第16話 侍女はナイフで狙われる

 とにかくひと仕事終わったと、僅かな時間を見つけて食堂で軽く軽食をつまみながらお茶を飲んでいた時のことだった。昨夜は気持ちが高ぶって寝られないじゃないの、と思いつつもさっくり寝入ってしまった。お陰で今朝はすっきりとしている。カンテ伯の騎士たちと近衛の騎士たちの、手すきの者同士が模擬試合をすると言って外に出て行った。


 辺境の騎士は国境を接する領地を守る為に、鍛え抜かれた兵揃いだ。中央の近衛騎士には並々ならぬ興味があるらしい。というよりは近衛は所詮王家のお飾りだという偏見だ。確かに儀式の時には王家の傍に侍るので見栄えを重視されるが、顔だけでは近衛に入団なぞ出来ない。ましてユーグ様所属の第四隊はどちらかというと実戦に重きを置いている。油断していると負けるのは辺境の騎士たちだ。


 試合を見るのも楽しそうだが、それよりも先に腹ごしらえをしておきたい。王都の料理人の作るものはさすがに美味しい。私は美味しいものに目がないのだ。ローストしたチキンを野菜と挟んだだけのサンドイッチがこんなにも美味しいのは、ソースに秘密があるのか。手に付いたソースをぺろりと行儀悪く舐めていると、頭上で押し殺すような笑い声が聞こえた。


「いつも思うのだが、侍女殿は本当に美味しそうに食べるのだな」

「ユーグ様、見逃してください。このサンドイッチは本当に美味しいんです」


 当然のように隣の席に座ったユーグ様に、サンドイッチの皿を押しやった。では遠慮なく、とぱくりと口に入れている。こういう感じで妙に意識しないで居られるのなら、大歓迎なのにな。


「本当にうまいな。これはいい」

「カンテ伯の持ってこられたこのお茶も美味しいですよ」

「ああ、だからか。初日は、うん、それなりだったが」

「微妙な言い回しですね。ところでユーグ様は外の試合に参加しないのですか?」

「勘弁してくれ。俺が行くと、寄って集って倒そうと皆が目の色を変えてくるんだ。疲れるだろう」


 心底鬱陶しそうにされている。既に洗礼を受けた後だったらしい。その様子が目に浮かび、ふふっと笑ってしまった。するとユーグ様は目を瞠って、こちらを覗き込んできた。


「そうやって笑顔を見せてもらえると癒されるな」


 またそんなことを。あまりに真っ直ぐな言葉にこちらも照れてしまってお茶を飲んで誤魔化そうとした。そう。視線を下に落とした瞬間の出来事だった。


「危ないっ!」


 次の瞬間、私はユーグ様の腕に絡められ、身体を床に引き倒された。倒れた刹那、調理用ナイフが目の前を転がっていくのが見える。


「誰だ! 出て来い!」


 きいんと、ユーグ様の抜いた剣で次のナイフを跳ね飛ばした乾いた音が響いた。どこから飛んできた? まるで気付かなかった。護衛失格だ……っ!


 食堂の中に緊張感が走った。ユーグ様の背中に隠されて、何が起こったのか理解出来ない。厨房の方向から怒号が聞こえる。その場に居た人間が一斉に食堂から逃げ出そうと入り口に向かって走り出す。辺境の騎士二人が厨房へと駆け寄った。


「シア! 大丈夫だったか?」


 フェリクス先輩の声がする。どこから聞こえるの。厨房にいるの?


