第25話 大公は残念に思う


「シアは大丈夫だ、命に別条はない。傷もそれ程深くなかった。だがナイフの刃に何かの毒が塗られていたらしい。その影響を受けて今は熱が出ている」

 眉間に皺を寄せた大公殿下が侍女殿の状態を語ってくれた。背中の傷は浅く、それでも数針は縫う羽目になったとのこと。あれがエリーザ様だったならひとたまりもなかっただろう。


「すぐにでもあいつの口を割らせたい」


 ぎりという音が聞こえてくるかと思うほどに唇を噛み締めている。長く<図書館>で共に働いてきた人間だ、きっと信用なさって重用していたに違いない。宰相閣下とて同じ気持ちだったようだ。ジャン=リュックが用意していますが、と小さな声で言った。それは気持ちをどうにか抑えようとしての小声に聞こえた。


「だが、シアをここへ置いておきたくない」

「では俺が見張りに立ちます。殿下たちはどうぞプロスト子爵の処へ行って下さい」

「いや、君にも立ち会って欲しいのだ。君もシアと同じく警護を担ったのだから」

「――分かりました。信頼出来るものをこちらへ寄こします。少し時間を頂きます」

「宜しく頼む」


 その場をいったん離れた俺は、ジョルジュを探して第四隊の騎士を何人か寄こすように頼んだ。するとケヴィン隊長直々に四人ほど引き連れて侍女殿のいる部屋へと来てくれた。さっそく侍女殿の警護を頼むと、大公殿下と宰相閣下の向かった先へと足を向けた。


 ◆


 幾人もの兵士に厳重に守られた部屋に迎え入れられた。中には捕えられたフェリクス・オーブリーが椅子に括り付けられて座らされていた。その前にはプロスト子爵が苦虫を嚙み潰したような顔をして仁王立ちになっていた。宰相閣下はぐったりと就かれた様子で壁に凭れて立ち、大公殿下はオーブリーと向かい合う格好でソファに座っていた。他にも俺の顔の知らない上品な紳士や屈強な騎士がいる。場違いな笑みをへらりと見せたのは、確か<図書館>の諜報員のジョスランという男だったはずだ。


「ああ、貴方がデュトワ卿でしたよね。なるほどね~」

 と含みのある言い方をすると俺の顔をまじまじと見ている。

「ジョス、彼に失礼だぞ」

「はいはい。すみませんね。では調べたことを報告しましょうか」


 軽口を叩くような口調で彼は話し始めた。それをじっと目を眇めて他人事のようにオーブリーは眺めている。

「<図書館>で働いてもう十年ほどになりますね、フェリクス先輩」

 良い笑顔に見えるが、目元は笑っていない。ジョスランは真っ直ぐにオーブリーと対峙する。

「信頼されて好きな研究もさせて貰っていい給料も貰っている筈なのに、どうしてですか。血迷いましたか。――僕はアイツを傷付けた貴方を許しませんよ」


 そう言うと、オーブリーの傍に寄り、おもむろに手を耳に近付けた。はっと気付いたオーブリーが顔を背けるが、動けないので完全には避けられない。がっつりと頭を押さえられて耳に着けたイヤーカフを外された。

 すると。さあと見た目が変化した。オーブリーの片目が金色に瞬いた。彼は蒼と金のヘテロクロミアだった。


「フェリクス、その目は、……」

「先輩は辺境のロウムという小さな村の出身だそうですね。<図書館>の記録にははっきりと残ってませんでしたが、改ざんしていたのかな。僕はそのロウムへ行ってきました。生家は分からなかったけれど、教会の記録にフェリクスという名が残っていて、村の孤児院に預けられていたことは分かった。でもこの通りの珍しい瞳だ、田舎のことだからどうやらかなり嫌がらせを受けたらしい」


 酷い話だが、生まれた子どもの瞳を見た親が、気味悪がって孤児院へと棄てたという。母親は俺たちがこの間までいた国境のペラン近くで働いていたらしい。その頃はまだ、あの街は鉱山で栄えていたから働き口はたくさんあったのだろう。


