第14話 一同は公女の笑顔に陥落す
夜はあのまま妙に高ぶる気持ちを抑えながら、エリーザ様の部屋のソファで仮眠を取ったが完全に寝不足だ、ユーグ様のせいだ。気まぐれであんな思わせ振りなことは止めてほしい。
ぶつぶつと口の中で文句を垂れながら起きて身支度を整え、エリーザ様を見に行くとまだ夢の中だった。横でコリンナもすっかり寝入っていたので、身体をゆさゆさと揺さぶって起こした。余程お疲れだったとみたが、今日も予定があるのでそろそろ起きて食事をしてもらわないと。
はっと目を覚ましたコリンナは、申し訳なさそうに私を見た。エリーザ様のお支度お願いしますね、と頼むとさっと起きて服を着替えて顔を洗った。さっぱりしたところでエリーザ様の元へと向かい、姫様と声をかけている。
さて、朝食をどうしたものか。部屋の外に待機していたカンテ伯が連れてきた騎士様に朝食を運んでほしいというと、話が通っていたようで、頷いて階段を降りて行った。
ほどなくして朝食を抱えたメイドと先ほどの騎士が戻ってきた。ユーグ様からの私宛のメモを持っている。見ると、朝食の後、皆で今後の予定について話し合いたいと書いてあった。昨日の毒物混入のあとだ、今日の予定の昼餐会は中止になるかもしれない。
本当に腹立たしいし、悔しい。
とりあえず私も一緒に朝食を取ることにした。
◆
目の届くところにいてもらいたいとお願いして、エリーザ様には一緒に階下へと降りていただいた。カンテ伯と町長が渋い顔をして話をしている。少し離れたところでユーグ様と騎士の皆さんが打ち合わせの最中だ。私たちが部屋に入ったあと、続いて後ろからフェリクス先輩が入室してきた。
「おはよう、シア」
「おはようございます、フェリクス先輩」
何事もなかったように挨拶を交わす。何かあっても困るのだ、今後に支障を来たしかねない。そう思うとなんだか苛々する。そんなタイミングで、侍女殿、とユーグ様に呼ばれた。ふいっと先輩の視線を逸らして騎士の皆さんの輪の中に入っていった。
「さっそくなんだが」
そう言いつつ、ユーグ様がカンテ伯の騎士の皆さんと近衛の騎士様たちの配置について指示を与えていく。それは良く考え抜かれた的確なものだった。あの後で考えたのだろうか、だとするとちゃんと寝たのかしら。彼は昨夜のことなど無かったかのように普段と全く変わらない様子で私に話しかけてきた。
「侍女殿にはこのまま公女様をお願いすることになる。無理ならちゃんと言ってくれ」
「今のところ大丈夫です。そうですね、メイドを二人ほど寄こして貰えないかと思っています」
「分かった。カンテ伯にお願いしてみよう」
カンテ伯と町長がこちらへとやってきて、合流すると悔しさを滲ませた声音でこう告げた。
「皆のもの、聞いてほしい。今日は昼餐会の予定と合わせて誓約書の交換式を執り行うつもりだったが、残念だが中止とさせていただく。暫く近衛とうちの騎士団とで調査をする。気を引き締めて昨夜の件に当たって欲しい」
隣に立つ町長は怒りの目でこちらを睨み付けている。王都から来た我々の疑惑が晴れていないのだということを肌で感じた。致し方なし、奥方を害されたのだから。ところで奥方はすっかり毒も抜けて体調が戻ったとのことだった。本当に良かった。
「ということでエリーザ様、大変申し訳ないのだが、今日は一日部屋から出ないでいただきたい」
「分かりました。カンテ辺境伯様に従います」
「シア嬢はエリーザ様に付き添ってくれ」
「勿論です。カンテ辺境伯様、すみませんが、メイドを二人ほど寄こして貰えませんか? 貴方の信頼出来る人をお願いします」
「分かった。手配するが、昼過ぎまで待ってくれ」
話は済んだ。後は。
「フェリクス先輩、王都に戻られるのなら大公殿下に伝言をお願いします」
「残念だが今日は出立出来なさそうだがな。何だい?」