「オーブリー殿、誰がナイフを?」

「こいつだ、急に」


 がちゃんと皿やグラスの割れる派手な音がする。誰かが暴れているのか。ちゃんと押さえてろ、と騎士が叫んでいる。うっ、と唸り声が上がった。確保した、ロープを持ってこい、と叫ぶのはフェリクス先輩だ。どうやらひとまず捕物は終わったらしい。


「侍女殿、怪我はないか」

「大丈夫です。貴方が庇って下さいましたから。それより何が起こったのですか」

「厨房にいた料理人が突然こちらへ、いや侍女殿を真っ直ぐ狙ってナイフを投げてきたんだ」

「いったいどうして? どういうつもりで私を?」


 ユーグ様は私を立たせ、全身を舐めまわすように観察した。


「ああ、お茶が零れてドレスが濡れてしまいましたね。火傷はしていませんか」

「何でもありません。本当にありがとうございました……私、全く気付けなかった、情けない……っ」

「いや、今のは無理だ。俺はたまたま飛んでくるところを見ていたから反応出来たが、貴女は下を向いていただろう」

「……」

「何もなくて本当に良かった」


 悔しさに唇を噛んで、ユーグ様を見上げた。途端、彼の腕から血が流れているのを見てぎょっとした。一投目のナイフを避けるときに傷ついたのか。私を庇ったからだ。なんてこと。


「ユーグ様! 怪我を」

「掠り傷だ、大丈夫」

「いけません、きちんと手当てしなくては」


 私は薬を置いている部屋へと急ぎ、必要なものを掴むと食堂へと取って返した。その頃には外にいた騎士たちが皆食堂へと勢ぞろいして、捕まえた料理人と厨房に居た人間を囲んで尋問が始まっていた。ユーグ様は勿論、その中心に居て指揮を執っていたが、構わず傍によって傷を洗い手当てをし始めた。

 かすり傷だなんて。縫うほどではないが、思った以上に深いものだった。私のせいで、こんな傷を負わせてしまうとは。本当に情けない。


 王都から来た料理人の一人が突然何かに取りつかれたような状態になり、虚ろな目をしておもむろにナイフを両手に掴むと、食堂へ向かって投げたのだという。厨房に居た他の料理人たちが止めようとしたが、尋常ならざる力で振り払われたらしい。ひとしきり暴れたあと、隙を見つけたフェリクス先輩が手刀を首に入れ、ようやく止まったのだとか。


「オーブリー殿はどうして厨房へ?」

「王都へ帰る相談をしに来たんだよ。そうしたら急にあんなことになって、驚いたよ。直前まで普通に話しながら、調理してたのに」

「そうですよ、彼は、アベルはあんなことするような人間じゃありません!」


 王都から来たもう一人の料理人である、ブノアが庇う。アベルという名の私を狙った男は、気絶したままロープでぐるぐる巻きにされていた。しかし、皆が見ている前でナイフを投げたのは確かなのだ。だいたいエリーザ様ではなくて、私を狙う意味が分からない。


「とにかく、エリーザ様にはもう少し休養してもらう予定だったが、王都へ急いだほうがいいのかもしれない」

「そうですな。申し訳ないが、ここでは人も備えも足りない。我が領地の本邸に来ていただくのも一つの案だが、それなら距離的にも王都へお連れするほうが得策だ」


 苦虫を噛み潰したようなユーグ様とカンテ伯だった。


 話し合いの結果、アベルはカンテ伯の預かりとし、辺境伯軍から一個小隊を借り受け、共に王都を目指すことになった。馬車で三日の行程だ、エリーザ様の負担を考えてもこれ以上早くは出来ないだろう。フェリクス先輩とブノアも一緒に帰ることになった。用意が済み次第、だが明日の昼には出立すると決まった。私もエリーザ様のお荷物を纏めなければ。


 エリーザ様の部屋のある階上へと向かう。アベルはまだ目を覚ましていない。先輩、余程の力で手刀を切ったらしい。技術職であって戦闘職ではないのに、先輩には時折驚かされる。そうだ、大公殿下へ文を送らねば。途中滞在する宿についてはカンテ伯が手配してくれるそうだが、その辺りも含めて情報として送っておいたほうが良さそうだ。先輩には先に馬で帰って届けてもらうという方法もあるな。


 自分が標的になったことが、却って冷静に物事を俯瞰で見られるようになったと思う。とはいえ、どうして私が狙われたのか、まったく分からないままだった。

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