第18話 宿屋は炎に包まれる
カンテ辺境伯の別宅から離れて王都へと向かい、一泊目は何事もなく過ぎた。エリーザ様は一言も文句を言わずにこちらに従って下さっていた。いい子過ぎるのもほどがある。たくさんのことを楽しんでほしいから、王都に着いたら殿下にいろいろ提案しようと思った。
憮然とした面持ちで私を無視していたコルトー卿がユーグ様に言われたからか、謝罪を申し出てきたのは夜になってからだった。一日経ってやっと気持ちに整理が付いたとみえる。本質は悪い人ではないのだ。だが、刃を潰した模擬剣を差し出されたのには戸惑った。
「今度は剣で勝負がしたい」
いやいや、だから剣で現役の近衛騎士に勝てるわけがないでしょう。そう言ったのだが彼は引き下がってくれなかった。仕方がないので、他の騎士たちが居並ぶ目の前で手合わせを受けた。
鍛え抜かれた見事な体躯から繰り出される剣筋はとても素晴らしいもので、しかもかなり重い。受け流すのがやっとでこちらからは打ち込むことも碌に出来ないまま、私は逃げ回るようにして隙を突こうとした。正統派の騎士からしたら卑怯者と罵られそうだが、逃げるしかない。あっという間に息が上がってふらついた私に真正面から剣を打ち込まれた。寸でのところで除けた私は、そのまま剣を手放して代わりに足に仕込んだ短剣を手にしてコルトー卿にぶつかる勢いで踏み込んでいく。大振りに振り切ったまま、剣を上手く回収できない状態だった彼の懐に入り込んだ形だ。首元に短剣を突き付けたところで、それまでだというユーグ様の声がかかった。
「侍女殿の勝ちだな」
「シア嬢、見事でした。感服いたしました」
コルトー卿がこちらへと会心の笑みを向けている。どうした心境の変化か。
「怯えないでいただきたい。なるほど剣に囚われているのは俺の方でした。古い考えに固執しているのが良く分かりました。まったく勉強になります」
貴方の指南をした覚えはないのですけれど。まあいいか。認めて貰えたということで。これもやはり拳で、というか剣で語り合ったおかげ? 賞賛の目を向けてくれる騎士様がたが却って怖い。どう見ても正攻法ではないのだから。ユーグ様は満足げに頷いているけれど。もう、深く考えるのは止めた。
一夜が明けて次の宿を目指す。
それはもう街道沿いの小さな街で、宿屋も一軒しかない。急な話で、他にも既に客がいたので全員は泊まれない。仕方が無いからと辺境からの騎士様たちは裏庭で野営をすると言い出した。
なんの、慣れてますから大丈夫ですよ、と隊長のライナッツ卿は豪快に笑った。
亭主は唐突な高貴な客人に目を剥いていたが、なんとか受け入れてもらい、裏庭の騎士様たちの食事だけはお願いする事になった。気の良い料理人のブノアは何故かフェリクス先輩と意気投合したようで、二人して宿屋の厨房に入り、料理の下拵えなど手伝っている。エリーザ様とコリンナには三階の広い部屋を割り当てて、私もそこへ一緒に寝る事になっている。近衛の騎士様たちは三階と二階に分かれて部屋を取った。
だからといって部屋でのんびりしている訳ではなく、宿屋の外の様子を伺ったり見回りしたりと、落ち着かない。他の客人を排除するわけにはいかないので、どうしたって監視の目がきつくなる。申し訳ないが我慢してもらうしかない。
エリーザ様はこういった宿屋が物珍しげであちこち見て回られていた。そんな事が出来るのも今のうちだと、ユーグ様もきつく咎めることはしなかった。食事も階下の食堂で一緒に取るという。ブノアが活躍してくれたおかげでなかなかに楽しめる田舎料理となった。料理人が帯同するというのはいいものだな、なんて呑気に考えた。
外に居る辺境の騎士様たちにも声をかけ、食事を交代で取ってもらった。エリーザ様とユーグ様とコルトー卿が食後のお茶を楽しんでいるのを見ながら、引継ぎの連絡をするために裏庭に居るライナッツ卿に会おうと裏口から建物の外へと出た時だった。
後ろで大きな爆発音が響いた。
驚いて振りかえると、二階部分から炎が上がっているのが見える。いったい何事……っ?
「シア殿! 今の音は?」
ライナッツ卿や他の辺境騎士が集まってきた。
「分かりません! ライナッツ卿、宿の人の誘導をお願いします!」
そう答えてエリーゼ様を確保するべく、今出た裏口から飛び込んだ。食堂へと走り込むと、ユーグ様とコルトー卿の二人がエリーザ様を庇いながら表側の扉から出るのを目視した。他の近衛騎士様がたが、非常用の水を運びながら、宿屋の使用人たちと協力しているのが見える。様々な怒号が飛び交い、客人でパニック状態だ。これは拙い。
「ユーグ様!」
「侍女殿! 大丈夫か」
「私は平気です。それよりもエリーザ様は」
「わたくしは大丈夫です。どうか、他の方々を助けてあげてください」
「いったい何が……?」
「分からん。突然上から爆発音が聞こえてきたんだ。ちょうど俺たちの部屋辺りだ」
近所周りからもわらわらと人が大勢集まってきた。それぞれにバケツなど持って消化を手伝ってくれるようだ。うまく回ればいいが。
「……コリンナは? コリンナはどこかしら」
エリーザ様が慌てたようにきょろきょろと辺りを見回し始めた。
「そういえば、お茶を飲むときに、何かを取りに行くとか言って、上に上がっていったような」
そんな。もう、火の手も大きく煙も凄いことになってきている。三階の部屋にいるとしたら、危険だ。
私は頭をフル回転させた。
「ユーグ様。……ユーグ様、エリーザ様にはこのまま馬車に乗って王都へと向かっていただきましょう。こんな辺鄙なところで襲われるとは思いませんでしたが、敵がいるのならここに居ては危険です」
「そうだな、負担を掛けるがそれが最善か」
「私はコリンナを助けて後から追い掛けます。エリーザ様、絶対に助けますから近衛騎士たちと先に王都へとお向かい下さい」
「でも、シア、危険です!」
「大丈夫です、その為の<司書> ですよ」
私は近くにあった水桶からバケツで水を掬って頭から被った。二度三度と被った。コルトー卿が気を利かせて食堂に合ったテーブルクロスを持ってきてくれた。ぎゅうと水に押し込んで濡らしてからそれを被る。
「ユーグ様、コルトー卿、お願いしましたよ」
「任せてくれ」
コルトー卿が部下に命じて馬車を引かせてきた。エリーザ様を中に乗せたのを確認してから、誰に言うでもなく気合を入れるように「いってきます」と呟いた。
「侍女殿!」
それは一瞬のことだった。はっと振り向くと、濡れたテーブルクロス越しにユーグ様が抱き締めてきたのだ。
「必ず、王都で」と耳元で力強い声がする。
「はい、王都で」と私も返事を返した。
腕の力が緩み、額に温かいものが押し当てられた。それがユーグ様の唇だと悟ったのは、全てが終わったあとだった。
「貴女を信じています」そう言い残すと、私を開放し馬車へと駆けて行った。
私を信じてコリンナを託されたのだ。半端な言葉よりも、信じる、の一言が嬉しく心に響いた。絶対に彼女を助けてエリーザ様の元へ、ユーグ様の元へと辿り着くのだ。そう誓って私は、宿の中へと飛び込んで行った。
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