第28話 騎士は司書と婚姻す


 あれから何度となく王宮の文官用図書室へと通っている。プロスト子爵令嬢と会って話をする為だ。だが、何度行っても本人には会えなかった。


 一度など、<図書館>の諜報員であるジョスランを見掛けたので、即捉まえて侍女殿の様子を問い質した。

「すみませんね、デュトワ卿相手でもアイツのことは軍事機密トップシークレットなんですよ」

 いつもの様にへらりと笑いながら答えてくれた。


「仕方がないな。ではプロスト子爵令嬢に会いたいのだが」

「レティなら、今体調を崩していて療養中です。プロスト子爵家にいる筈ですよ」

「……嘘つけ。行ってみたがここにはいないと言われたぞ」

「は、子爵てば意地悪いですね。でも僕からは何も言えません。申し訳ありません」

 伯爵家三男だという彼は、優雅に腰を折って一礼してみせた。

「僕は貴方が気に入ってます。だから、レティを宜しく頼みましたよ」

「―――」


 俺の婚約者だというレティシアーネ・プロスト子爵令嬢。ここで前にレファレンスしてくれた人だ。一度会ったきりだが、きりりとした理知的な瞳と聡明さが印象的な人だった。にこにこと愛想良く笑う彼女は、確かに可愛い人だと思ったが、それ以上の感情は無い。


 兄は二年前に結婚して第一子もそろそろ生まれる頃だ。次男とは言えいつまでも独り身でいる俺を家族や親族も責め立てた。お前も良い年だから相手を連れて来いと母からも煩く言われていた。こちらの感情を無視して擦り寄ってくるような女は願い下げだが、レティシアーネ嬢なら良い関係を築けるだろうとは思えた。だが、侍女殿を知ってしまった今、俺の心は彼女だけを渇望している。レティシアーネ嬢には悪いが、縁談を何とか出来ないか、相談したかったのだ。


 間の悪いことに、こんな時に任務の為長く王都を離れることになる。侍女殿にもレティシアーネ嬢にも会えないまま、気持ちばかりが上滑りして焦っていた。


 ◆


 リシャール殿下と婚約が整った後、エリーザ様は鈴を転がしたような可憐な声で爆弾発言を落としていた。曰く、国境を一緒に越えてきたあの偉そうなギーレン宰相は、カンテ伯の読み通り、本当に姿を変えたエーデルシュタイン公その人だったというのだ。


 輿入れが上手くいかなかった場合は、エーデルシュタインにも帰らずにどこかでひっそり暮らすつもりだったという。

「こちらなら、この目も嫌がられないと思って」そう、目を伏せて語るエリーザ様のこれまでの苦労を思うと、皆いっそう庇護欲を掻き立てられた。


「それに、この金の瞳はお役に立てると思うのです」と意外な事を言い出されたのだ。なんと、聖石に限らず、宝石や貴石の鉱脈がはっきりと視えるというのだ。それを聞いた我がマルゴワール宰相閣下は色めき立った。手当たり次第掘るしかなかった鉱脈がピンポイントで分かるならば、どれほど効率良く採掘出来るようになるのか。その効果は。


 母親である公妃が亡くなられた後に残された手紙に、その能力について書かれていたという。そういう能力ギフトが授かることもある、と公妃自身もアジーラの男から聞いただけなので、本当なのかどうか分からない。しかしそれを偶然知ってしまったギーレン宰相が、エリーザ様を鉱脈探しの道具にする危険を察知した大公が、宰相を出し抜き自ら国境へと出向いたという訳だ。


