして腕の中から抜け出そうとするが、これは彼女の全力ではない筈だ。


「どうしました? 本気出せば逃れられる筈ですよ、貴女なら」


 そう耳元で囁いてやると、弾けたようにこちらを見てくれた。さあ、どう出る?

 前のように足が股間を狙うことは無かったが、代わりに腕が上がり、肘を叩き込もうと振り上げている。まったくこの人は、物騒な人だ。いったん身体を離して躱した後、すぐに反転しそのまま抱き上げて寝台へと放り投げてやった。

 ははっ、楽しい。

 女性に対する振舞いではないことは分かっている。だが、こんなことで怯む彼女ではない筈だ。


「高潔な騎士様が女性相手にやることではありませんよっ!」


 寝台の上でくるりと回転して受け身を取り、片膝を立てた状態でこちらを睨み付けている彼女は、思った通り美しくも魅惑的だ。眦を決してこちらをひたと見据える彼女を可愛いと思うあたり、俺もたいがいだな、と自嘲した。嬉しさのあまり素早く寝台に飛び乗って彼女の上に覆い被さり、全身で押さえつけるように身体を熨してやった。


「あ、あの……っ! ユーグ様っ」

 抗議の声を上げているが、それは無視して彼女の耳へと手をやる。


「レティシアーネ、それが本名か?」

「え、はい、そう、ですけど……」

「レティって呼ばれてる?」

 半分固まったように小さく頷いた。俺が何をしようとしているか、察知したのだろう。


「今日は琥珀じゃなくて、真珠のピアスなんだな」

「……っ!」

 片方を外すと視界がぼやけた。


「では、……シアというのは?」

「……<司書>の、仕事用の名前です……」

 がちがちに強張っていたのが、観念したように徐々に力が抜けていくのが分かった。


「ん、俺だけの呼び名が欲しいな」

 もう片方も外してやると、以前見た見事な白金プラチナの髪が表れた。


「……なんて綺麗な色だ。これを隠さなきゃいけないなんて、勿体ない」


 倒れていた時には見せて貰えなかった深紅の瞳がゆらゆらと揺らめいている。

「レティシアーネ、レティ、シア、……うーん、……レーネ、レーネと呼んでもいい?」

 彼女は俺から目を逸らしてそっぽを向いた。


「――ユーグ様、これを見ても怖くないんですか?」

「怖いとは? 」

「面倒ごとに巻き込まれたんですよ、これを知るということは」

「だから?」

「だから、……結婚してしまいましたが、すぐにでも離婚して下さっても」


 レーネ、俺だけの呼び名を呼んで、じっと視線を合わせた。


「レーネ、俺はずっと侍女殿を、シアを追いかけていた。レティシアーネ嬢は好感が持てるがそれだけだ、シアよりも愛せるとは思えなかった。でも」


 もう逃げないと分かるほどには身体の力が抜けていたので、体重を掛けるのを止めて、身体を起こして座らせる。


「こうして君が来てくれた。レティもシアも同じ人なら文句ないよ。このまま俺の妻で居てくれ」


 そっと肩を引き寄せて、後頭部に手を差し入れ、艷やかな髪を梳く。俺の妻。いい響きだ。彼女が納得してくれるまで何度も何度も梳いて、髪に口付けを落とす。


「レーネ、これからは俺に護らせてほしい。何ならここで騎士の誓いを捧げてもいい」

 扇情的な透ける夜着の裾を捧げ持ちキスをした。


「ユーグ様、……そんな誓いを立てなくても、貴方のことは信じられます。信じています。ですから、――私のことは対等に見て欲しい。それだけです」

「レーネ、だったら様はいらないよ」

「……好き、です、……ユーグ。本当は、結婚出来て嬉しかった」

「ありがとう、レーネ。愛してるよ」

 煌めく深紅の瞳を見ながら唇を啄んだ。嬉しくて、顔中あちこち啄んでしまう。


「背中の傷はどうだ?」

 ずっと気になっていたことを聞いた。もうすっかり治っているというが、この目で確かめたい。髪を掬い上げて夜着を下げた。俺を庇ってついた傷が、まだ筋になって残っていた。


「もうこんな無茶はしないでくれ」

 懇願するように傷を指先で辿った。背中がまた緊張して固まる。

「どうした?」

「あ、あのっ、ごめんなさい、こんな、キズモノで」

 刹那、怒りが込み上げた。レーネにではない。こんな傷を負わせた自分自身にだ。


「これは俺の為の傷だ。感謝こそすれ、キズモノなどと貶めるのは、君でも許さないよ」

「ユーグ、さま、……」

「様はいらない」

「あの、ユーグ、でも……仕事を続けてもいいですか?」

「ああ、構わない。俺は真摯に任務を全うしようとする君に惚れたんだから。だが、危険なことはしないでくれ」

「良かった……じゃあ、私に近衛仕込みの剣術を教えてください」


 えっ。なんだって。


「今回の件で思い知ったのです。やはり剣術も必要だって。正攻法ありきの奇襲ですよ」

 ぐっと拳を握りしめてひとり頷く人をあ然として見てしまった。自然、笑いが込み上げる。こうでなくちゃ。間違いなく俺の愛した人だ。


「やはり君には敵わないな。今度は剣でなく体術で勝負したいと思っていたのだけれど」

「え、えーっ……」


 戸惑っているレーネを今一度抱え直して、角度を変えて何度も口付けを贈った。


「その前に、君を甘やかしたい」


 ちょっと待って? という非難の言葉を口の中に飲み込んで、今度は加減してそっと寝台に縫い留めた。


 大公殿下には感謝しかない。これからは殿下の代わりに俺が彼女を、レーネを護る。腕の中でその瞳に負けないほどに真っ赤になっている愛しい人の首筋に、顔を埋めた。


 ―― fin ――


―――――――――――――

これで完結です。

お読みいただきありがとうございました。

またお会い出来ますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

司書と侍女、どちらがお好きですか? ~近衛騎士はあの日の侍女を探している~ 久遠のるん @kuon0norn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