第13話 侍女は惑わされる


「フェリクス先輩、……」


 実は毒物騒ぎで彼と約束していたことをすっかり忘れていた。取り繕うように声を絞り出して、何用かと尋ねる。


「後で話があると言っただろう? レティ」

「先輩、ここではシアと呼んでください」

「そうだったね。悪かった、シア」


 目を細めて微笑むフェリクス先輩はいつもと同じなのに、何か纏う空気が違う気がする。


「何か毒物が混入していたんだって? 厨房で寛いでいたら騎士がたくさん来て僕も調べられてしまったよ」

「フェリクス先輩、厨房にいたのなら差し入れられたチョコレートの箱か何か見ていませんか?」

「いいや、そんなものは見てないな。誰の仕業か分かったのか?」

「いいえ、分かりませんでした。……ところでフェリクス先輩、どうしてこんな国境の街までいらしたんですか? 何か任務で?」

「そうだよ、料理人の案内と護衛を兼ねてね。大公殿下からの贈り物の件もあったから。<司書> が揃いも揃って出払っていたから、僕が来たんだ。ついでにシア、そのピアスの聖石も交換してやるよ」


 ふと耳に手を当てた。前に交換してもらったのはレティ用の真珠のピアスだ、この琥珀のシア用もそろそろ交換時期だったかもしれない。でも、ここを離れるわけにはいかない。さてどうしたものか。


「ここでやればいいだろう」

「でも、エリーザ様がそこでお休みになっているんです。拙いでしょう」

「寝てるから大丈夫だろう? 直ぐに終わらせてみせるよ。片方づつ貸しなさい」


 フェリクス先輩は当然のように部屋に入ってくると、後ろ手で扉を閉めてきっちりと施錠した。エリーザ様たちが眠る寝室はもう一つ奥の部屋だ。さっき入眠したばかりだから当分は起きて来ないと思うが、……。


 そんなことを考えているとフェリクス先輩は勝手に小さなテーブルを隅に移動させて道具を広げ始めた。小さな明かりも灯している。これも聖石を使った聖道具だ。ほら、と手を出してきたので仕方なく片方のピアスを外して手渡した。


 今の私は辛うじてシアの容姿を保っているが、見る角度によってはブレブレになっているだろう。宣言通り、あっという間に入れ替えてくれ、もう片方とばかりにまた手を差し出された。外して渡すと交換するべく下を向いて集中している。交換にも少々技術が必要で、先代の技術者が亡くなったあと、ずっとフェリクス先輩にお世話になっている。自分で出来ると良いのだけれど、何か特殊な工具が必要らしい。その工具もアジーラからの提供品で勝手に使えないのだ。


 アジーラに全てを握られているようで何とも腹立たしく思う、というのが王都の政治に携わる共通認識だったりする。この状況は技術を提供して貰っている間はまだまだ続くだろう。他人事でもないけれど、私個人的にはどうしようもないのだ。


「そら、終わったよ。それにしても綺麗な色なのにな」


 灯りを消してフェリクス先輩が立ち上がり、私にピアスをひとつ手渡してきた。受け取って慎重に耳に付ける。もう片方は先輩が付けてやると吐息のかかる程に近寄ってきた。かちりと小さく嵌る音がして、同時にぶーんという羽音のような起動音が鳴った。これでもう私は完全に“シア”に戻った筈。ありがとう、と礼を言うつもりで顔を上に向けると先輩はこちらをじっと見下ろしている。近い。普段はこんな距離感の人じゃないのに。


「シア、いやレティ、レティシアーネ、……」


 そう囁く声が何だか甘くて怖い。薄暗い室内で表情が分かりにくいこともあるが、背中を何故か冷たいものが滑り落ちる。どう行動すべきなのだろう? 司書として有るまじきことだが軽くパニくっていた。どぎまぎしているとそのうち先輩の手が耳から私の頬へと滑り包み込まれる。え、まさか、これは、キス、される、の?


「侍女殿、そこに居るか? 話があるんだ」


 遠慮がちなノック音と共に、ふいに聞こえてきたユーグ様の声が妙な空気を取り払ってくれた。先輩の手からするりと逃れると鍵を開けて扉を押し開いた。


「侍女殿、そこを離れるわけにはいかないだろうから、部屋に入れてくれないか」


 ユーグ様は礼儀正しくそう問い質してきた。フェリクス先輩はというと黙ったまま大人しく道具を片付け、不自然なほど明るい声を出した。


「ではシア、殿下のお言葉を伝えたからね。おやすみ」

「おやすみなさい、フェリクス先輩」


 ユーグ様と一瞬だけだが鋭い視線を交差させて、先輩は暗い廊下へと姿を消した。黙ったまま二人でその様子を見送ってから、ユーグ様を部屋へと招き入れ、今度は扉を薄く開いたままにしておいた。

 扉近くにあるテーブルセットに腰を下ろし、でもユーグ様の顔を見ることが出来ずに俯いていた。何もやましいことないのに、先輩があんな、あんな、……。


「侍女殿、オーブリー殿は何か用事があったのか? 殿下からお言葉とか言ってたが」

「そ、そうなんですよ。手紙とは別にちょっとした伝言を」

「こんな夜にわざわざ? エリーザ様の部屋で、施錠までして?」


 気のせいだろうか、ユーグ様の言葉が私を咎めている様に聞こえる。


「<図書館> の仕事の絡みです。誰にも聞かれるわけにはいかなかったので」

「ふうん」


 じっと見据えられて針の筵のようだ。それでお話とは? とこちらから要件を振ってみた。仕事の話になるとユーグ様は真剣な面持ちで聞いてくださる。基本真面目な方なのだ。

 ユーグ様は、毒物混入の件を報告くださった。やはり、誰が持ち込んだのか特定は出来なかったという。品物自体は最近王都で新規開店した店のものだったそうだ。そうなると地元の民ではなくて、王都から来た人間が怪しいとなる。私たちが要注意人物と成り果てたわけか。


「エリーザ様の周辺を攪乱する目的じゃなかったかと俺は思っている」

「だとしたら、目的達成ですね」

「まったくだ、忌々しい……!」


 不機嫌な様子で髪をぐしゃっと掻き乱してふうと息を吐いている。こんな姿、珍しく思う。


「明日はとにかく厨房での見張りを増やしておく。エリーザ様の護衛も大変だろうがよろしくお願いする」

「承知いたしました」


 ユーグ様は用が終わったと部屋を出ようとしたところで立ち止まり、こちらを振り向いた。


「侍女殿は、……オーブリー殿とお付き合いされているのか」

「え、待ってください。確かに先輩とは親しくしてますけど、そんなんじゃありませんから!」


 不自然なほどに力を籠めて否定した私を見て、彼はふっと笑いを漏らす。


「別に隠し立てせずともいいんだが」

「本当に、違います!」

「なら、この程度は許して貰えるだろうか」


 何を? と問う間もなくこちらへと戻ってきたユーグ様は、あたふたしている私の頭頂に口付けを落とした。固まった私を満足げに見下ろして、おやすみ、と一言だけ言い置いてさっさと部屋から出て行ってしまわれた。残された私はただただ呆気に取られていたのだった。

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