 ただ宰相に勝手なことをさせたくなかったのか、それとも父親として守ってやろうとしたのか。本心は見えてこないが、エリーザ様は、大公の計らいに感謝をされていた。


 そこで、カンテ辺境伯へのお礼かたがたさっそくペランの枯れたとされる鉱山で試してみることになったのだ。

「ダメ元で大丈夫だよ。出来なくたって私の心は変わらない」

 不安がるエリーザ様を優しくフォローするリシャール殿下に見せつけられて、独り身には目の毒な行幸となった。


 合間を縫ってレティシアーネ嬢にも侍女殿にも手紙を書いて送ったが、どちらからも返信は無かった。途中で誰かに握りつぶされているのか。そんなふうに思ったが、侍女殿へのものはともかく、どう考えても婚約者であるレティシアーネ嬢への手紙を本人に渡さない意味が分からない。どうしたらいいのか。


 ペランの鉱山で、鉱脈が視えることが証明されたエリーザ様は、それから視察も兼ねて、あちこちの鉱山巡りをすることになった。俺はいったいいつ王都へ戻れるのか。


「ユーグ様、ご婚約おめでとうございます。わたくしとリシャール殿下も婚姻式に出席させてくださいね」


 無邪気にそんな祝いの言葉を戴いたものの、俺は困惑しきりだった。


 ◆


 とうとう婚姻式当日となった。その十日前にようやく王都に戻った俺は、今度は結婚前の準備とやらに忙殺されることになってしまった。結局、侍女殿にもレティシアーネ嬢にも会えないまま、だったのだ。なんてことだ。


 誰かの陰謀か? と本気で考え、黒幕は大公殿下なのか、プロスト子爵なのか、いや宰相閣下やもしれん。などと疲れた頭でぼんやりと考えた。家族は満面の笑みで出迎えてくれ、同僚たちには羨ましがられ、友人たちも寿いでくれ、結婚するのが嫌だとはもう絶対に言えない状態だった。


 俺のいない間に、家族との挨拶も済ませたらしい。プロスト子爵と昔から交流のあった父は喜び、母などはこちらがびっくりするほどレティシアーネ嬢をやたらと褒めちぎり、大公殿下に感謝なさいと喜んでいた。娘が欲しかったのよと様々な花嫁の支度を嬉々として一緒にやっていたらしい。

 ……もう、すっかり外堀は埋まっていた。後には引けなくなっていた。


 大公殿下の計らいで、王族も使う大聖堂の広間で式を上げることになっていた。エリーザ様やリシャール殿下はもちろん、大公殿下や宰相閣下、ほか近衛騎士団の団長以下同僚たち、学友たちなど、たくさんの人が見守る中、プロスト子爵にエスコートされて俺のところへとしずしずと歩き進んでくる婚約者を眺めていた。その頃にはいい加減観念して、侍女殿の影を思わないようにしていたが、それは裏返せば意識していると同義だった。


 俺の瞳の色である翡翠色をイメージした、明るめの緑の布で作られた、身体に沿ったドレスはシンプルだが美しく、裾に施された細かな刺繍が見事なものだった。透けたオーガンジーでふんわりと包まれて、散りばめた真珠のビーズが上品な光を放っている。鎖骨を見せたデコルテラインは繊細なレースで覆われて、巻かれたエメラルドのネックレスが項の華奢さを際立たせていた。白く肘まである長い手袋に、エリーザ様が付けられていた様なヴェールが楚々とした新婦の演出に花を添えていた。


 認めよう。この時には眼の前の美しいレティシアーネ嬢にくぎ付けになっていた。


 司祭の誓いの言葉を俺と彼女が復唱する。誓いの口付けを、と言われてそっとヴェールを捲った。こちらを見上げる赤く縁取られた琥珀の瞳は不安げに揺らめいていた。一度しか会ったことのない良く知らない男との婚姻だ、不安に思って当然だろう。大丈夫だという気持ちを込めて、触れるだけの口付けを落とす。この瞬間は確かにレティシアーネ嬢を好ましく思っていた。


 だが、その後の披露宴から抜け出して初夜の為の湯浴みをした頃には、また侍女殿のことを思い出し、こんな気持ちでこの先果たして大丈夫かと思った。思ってしまった。だから、―――。


「俺には、心に住まう女性ひとがいる」などと、要らぬ宣言をしてしまっていたのだ。


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