「ということは、父親はもしやアジーラの?」

 エリーザ様の兄の公子殿下の話を思い出して思わず口を挟んだ。

「良くご存じですね。そうみたいですよ、アジーラの聖職者というか鉱山技師? 一昔前にはペランも聖石が採れましたからね」

「アジーラの血の掟はどうなっている? 血統を守る掟があったろうに。金の瞳を他所に出さないという……」

「そりゃ殿下、アジーラの聖職者だって、ただの男ってことです。欲は人並みにあるんでしょう。……てか、わざと蒔いてる可能性だってありますね。先輩のように手駒にするとかね」


 口調はあくまでも戯けているが、オーブリーに向けるジョスランの視線は冷たいものだった。彼もまた侍女殿を同僚以上に見ているのかもしれない。


「ま、そんなこんなで先輩は、子どもの頃から頭は非常に良かったらしくて、村長の推薦を受けて領主がやってる私設の学校へ行かせてもらえた。そこで貪欲に知識を学んで、王都の大学へ進んだ、と。王都の大学へ行くなんて、村長も領主も誇らしいってことで、孤児とはいえかなり祝ってもらったらしいです」

 本人どこまで喜んでたかは分かりませんけどね、そう言いつつオーブリーを見据える。


「結果、見知らぬ親戚やら何やら寄ってきたのを煩わしく思って、その頃ちょうど‹図書館›が募集していた西の国への留学への権利を勝ち取った。んで、帰国と共に‹図書館›に任官したわけですね」

「フェリクス、私たちはお前を本当に信頼していた。優秀な技術者として‹図書館›に貢献してくれた。それなのに何だ、どうして、……っ」

 絞り出すように話す殿下は、拳をぐっと握りしめ、くしゃりと顔を歪めて今にも涙を流しそうだった。


「ま、西の国で何かあったんですね。時間がなくて、裏は取れてないのですが、ファルファッラ夫人経由で聞いた話なんで確かだと思います」


 ジョスランがファルファッラ夫人の名を出した途端、オーブリーの顔色が変わったのを見た。ここまで一言も話さないままだったが、何かを言おうとして口を開くが、金魚のようにぱくぱくと口を開けただけで、音にはなっていない。別に猿ぐつわを噛ませているわけではないのに、どうしたのか。


「何か言いたげだな、フェリクス。先に言ってやろうか。ファルファッラ夫人は西の国のスパイのように言われているが、彼女はこちらの味方だ。亡くなったご主人の愛したヴァイセブルクを彼女も心底愛してくれている。あそこで開かれているサロンは、こちらの情報を西の国へ流すというよりは、西の国の情報を集めるものだ。だから、お前が接触している彼の国の技術者には監視がついている」


 仁王立ちしたままのプロスト子爵が静かに語った。オーブリーは愕然としている。

「夫人の協力で、先輩の留学した時のことを集めることが出来ました」

 あちらはアジーラとも密接な関係がある。聖石だけでなく技術提携もしている。アジーラは小さな島国だ、資源が自国で賄えないから、技術を売り、資源を得ていると聞く。


「文字通り自分の撒いた種である先輩に気付いたアジーラの聖職者と接触があったのが、王都に出てくる前でしょうね。その頃、この認識阻害機能を持ったイヤーカフを与えられたと思われます。‹図書館›に任官する時には先輩の瞳がヘテロクロミアだなんて誰も知らなかった。<図書館>の技術者になれば、聖石も割と手軽に入手出来るし、平民だからって誰も馬鹿にもしない。何が不満だったんですか。何を言われたんです? エリーザ様の暗殺ですか? 見返りは何です?」


 そろそろ話して貰おうか、プロスト子爵がおもむろに取り出したのは、手のひらに収まる程度の大きさの銀色に輝く筒状の物だった。

「デュトワ卿はご存じないかもしれないが、これは『ガイスタ―』と言って精神を短時間だが操れるものだ」

「さっき、宰相閣下に話だけは伺いました」

「そうか。なら話は早い。ここに居る人間はこれについては良く知っているな。さて、デュトワ卿が来られる前にフェリクスにこれを使って一切喋るなと暗示をかけたわけだ」


 なるほど。だから何も言わないのか。というより何も言えない状態だったのか。


「フェリクス、こちらを見なさい。――《こちらがする質問に正直に答えるように》」

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