第17話 侍女は腹心をやり込める
出立時刻が迫ってきた。大公殿下からの贈り物のお陰でエリーザ様のお荷物が増えている。こんなことになるのなら、贈り物なしの身軽なままで良かったかなんて思ってしまう。小さく纏めた自分のバッグとコリンナの荷物を最後に馬車に運び入れて、準備は万端だ。エリーザ様に階下へ降りてきていただこう。
使用人や騎士たちで溢れる階下の広間へとエリーザ様が降りてきた。階段の途中でつと立ち止まる。万事控え目な方が、皆さま、といつもよりも声を張り上げた。
「皆さま、本当にありがとうございました。こちらで良くしていただいたこと、感謝しております。わたくしは王都へと向かいますが、ここでの親切は忘れません」
そう言って見事な金髪をさらりと振って頭を深々と下げられた。慌てたのは広間にいた使用人たちだ。王族の人間にこうして頭を下げられるなんて、本来は起こるはずのないことなのだ。静かに頭を上げられたエリーザ様が輝かんばかりの笑顔を見せた。皆、口々に、またいらしてくださいだのと声を掛けている。あまり人前に出ることなくひっそりと育てられた姫君は、良い意味で人慣れしていない。その初々しさが可愛らしく、すっかり皆を虜にしていたのだ。
いろいろ不快な思いもさせただろうに、王都に着いたら今度こそゆったりとお過ごしになって欲しい。
最後にエリーザ様はカンテ伯と束の間お茶を戴きながら話をすることになっていた。ユーグ様やカンテ伯の腹心のクレマン様など、騎士の方々も入れ代わり立ち代わりご一緒されるという。私はその間に最終確認をしようと、あちこちを回っている時だった。
「侍女殿、話がある」
低く不機嫌な声色で話しかけてきた人物がいた。ユーグ様の腹心ジョルジュ・コルトー卿だった。
「貴女はいったい何なのだ。たかが護衛のくせに何故狙われるのだ?」
「私にだって分かりません。一番知りたいのは私ですよ」
「それにこれ以上副隊長に構わないでくれないか。あの方は貴女如きがコナを掛けて良い相手ではない」
「……別にそんなつもりはありません。ただ打ち合わせを頻繁にしているだけです。貴方がた近衛騎士様たちと連携して護衛に当たるのが私の今回の任務ですから、代表者のユーグ様とお話しする機会も自然に多くなります。そこを咎められても困ります」
「だいたいその呼び名が気に食わん。そう気軽に副隊長の名を呼ぶのは止めてくれ」
「これは、ユーグ様がそう呼んでくれと仰られたから……」
そう言いつつ、自信が無くなって尻すぼみになってしまった。もしかして司書のレティに言われただけだったのかも。自然と“ユーグ様”と呼んでしまっていたが、拙かったかしら。
「貴様のせいで副隊長が怪我されたんだぞ。どうしてくれる。我々にとっては大事な方なのだ。加えて、この任務が終わったら俺の主筋のプレヴォ侯爵家のご令嬢と縁組される予定があるのだからな」
「怪我をさせてしまったことはユーグ様に直接お詫び申し上げてあります。それ以上のことをここで言われても、……縁組だなんて、知りませんでしたし」
「その縁談は丁重にお断りしたはずだ、ジョルジュ」
鋭い視線をコルトー卿に飛ばしたユーグ様が、扉に身体を凭せ掛けて立っていた。弾けたように振り返ったコルトー卿が、慌てたように言い訳をし始める。
「ですが、この女は貴方に対して馴れ馴れし過ぎます!」
「彼女をこの女呼ばわりするな。今は共に戦う仲間だぞ。そんなことではエリーザ様をお護り出来ない。気に食わないというくだらない理由で彼女を貶めるのなら、お前はここに置いていく」
「そんな、……っ! 俺はただ、副隊長が迷惑されていると思って」
コルトー卿は、私を庇った発言をしたユーグ様を驚きをもって見つめ、酷く不本意な顔になった。
「それに、どちらかと言うと俺のほうが侍女殿に話しかけている。エリーザ様のお近くで寄り添ってお護りしている彼女に状況を聞くのは必然だろう。護衛同士でいがみ合っては任務を遂行出来ん。お前は彼女を信用出来ないのか」
「俺は、<図書館> とかいう組織を信用していません。間諜などというのがそれだけで胡散臭いし、しかも女だ。普段は護衛なんかじゃなく、他国の要人に色仕掛けで情報を聞き出しているんだろう」