「エリーザ様のドレスの手配をよろしく、と。アクセサリーは不要だと。これだけ言えば殿下は分かって下さいます」
「ちゃんと伝えておくよ、シア」
いつもと同じく人懐こい笑顔でじっと私を見下ろしている先輩が、何だか恨めしく思えてしまう。変な気を遣わなくても良いようにしてほしいものだ。それなのに、また一歩こちらへ踏み出して、昨夜は残念だった、などと囁いてきた。冗談じゃない、このまま殴っていいかな。
私のフェリクス先輩を思う気持ちは、長年の付き合いから兄のように慕っているというだけだ。断じて男女の関係じゃない。がっかりさせないでほしい。
まさか本当に殴るわけにもいかず、どうしようもないので視線を逸らして逃げた。そんな私を咎めるように見ているユーグ様にも気付いて、余計に苛々する。平常心を保たねば。私はエリーザ様の護衛なんだから。
◆
昼過ぎにという話だったが、カンテ伯は昼前にはメイドを二人、連れてきてくれた。彼のマナーハウスで働く優秀な人材だという。てきぱきとした動きを見ているとそれが良く分かった。正直言うと見習い侍女のコリンナよりも遥かに役に立ちそうだ。掃除はもとよりお茶や食事の支度も給仕もそつなくこなし、笑顔を絶やすことなく気持ち良く働いてくれる。ありがたい。
退屈だろうに、エリーザ様は文句ひとつ言わずにお茶を飲んだり庭を眺めたり本を読んだりして大人しく過ごされていた。聞くと今までの生活もこういう感じだったそうだ。まだまだ若いのに、自由にさせてもらえなかったとみえる。王都に着いたらいろいろして差し上げたいという庇護したい気持ちが大きく膨れ上がる。もうすっかりエリーザ様の虜になっている私だった。
今夜は街のお客様なしの食事会となった。寂しいからなおさら一緒に食べなさいとまたもやテーブルにつかされた。何なら使用人の使う食堂で皆一緒に食べるか、なんて話をしていたが、いくら何でも大らか過ぎる。エリーザ様をちゃんと敬ってくださいよ、と苦言を呈してしまった。
結局のところ、チョコレートの出所も持ってきた人間も分からず仕舞いとなった。いろいろばたばたして皆の記憶があやふやなところが多かったせいである。カンテ伯はここ別宅の責任者としてエリーザ様とマルクル様に正式に謝罪した。エリーザ様に何事もなくて良かった。何かあれば国としての責任を問われる羽目になる。
「カンテ辺境伯様、頭をお上げくださいまし。わたくしはこうして無事でしたし、町長様の奥様もお元気になられました。もう大丈夫です。気になさることはありません」
「そういう訳には参りません」
いいんですよ、柔らかく微笑まれてその場に居た皆が相好を崩した。エリーザ様の笑顔は破壊力が凄い。
「では、もうこの話はこれで終わりに致しましょう。明日には誓約書の交換式をしたいと思います」
「分かりました。よろしくお願いします」
カンテ伯は街の有力者たちから顔合わせをしたいと要望されていたようだが、それは断念したようだ。そこはそれでいいと思う。エリーザ様はこの街に留まるわけではない。顔繋ぎでも、などと思う方が本来不敬な考え方だ。彼女は第二王子に輿入れの為にいらしたのだ、王家の人間と簡単に繋がれると思う方がおかしい。
その夜は穏やかに時が流れた。皆で食事をして、エリーザ様はカンテ伯の奥方様と静かにお話しされている。私はその様子を見守りながら、コリンナに侍女の心得を少しづつ教え込んでいた。これもメイドを寄こして下さったから出来ることだ。カンテ伯は事を起こして申し訳ないとしきりに気にされていたが、良く差配されていると思う。ここの領民たちも伯を心から慕っているのが分かるのだ。こういう方の元へエリーザ様をひとまずお招き出来たことを、この国の者として嬉しく思うのだった。
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