第19話 侍女は見習い侍女を助け出す
食堂は既に熱波で澱んだようになっていた。呻き声が聞こえたので厨房を覗くと、ブノアが転がっている。どうしてこんなところで? いや考えている暇はない。水を運んできた騎士を一人つかまえて彼の確保をお願いし、まだ無事な階段を上がろうと足を掛けた時だった。何やら見覚えのある手のひらサイズの筒状の物が転がっているのが見えた。何故ここに? 深くは考えずに拾ってポケットへと仕舞い込み、一段一段踏みしめるように、階上へと向かう。
二階部分は空気がたわんだような熱さが広がっている。騎士たちの使う予定だった部屋は酷く焼け、煙が充満している。煙は上に昇る。コリンナがいるとしたらかなり危険だ。二階にはもう他に人の気配は無い。他の客人を上手く逃がしてくれたらしい。使用人たちが水を抱えて消化を試みているが、それこそ焼け石に水状態だ。
「コリンナという女の子を見ませんでしたか?」
私は大声を上げたが、誰も一様に首を横に振るばかりだ。やはり三階の部屋か。上に登ろうとすると、「あんた、危ないよ!」と引き留められたが、にっこり笑って大丈夫だと口の形で返事をした。
さすがに煙が凄い。口を布で押さえ、なるべくしゃがむ様に小さくなりながら、急いで階段を登ると、扉を開けたままで部屋の隅に縮こまるコリンナの姿が見えた。良かった、変に動かなかったようだ、無事らしい。
「コリンナ!」私が叫ぶと「し、あ、さま……」という弱った声が返ってくる。
「大丈夫、助かるから」
彼女の元へと駆け寄った私は、煤けた顔をしてこちらを涙を流しながら見上げるコリンナを、テーブルクロスで包み込んだ。大丈夫よ、と何度も声を掛け背中をさすった。
さあ立って、と促すと、お腹に何かを抱え込んでいるのが見えた。宝飾品の入ったケースだ。
「これは」
「これは、エリーゼ様のお母上様の形見の品なのです、だから」
「分かった」
私が引き受ける。右手にコリンナを抱え、左手にそこそこ重たい宝飾品ケースを持ち、彼女を支えながら、反対側の階段から降りていくことにした。きっとそちらの方がマシなはずだ。目論見が当たり、煙の勢いもまだましだ。だが二階の爆発した部屋はほぼ燃えてしまっていて、今にも天井が抜け落ちそうになっていた。とにかく建物から出なくては。
コリンナを庇いながら、皆には労わりの声を掛けつつ、もう危ないから外へと繰り返す。厨房を抜けた裏口から外に出ると、ライナッツ卿が出迎えてくれて、コリンナを引き取ってくれた。
「驚きましたよ、まったく無茶をする……!」
「私は大丈夫です、彼女を」
「おおい、誰か見てやってくれ!」
「この建物はもう、持たないかもしれませんな」
見上げていた騎士が呟いた。宿屋の亭主ももうそれは気の毒なくらい見るからに気落ちしていた。
その時、遠くからこちらへとすごい勢いで走ってくる馬が見えた。皆、一斉に身構える。敵か味方か。
「おおい! いったいどうしたことだ? どうなっている? 姫様は無事か?」
あれは、タルナート様だ。分かった途端、皆の気が一気に緩んだ。どうやら本当にエリーゼ様との騎士の誓いの為に舞い戻ってきたらしい。
「タルナート様、この通り、宿屋が何者かに爆破されました。エリーゼ様には先に馬車で王都へと向かってもらっています。ユーグ様たち近衛騎士が着いているので大丈夫です」
手早く説明をして、そうだ、と思い付く。
「お願いがあります。コリンナを乗せてエリーゼ様を追って戴けませんか。コリンナの無事を早くお知らせしてあげたいのです」
さすがに私の馬術では追えないだろうが、タルナート様なら大丈夫だろう。
「姫様は無事なのか」
「ご無事です。それにユーグ様たち近衛騎士団第四隊は、近衛の中でも精鋭部隊です。滅多なことは起こり得ませんよ」
「わかった」
多くを語らずとも理解してくれたようだ。ライナッツ卿と話をして、馬を交換したらそのまま追い掛けると請け負ってくれた。
ライナッツ卿はこの場に残り、後始末を付けてから、王都へと向かおうという。それが一番いいだろう。私は単騎で王都を目指すか。
それにしてもちょっと煙を吸ったようで気管が少しおかしいし、身体がつらくなってきた。そうか、濡れたままというのを忘れていた。季節は春だが、夜はまだまだ冷える。
「あんた、震えているじゃないか」
ぼんやりと焼け落ちる様子を見ていた宿屋の女将さんが声を上げた。
「こっちへ来な。着替えを用意してやるから」
自分の宿屋が大変なことになっているというのに人がいいというかなんというか。
「シア殿、あとは我々が見ているから貴女は世話になると良い。女将、この人を頼めるか」
「まかしときな。知り合いにお願いしてやるから」
こんな田舎は何よりも助け合わなきゃやってけないからね、とからからと笑った。声も出ないほど疲れ切っていた私は、女将さんに身体を預け、いったんその場から離れることにした。大公殿下に申し上げて、なんとか補償をお願いしようと心に誓った。
◆
夜が明けた。
日の当たるところで見た宿屋だったものは、無惨な状態を晒していた。着替えを借り受け、身体を清めて仮眠をほんの少し取った私は、何とか気力を取り戻していた。辺境の騎士たちが野営の端で温かいスープを作っていて、一緒にそれを戴いた。何よりも温かさが染み渡る。なかなかイケる味でしょう? と給仕してくれた騎士が自慢げに笑ってくれた。
死人も怪我人も出なかったし、客人も使用人も皆無事に助け出された。荷物はもう戻らないが、命あってのことだ。すぐに対処したため、近隣への延焼も避けられた。被害は大きいが、それでも抑えられたと思う。
宿屋の亭主に頼んで、被害者全員の名前を書き留めておいてもらう。王都に戻ったら、補償金を申請するから安心してくれと言い残した。
焚き火の前でひとり呆然と座り込んでいたのは料理人のブノアだった。そういえば、フェリクス先輩はどこへ行ったのだろうか。昨夜厨房で見たきり記憶に無い。
ブノアに確認すると、彼も知らないという。
「凄い音がしたような気もするけど、良く覚えてないんだ」などと頼りない事を言うばかりだった。
騎士たちの誰に聞いても、見た覚えが無いという。これはいったいどういうことだろうか。
急に心にさざ波が立ったように不安が襲ってきた。だいたいフェリクス先輩が来た意味が分からない。元々そんな話は無かったし、料理人の案内だなんて話していたが、大公殿下からの手紙にも一言も書いてなかったのだ。その上、昨夜拾った筒状のもの……かなり前に大公殿下が見せてくれたから覚えている。精神を操る聖道具ではなかったか。こんなもの、我が国には必要ない、と汚らわしいものを見たように殿下の顔が歪んだ記憶がある。書庫の奥に仕舞い込んでいたはずのこれを持ち出せる者は限られている、そう‹図書館› の人間だけだ。
イヤな想像が頭を
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