第24話 騎士は侍女に護られる
「お久しぶりです、デュトワ卿。コルトー卿も」
「騎士の誓いを立てたそうだな、タルナート卿」
「はい、姫様にはお許しを得ました。リシャール殿下もお認め下さったので、これで心置きなく姫様のお側に就かせていただこうと思います」
「まあ、そう気負わなくてもいいと思うが。隣国から来た者同士、仲良くする意味合いでいいんじゃないか」
「そんないい加減な思いではありません」
ちょっと気を悪くした様子のタルナート卿に、悪かった、と軽率な言葉を吐いたジョルジュが謝った。
「エリーザ様はお元気そうだな」
「はい、……ご覧の通り、ダンスも見事にこなされています」
その、ちょっとした逡巡を見逃すわけにはいかなかった。
「―――それで? 何があった」
「……デュトワ卿には分かりましたか。流石ですね」
隣でジョルジュが意味が分からないと首を傾げている。
「脅迫状のようなものが届いたんですよ。離宮の姫様宛にわざわざ。異国人は帰れだの、金瞳は不吉だの、下らない内容が書かれてまして。多分、リシャール殿下のお相手に選ばれたかったご令嬢の仕業じゃないかと思うのですが、今夜は念の為です。姫様のお顔はまだ知られていませんし、あの通りヴェールを被れば分かりませんからね。気が付いたデュトワ卿に驚きましたよ」
「えっ、身代わり?」
「声をあげるな、ジョルジュ。あれはシア嬢だ」
「何で分かるんですかっ? ふ、副隊長、まさか彼女と、もう、……っ!」
「妙なことを勘ぐるなよ。あのダンスの体捌きで分かるだろう」
「体捌きって……。いや、普通は分かりませんって」
ますます感服したというタルナート卿と、どんだけ見てたんですかと呆れたようなジョルジュを見遣る。そんなに不思議なことだろうか。一目瞭然じゃないか。何より元気そうで安心した。
三人でホールで美しい蝶のように踊るリシャール殿下とエリーザ様に扮した侍女殿を眺めていた、その時のことだった。
突然、ホールの天井中央にある一番大きなシャンデリアの光が落ちた。あれはアジーラの聖道具の一つで聖石を使った灯りだ、火ではない。スイッチを把握している誰かが、灯りを落としたのか。
壁側にある蠟燭の灯りは消えていないが、大きな光がなくなったことで目が付いていかず、真っ暗闇の中のようになった。女性の悲鳴があちこちで上がり、慌てた人々がざわざわと騒ぎ始めた。収拾をせねばならない。
大丈夫ですよ、と声を掛けながら、ダンスを踊っていた筈のリシャール殿下と侍女殿の近くへ駆け寄ろうとした。大勢の人がダンスをしていたため、なかなか中心部分へと辿り着かない。パニックを起こした人もいて、狂乱状態に陥っている。
大丈夫です、落ち着いて行動して下さい、との他の騎士たちの声が聞こえる。だんだんと目が慣れてくると、少し状況が見えてくる。ほとんどの人はその場で立ち尽くしているが、悲鳴を上げて座り込むご令嬢や、抱き合うメイドたち、グラスを撒き散らして呆然としている給仕の姿が見えた。大公殿下が大声で落ち着くようにと叫んでいた。国王夫妻は動かずどっしりと玉座に構えていらっしゃる。王太子殿下と婚約者殿も壇上だ。ではリシャール殿下と侍女殿は?
場に似合わない黒いマントを羽織った人物が近寄ってくるのが視界に入った。そのまま真っ直ぐに侍女殿の方へと向かっている。タルナート卿が走り、その人物に体当たりするが、済んでのところでひらりと躱された。その後フードの下から剣を取り出し、リシャール殿下に切っ先を向けたのが見えた。殿下は今丸腰だ、剣を振り翳されて避けようとした殿下はバランスを崩し、床に転がった。男が殿下に気を取られているその隙に、エリーザ様、もとい侍女殿がマントの人物に近付き、後方からドレスを持ち上げ蹴り飛ばすべく足を動かした。回し蹴りが炸裂する。当たったか、いや辛うじて掠った程度だ。一度外れたくらいでは彼女は怯まない。今度は肘から当てにいき、力任せに首筋を狙った。しかし相手も鋭い動きを見せ、侍女殿が繰り出す技をなかなか当てさせない。これだけの動きをする不審者とは、何者か。
次は俺が相手をする。
剣を抜いて二人の間に飛び込んだ。フードを被っていて男の顔があまり良く見えないが、こちらを睨み付けているのは分かる。
「ジョルジュ、タルナート卿、殿下を頼む!」
二人で睨み合った状態でどれだけの時間が経ったか。後ろで息を呑む侍女殿の気配が伝わってきた。どうしたのだろう? とにかく早くここから離れてくれ。
「……っ、先輩、フェリクス先輩、ですか?」
「……エリーザ様、ではないのか? お前は、……っ」
さらりと衣擦れの音がする。ヴェールを脱いだらしい。後ろを確認する事が出来ない。少しでも目を外すとこちらがやられてしまう、そんな剣呑な目をした男をじっと睨ねつけた。だが、男の視線は俺を見ずに後ろに向かい、今度は男が息を呑んだ。と、唐突に叫び声を上げた。