完全なる偏見だ。確かにそういう任務もあるにはあるが、私の守備範囲外だ。要するに私が女でユーグ様に必要以上に引っ付いているから気に食わないのね。それでも彼の腹心で、とても大事に思う気持ちは伝わってくる。ここは百歩譲って私が引くべきか。
「侍女殿、許してやってくれないか。いつもはもっと柔軟で弁えている部下なんだ」
「貴方を敬愛しているのは分かりますよ。でも女性に対する偏見だけは見逃せません。この世の半分は女なんです、これからの時代、彼のような考えでは置いていかれますよ。ていうか、この方相手なら素手でも勝てそうですね」
コルトー卿の目がぎらりと光る。馬鹿にされたと思ったようだ、事実そうなんだけど。剣では無理だが、ちょっとした挑発で怒り狂っているだろう今なら、素手でも倒せるとみた。ユーグ様のような冷静さは持ち合わせていないようだ。すっかり頭に血が上った興奮状態で、今にも飛び掛かってきそうになっている。と思ったら、辛抱ならん、とこちらへと向かってきた。ちらりとユーグ様を見ると、口角を上げ頷いている。だったら遠慮なくのしてしまいましょう。
唸り声を上げながらこちらの腕を取ろうとしたところで片足を払ってやった。無様に転がりはしなかったが、虚を突かれたらしく、片膝を付いてバランスを崩したのを見逃さず、両手でコルトー卿の片腕を掴み、力いっぱい捻ってやった。ユーグ様よりも立派な体格のコルトー卿が面白いように床へと転がってうつ伏せになる。それを両膝でがつんと押さえつつ、腕を背中へと回し上げて動けなくなったところを髪からピンを抜いて首を突いてやった。勿論、飾りのついた危険の無い方で。
パンパンパンと拍手が聞こえる。はっと気が付くと階下でお茶をしていたはずのカンテ伯や騎士たちが揃っていた。しまった、やり過ぎたか。コルトー卿の背中から飛び退くと、スカートをぱたぱたと払って思わず一礼してしまった。凄いな、小さいのに、素手であのジョルジュを、とあちこちから騎士様がたの賞賛の声が聞こえてきて、ちょっと照れるわ。
「や、いいものを見せてもらったよ、シア嬢。プロスト子爵に大事に育てられた掌中の珠だな。流石だよ」
「え、子爵をご存じなのですか」
「勿論だ、彼とはそれこそ若かりし時にこの辺境で共に闘った仲間だからな」
養父を知っているとは。余計なことを言われないうちに、カンテ伯から目を逸らして私はコルトー卿に手を差し伸べた。すると放心したように床に転がっていた彼は、私の手を払い除けひとりで立ち上がった。虚ろな目をしたまま、そこに居る皆に深々と礼をして部屋を出て行ってしまった。
「……ユーグ様、申し訳ございません」
「いや許しを与えた俺の責任だ。あいつには良く言い聞かせておく。それに、初めから貴女の強さを見せておいた方が良かったかもしれないな」
「デュトワ卿、そろそろ時間だ。私はここを離れるわけにはいかんが、ピエール・カンテはエリーザ様を歓迎していると、大公殿下にお伝えしてくれ」
「分かりました。必ず伝えます」
騎士たちを引き連れて階下へ戻っていくカンテ伯を見守って、ふうと息を吐いた。まったくちょっと感情的になってしまったかも。そして部屋にはユーグ様と私の二人だけが残された。
「ユーグ様、怪我の具合はどうですか」
「血も止まっているし、もう何ともない。すぐに手当てをしてくれた貴方のおかげだ。ありがとう」
「コルトー卿にもお詫びを」
「うん、まあ、しばらく放っておこう。小柄な貴女に負けたのはかなり堪えているだろうからな」
「やはり女に負けるのは悔しいと?」
「そんなところかな。男のつまらない矜持だよ、気にしないでくれ。それよりも今度は俺と体術で手合わせしてほしいな」
「やめて下さい。貴方には勝てる気がしませんから」
「それは光栄の至り」
面白げに目を細めて口元は弧を描いている。この方の笑顔は本当に素敵だなあ、としみじみしていると、
「そんな顔をして、期待していると思っていいか」と彼は囁いた。そんな顔ってどんな顔よ。そんなつもりは、と顔を上げると、頬に手を添えられて眦に彼の唇が掠める。ほんの一瞬のことだったが、やっぱりそこで固まってしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます