第22話 侍女は想いを自覚する

 ライナッツ卿と二人で話し合い、王都とカンテ伯への報告を二手に分かれてすることになった。連絡用に二名の騎士をこの街に置き、私とブノア、代表であるライナッツ卿、それからボドワン、ヤニクの五名で王都を目指す。残りはカンテ伯へ詳細を報告して、必要ならば本人に出向いてもらうという。


「アベルはどうなるのですか」

 不安そうにブノアが聞いてきたが、私にも何とも言えない状態だった。とにかく全ては大公殿下に報告を上げ、それからだ。


 不安といえば、あれからフェリクス先輩の行方が分からない。今この時点でこの場に居ないとなれば、疑惑はほぼ彼に向けられているというのが分からない筈がないのに。エリーザ様を狙う人間に攫われた? それはあまり現実的でないけれど、何処かでそう思いたい自分が居る。フェリクス先輩を信じたい気持ちがあるからだ。


「シア嬢、馬で長時間駆けることになりますがよろしいか」

「ライナッツ卿、ブノアさんをよろしく頼みます。私はひとりで馬に乗れますから。皆さんにご迷惑をお掛けしないように頑張りますよ」


 馬に乗れないブノアは大柄なボドワンが引き受けてくれた。流石に辺境の騎士は鍛え方が違う。馬も立派な軍馬で二人乗せてもどうってこと無さそうな頼もしさだ。乗馬服どころか着替えを一切失ってしまった私は、女将さんの知り合いに借りた簡素なひざ丈のワンピースに作業用のズボンを穿いて馬に乗っている。髪はざっくりと後ろにくくり、手拭いでほうっかむりをして、およそ貴族令嬢には見えない格好だ。

 ユーグ様がこの場に居なくて良かった、こんな姿は見せられない、なんてつまらないことを考える。ユーグ様は無事に王都に入られただろうか。ああ、警護対象のエリーザ様よりもユーグ様が先に思い浮かぶなんて、これはもう重症だな、と頭を振った。


「出立するぞ!」とライナッツ卿の号令が辺りに響いた。


 ◆


 エリーザ様たちよりも二日遅れで私たちは王都に入った。離宮の前で、心配したよ、と大公殿下から抱擁を受け、目を白黒させていると、複雑な顔をしたプロスト子爵に遠慮なく引き剥がされた。


「ジャン=リュック、邪魔するでない」

「歓迎会をするわけではないんですよ、殿下。シア、それからそこの騎士の君、先に報告を願います」

 いつも通りの養父に妙な安堵感を覚えたが、隣でライナッツ卿は苦笑いだ。


「子爵、汚れを落としてきても?」

「その前に、報告です。それにしてもひどい格好だ」

 ジャン=リュック、シアはこれでもご令嬢なんだよ、とぶつぶつ呟く大公殿下をまるっと無視したまま、ライナッツ卿と二人、いつもの部屋へと連れていかれた。


 そこには宰相閣下が待ち受けていて、手ずからお茶を淹れてくれた。そう、閣下はお茶汲みを実は得意としている。昔取った杵柄だとどことなく自慢げに話して下さるのだ。

 私とライナッツ卿の話を一通り聞いた後に、養父のプロスト子爵がいつもよりも増した憮然さを滲ませながら口を開いた。


「それで、オーブリーの行方は分からないんだな?」

「その通りです。厨房で一緒だった筈のブノアの記憶がはっきりとしなくて。明るくなってから辺りを探しはしたんですが、結局分からず仕舞いです」


 ライナッツ卿が居るからどうしようか悩んだが、彼はもう部外者ではないだろうと判断して私はポケットの中の物をテーブルに置いた。火事の中、拾い上げた例の手のひらサイズの筒状のものだ。

「……っ!」

 声にならない悲鳴を聞いた気がした。宰相閣下は息を呑み、子爵は頭を抱えた。


「これは何だ?」

 理解出来ないであろうライナッツ卿だけが不思議そうにじっとその物を見つめている。

「これは、コリンナを助けようと宿屋へ飛び込んだ時に拾ったものです。……私の記憶にあるものだとしたら、フェリクス先輩が<図書館>の倉庫から持ち出したということですよね」

「……あとで在庫を確認させる。しかし拙いな。いよいよ拙い」

「いったいアイツは何がしたいんだ? 何を考えているんだ?」

「シア、実はフェリクスには料理人を送れだなんて命令を出していないんだ。それに私もドレスなど贈り物を持たせていない。ただアベルにシア宛ての手紙を渡しただけなんだ」

「そうでしたか。何だか違和感があったんです。その手紙は受け取りましたが、先輩を護衛に就けたとも一言も書いてなかったし、ドレスも王都に着いてから仕立てるとあるのにどうしてか三着も渡されて。殿下のことだから気を利かせてくれたのかとも思っていたんですが」