「あ、うああああ……っ!」
剣を大振りに振って、俺に飛び掛かってくる。それまでの冷静さを置き忘れたような動きだった。こうなった方が分かり易い、軽くいなして、剣を叩き落した。すると相手は無謀にも真正面から走り込んできた。何処かに仕込んでいたのか、男はこちらへと何かを差し出すようにして長細い筒のようなものを手にしている。ついでもう一本隠し持っていたナイフの刃がきらりと光った。このまま剣を振りかざして妙な筒ごと男の腕を切り割こうとした時、侍女殿の身体がこちらへとぶつかってきた。
「駄目、ユーグ様……っ! あれは切っては駄目!」
何がどうなっているのか、一瞬の判断が鈍り、侍女殿を剣で傷付けないようにするのが精一杯で、マントの男を躱しきれず、ナイフの刃を受けてしまう、と思った。その刹那、俺と男の間に入り込んだ侍女殿がその刃を背中に受けたのが分かった。ドレスが切り裂かれ、背中にナイフの刃がめり込んだのを見た。相手の男はいっそう大きな叫び声を上げた。バランスを崩した状態だったが、男の足に向かって剣を繰り出し、何とか動きを止めようとした。
天井の灯りが再び光を取り戻し、辺りの惨状がはっきりと見えてきた。リシャール殿下はジョルジュに抱えられた状態で、王太子殿下と並んで壇上に避難していた。目の前には俺に足を切られて蹲ったマントの男がいる。こちらを見て微笑んだ侍女殿がふらりと床へと倒れ込む。
「確保ーー!」
いつの間にか集まってきた何人もの騎士たちが男をのしていた。
そっちはもうどうなっていても構わない。俺は荒い息をする侍女殿を抱き起した。ドレスの裂け目から血が滲んでいるのが見える。大公殿下がこちらへと走り寄ってくる。滅多に見せない必死の形相で明らかに動揺されていた。すぐに医官を遣わす、との言葉を聞きつつ、彼女を傷に触らないようそっと抱き上げ、先導する宰相閣下の後を着いていくことになった。
夜会の開かれていたホールにほど近い、宮廷医官が待機していた部屋へと侍女殿を運び入れた。寝台に静かに寝かせ、そっと頬に触れる。冷たい。荒い息を吐き、苦しげに眉間にしわ寄せている。そんなに酷い傷には見えなかったが、……。目を覚ましてくれる様子はなかった。心配だ。
「ユーグ、治療するから出て行きなさい」
と宰相閣下と共に部屋の外へと放り出された。
◆
「さっきの男は、フェリクス・オーブリーなんですね」
「ああ。確かにオーブリーだった。……まさか彼がエリーザ様を狙っていたとはな……」
そう言った宰相閣下は、妙に疲れたように息を吐いた。
「正直、‹図書館›の人間に悪事を働かれては防ぎようがない。奴らは要らん知恵がついている。困ったものだ。加えてあいつは技術者としてアジーラの聖道具に精通している上に、持ち出す権限もあるからな……」
「と言われるということは、彼は何かを」
「君には話しておこう。オーブリーは聖道具の一つ、『ガイスター』という精神を操れるものを持ち出していた。国境の街でチョコレートに薬物混入があったそうだな。それからシアがナイフで狙われた。それから宿屋の爆破……それを使って他人にやらせたと思われるのだ」
「……!」
「シアと共に帰ってきた料理人のブノアの、爆発前後の記憶がどうもはっきりしないのだが、あの道具を使われた可能性が高い。つまりオーブリーに操られ、例えば爆弾を部屋に仕掛けたのかもしれない。今はカンテ伯に預けられているアベルという男もだ。急にナイフを投げたそうだが、その道具のせいだとすれば話は簡単だ」
「先ほどは確かにエリーザ様を害そうとしていました。しかし、ナイフはシア殿を狙い、爆発させたのは俺と部下が使う予定だった部屋です。エリーザ様が標的ではなかった」
「……さっき、シアが君を止めただろう? オーブリーを切りつけようとしていた時だ」
「はい。何故止められたのか分かりません。そんなことしなければ、彼女は怪我をせずに済んだはずなのに」
「あいつが手にしていた長細い筒状のものを見たか? あの中身は刺激性の強い液体が入っていた。あれが万が一撒き散らされていたら危険な代物だった。切らずに正解だ」
「そんな……っ!」
「こうなったら、本人に尋問するしかない。プロスト子爵が準備をしているだろうから、シアの治療が終わったら後で合流しよう。大公殿下も直にお聞きになりたいだろう」
その後は二人して押し黙って侍女殿の治療が済むのを待っていた。本来ならばホールへ戻り、事の収拾に図るべきなのだが、閣下は何も言わずに側に置いてくれた。俺がどれほど心配しているのか、察してくれたようだった。
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