第15話 侍女は騎士に詰め寄られる


 今夜はタルナート様が部屋の中で寝ずの番を務めて下さることになった。エリーザ様を敬う気持ちが伝わってくるから、まさか不埒なことを起こすことはないだろう。コリンナには引き続き同じ寝台で寝てもらうし、私も時折様子を見に来ようと思っている。だから。


「いえ、シア嬢には今夜はゆっくり休んでいただきたいというのがデュトワ卿の意向ですから」などとタルナート様が言い始めた時にはちょっとむっとしたのだった。


「私は大丈夫です。それなりに鍛えていますから」

「ですが、デュトワ卿は」

「タルナート様は私が護衛として不足だと仰られるのですか?」

「そうじゃありませんよ。デュトワ卿が貴女を心配されているだけで」

「ただゆっくりと休んでほしいと思っているだけだ。貴女に一番負担がかかっているのは、間違いないのだから」


 唐突にユーグ様の声が割って入ってきた。不服そうな私をただ気遣うような声色だった。タルナート様はあきらかにほっとしたようにユーグ様を見て敬礼すると、支度してまいりますとさっさと離れて行ってしまった。

 二人きりで残されてしまい、今度は私が居たたまれなくなった。


「騎士様、私は大丈夫ですから」

「今夜は俺に従ってもらいます。パフォーマンスを保つためにも休んでほしい」

「……っ」

「貴女の優秀さは重々承知だ。だがきちんと睡眠を取らないと、いざという時動けなくなる。タルナート卿は信頼に足る騎士だ、だから今夜は休んでくれ」


 ここまで言われると仕方ない。不服は残るが正直昨夜のことが引きずっていて眠たいのも確かだった。それはユーグ様、貴方のせいでもあるんですけどね。

 じっとこちらを見つめている彼の視線が痛い。其処に何やら熱も感じられるから気持ちがどうしても落ち着かない。


「それとも」気が付けば、ユーグ様が私との距離を詰めて来られる。じりじりと私も後ろに下がるがすぐに壁にぶち当たってしまった。


「それとも、添い寝して差し上げましょうか」


 そんな揶揄いの言葉にかっとなって思わず手も足も出してしまった。相手の股間を狙った膝は左手で押さえられ、顎を狙った手は右手で弾かれた。反応が早過ぎてどちらも抑えられてしまう。なんてこと、悔しい。


「なかなかに物騒な人ですね。貴女と付き合うのはとても楽しそうだ」

「た、戯れはお止めください」

「これは賛美ですよ。俺とこれだけやり合える女性は他に居ない」


 耳元でそんな言葉を囁かれ、目を細めて口元は笑いを隠していない。包み込まれるように囲われて、逃げることも出来ずに硬直した私を面白がっているのが分かる。ほつれた髪をひと房掬い取り、口付けを落としてから開放してくれた。


「貴女に休んでほしいという気持ちに変わりはありません。今夜は自室でゆっくりして下さい」

「……ユーグ様こそ、寝不足でしょう。ちゃんとお休みくださいませ」

「貴女がきちんと寝てくれたら、俺も安心して休めます」

「分かりました。今夜はこれで失礼します」


 戻ってきたタルナート様に軽く会釈をして、自室に戻るべく踵を返したのだった。


 ◆


 焦った。あまりにも近づいてくるから、バレるかと思った……。違う意味でも焦ったけれど。

 ここまで来ると気のせいでは済まされない。思わせぶりなユーグ様にいったいどうしたいのかと問い詰めたい気持ちだった。フェリクス先輩に近寄られた時に感じた残念な思いとは違い、嫌じゃないから困っている。自室へと滑りこむと頭を抱えて座り込んでしまった。


 顔が熱い。きっと真っ赤になっている。あんなふうにさらりと懐に入ってくる人だとは思わなかった。如何にも女性の扱いに手慣れた感じが腹立たしい。なるほど、アナイスにロックオンされる訳だ。

 でも。でもどうしてこんな冴えない私を? という疑問もある。王都に戻れば高位令嬢だって美しく可愛い令嬢だってよりどりみどりのはずなのに。


 あー、苛々する。ユーグ様に苛々すると言うよりは、私自身に苛々する。養父の恐ろしい顔が浮かんだ。お前は何に浮かれているんだ、と怒っている顔が。


 両手で頬をばちんと叩き、気合を入れ直す。明日は平常心で護衛せねば。


 ◆


 午後から行われた誓約書の交換式は恙無く終わった。カンテ辺境伯とエリーザ様がお互いの書類にサインをして交換、それを司祭が確認したら祝福を与えて終了、という至極簡略化したものになった。

 それでも終わったらマルクル様は、しゅうと腑抜けのようになってしまわれた。かなり精神的に負担を強いられていたようだ。


「これで私の役目は終わりました」と、晴れ晴れした顔でその日のうちに隣国へと戻られることになった。騎士のタルナート様も一緒だが、彼はなんと、マルクル様を送ったらまた戻ってくると言う。


「姫様の専属護衛騎士としてお仕えしたく思います。お許し願えますか」

「タルナート、無理しなくてもいいのですよ。専属だなんてわたくしには勿体ない。国で待つ方もいらっしゃるのではないのですか」

「私は伯爵家の三男で別に期待されていません。婚約者がいるわけでもありません。私のことよりも姫様の事が心配なのです」

「タルナート、……」


 エリーザ様は非常に感激されているのが手に取るように分かった。巷で流行っている書物だと、これから公女と騎士の恋が始まったりするのだけど、それは困るな。エリーザ様はあくまでもうちの第二王子のリシャール殿下の婚約者候補なのだから。


「それに共に鍛錬していて、デュトワ卿に心服してしまったのです。彼ともっと語り合いたいと思っています」


 これは拳で分かり合うというヤツでは。なんだか男同士って単純で羨ましい。先ほどから二人の様子を見守っていたユーグ様は、タルナート様の思わぬ告白に耳を赤くしてすっかり照れている。ユーグ様の腹心であるジョルジュ・コルトー卿が面白くないとばかりに背を伸ばしてタルナート様を睨み付けていた。


 コルトー卿といえば、私のことも何となくだが敵視しているように思う。ま、きちんと役目を果たしていれば別にどう思われようが構わないのだけれど。


「姫様、暫しの別れお許しください。すぐに戻ってまいります。そうしたら、騎士の誓いをさせて下さいませ」


 そう言ってタルナート様はエリーザ様のドレスの裾を捧げ持ち、唇を寄せた。明るい茶色の髪にそばかすの散った愛嬌ある顔立ちの彼が、やたらと凛々しく見えた瞬間だった。こういうシーンは世の女子は大好物だ。そう言った読み物をさほど読まない私もきゅんとしてしまう。


 周りを温かな空気感で包み込んだタルナート様は、誓約書類を大事に抱えたマルクル様と共に国境を越えて行ったのだった。

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