 その手紙もドレスも全て燃えてしまっただろう。朝には三階部分はほとんど焼け落ちていたから。自分の荷物は大したものは持ち歩かないようにしているから、さして悔しくは思わないが、エリーザ様のドレスはかなり気の毒なことをした。形見だという宝飾品だけでも持ち出せたのは本当に良かった。


「教えてくれ、いったい何のことだ」

 苛ついた様子でライナッツ卿が話を遮った。

「これは、アジーラの聖道具のひとつだ。端的に言うと、短い間だが精神を操れるものだ」

 ひゅっとライナッツ卿の喉が鳴る。辺境ではアジーラの発明品を目にすることは滅多にないことだろう。しかも精神を操る、なんて物騒なものは。


「では、オーブリー殿はこれを使って事件を起こしていたと?」

「大いに考えられるな。彼が姿を見せないことが最大の証左だ。これを落としてしまって今頃慌てているのかもしれない」

「それにしても、何がしたかったのか理解出来ん。シアも帰ってきたことだし、ジョスランにでも言って、フェリクスを探させます」

「いや、それは難しいだろう。もう二日経っている。二日もあればアイツならば何処へでも隠れてしまうだろう」


「……こんなことを今私が言うのはおかしいですが」

 そう前置きをして私が口を挟んだ。

「フェリクス先輩、いつもと違う気がして。……どういったらいいのか、……今まで隠していたけれど、全力で口説きに来ました、みたいな?」

 そんな訳無いですよね、へへへっと笑おうとしたが出来なかった。思いもよらぬ程に殿下も閣下も真剣に受け止めていたからだ。


 ぎょっとするような目でこちらを見たのは養父だった。任務中に何してるんだ的な驚きか。しかし、ライナッツ卿から嫌な援護射撃が入る。

「ふむ。では私も言わせて貰うが、シア嬢はデュトワ卿とお付き合いされているのか?」もっと驚くようなことを彼が言い出して、今度はこちらが目を剝いた。


「はい……っ?!」

 そんなはずないでしょう! とばかりに私はぶんぶん首を振った。

「私にはそう思える距離感だったがな。しかもそれを目にして、オーブリー殿は機嫌を損ねていたように思ったが」

「こうなったら私も言うが、……シア、暫く前にフェリクスからお前に求婚したいという話があった」

 素知らぬ方を見ながらぼそりと呟く養父の告白を聞いて、またもや目を見開く羽目になる。

 な、何なの? 皆して、なんてこと言い出すの?


「それで、……求婚されたのか?」

「え、いや、いやいやいや! されてません! されてません、けど……」

 全力で否定しつつも、ピアスの石を替えてくれた時のことを思い出す。そう、耳朶から頬に触れて妙に甘い声で、……。

「……何かあったんだな、シア。真っ赤だぞ。この娘は耐性がなさ過ぎるな」

「だから色仕掛けは仕込めないんですよ」

「そんなもの仕込むなよ。私が許さんぞ」

「……ということは、自分で見合わぬ欲を出したか、誰かに良からぬことを吹き込まれたのか。問題だな」

 そう言った殿下に対して、宰相と子爵が神妙な顔つきで頷いた。

「やはりジョスランを出します。フェリクスの実家や交友関係を改めて探らせましょう」


 静かに子爵が宣言し、ひとまず休むようにと言われて部屋を追い出された。ライナッツ卿はまだいろいろ聞き足りないという顔をしていた。そりゃ、分からないのは無理はない。私の本来の髪と目の色を知ればきっと納得するだろうが、今のところそれを打ち明けるわけにはいかなかった。部屋の外で待ち構えていた殿下の侍従にそれぞれの部屋を案内してもらう事になった。


 用意された客室で、フェリクス先輩の様子を思い出していた。求婚、されてはいないが、あのときユーグ様の声がしなかったら、何かあったかもしれないと思うと、寒気がしてきた。先輩は先輩として接してきたし、親切なお兄さんの位置づけだ。私からすると恋愛対象とはなり得なかった。


 それに対して、あの後反撃を見事に躱されてユーグ様から落とされたキスを思うと、胸の奥がきゅうと締め付けられた。それから、別れ際の思いもかけない強い明確な意志を持った抱擁は。

 うん。嬉しかったのだ、私は。対等に扱ってくださる彼に、特別な思いを抱いているのだと自覚した。


 私はこのとき既にユーグ様に、――すっかり惹かれていたのだった。



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