第11話 侍女は荷物を見分す
薄くスライスされた黒パンを豆のスープに浸して食べていたユーグ様が、口の中のものを飲み込んだ後にこちらを見据えた。
「侍女殿は、カンテ伯の独り言をどう思われたか?」
「……宰相が実はエーデルシュタイン公だってヤツですか? いや、あの取り残されたマルクル様が強く否定されてましたよね。嘘をついているようには見えなかったのですけれど」
文官はマルクル、騎士はタルナートと名乗った。それはそれは恐縮して小さくなっておられた。
トップがあんなじゃ、国は回らないだろうに。でも、あの偉そうな態度の理由のひとつとしては在り得るとは思った。顔かたちを変えようと思えば手段はある。それこそ私のしているピアスのような。それにしたって存在を無いものとして扱っている娘をわざわざ国境まで送ってくるなんて、ない。ないない。
「大公だろうが宰相だろうが、もうどっちでもいいですよ。それよりもエリーザ様を優先しましょう。明日は予定通り、輿入れに関する約束事を記した誓約書の交換式をするんですね」
「ああ。マルクル殿が整えて代理でサインするそうだ。……国との結びつきに重要なものなのに代理でも良いのかちょっと不安はあるが」
「許す、なんて言ってたからいいんじゃないですか、エラそうに」
思い出すなに苛々がつのる。投げやりな気分で、ぱくぱくと目の前のものを口に入れて、空になった食器を横に押しやった。
「それではエリーザ様のところへ行って今晩のお支度を手伝ってまいります」
「よろしく頼むよ、侍女殿。俺は厨房へ行って王都から来たという料理人に会ってくる。カンテ伯にも話があるから」
◆
失礼しますと扉を開けると、エリーザ様はソファに沈み込むようにしてうたた寝しておられた。長く馬車に乗りっぱなしだったのだ、お疲れだったのだろう。侍女のコリンナが私に向かってしぃっと口に指を当てて静かにするようにと目配せしてきた。
部屋の隅に寄って二人でこそこそとこれからの予定を確認し、エリーザ様の荷物を見分していく。他国の姫君には申し訳ないが、いろんな思惑が絡んでくるので憂いをひとつづつ潰しておかねばならない。コリンナは協力的で、エリーザ様も幾らでも調べて貰っても構わないと仰っていたとのこと、すぐに対応してくれた。
しかしながら、どう考えても用意されたものは少ない。持参したものの他に、送ってくる予定はないのかと尋ねると、コリンナはぶんぶん首を横に振った。
「姫様のお荷物は本当にこれだけなんです。やっぱり少ないですよね……」
「うーん、咎めている訳ではないのですが、一国の公女様にしてはかなり少ないと言えるのではないでしょうか」
「ベルトホルト公子殿下が気にして下さって宝石などはいろいろ持たせて下さったのですが、ドレスの用意までは。輿入れが急に決まったので間に合わないということで。……姫様はこれまでたいへん慎ましくお暮らしだったのです」
「そうですか。でも大丈夫ですよ。我が国の大公殿下が心を砕いて下さっています。ドレスなど幾らでも甘えればいいのですよ。エリーザ様のお相手である第二王子のリシャール殿下と顔合わせをするまでに、王都で何枚でも用意しましょう」
ドレス如きで不安にさせることはしたくない。私の一存で勝手な約束をしたが、絶対に大公殿下は反対されまい。私はコリンナに向かって胸を叩いてみせた。まだ十四だという幼さの残る彼女は、エリーゼ様の乳母の娘で、幼馴染だという。公妃が亡くなられてから他の侍女やメイドがどんどん辞めていく中、彼女だけはひとり側にいることを選んだらしい。正直侍女と呼ぶには能力的に見合っているとは思えない。しかしながらエリーザ様にとっては唯一といっていい信頼出来る味方であるには間違いない。これから行動を共にするのだから、その中で助けになるよう指導をしていくしかないだろう。
見分の為、広げに広げた荷物を部屋のクローゼットに片付けていく。ドレスの枚数が圧倒的に足りていない。簡素なワンピースドレス、気軽なシュミーズドレスとちょっとした昼間のパーティーなら問題ないエンパイアラインのドレス、我が国で夜会に着るようなプリンセスラインのものがたったの一枚。全部で十枚あるかどうか、だ。幾ら何でも、な状態だ。
この街にどれくらい滞在することになるんだろう。それによっては、カンテ伯にお願いして衣装を用意しなくてはならないだろう。ゆっくり休んでいただくと共に見極めの時間が欲しいという、うちのマルゴワール宰相閣下の意向である。第二王子殿下との面会は王都に着いてからだ。いきなり夜会に出席ということにはならないはず。だけれど、備え有れば憂い無し、だ。
とりあえず今晩のお支度だ。いけ好かない宰相が帰ってしまったから、そう大げさな晩餐会とはならないだろう。身体を締め付けないエンパイアラインの青いドレスを着て貰おう。きっとふわふわした金髪に良く映えるだろう。
「――ごめんなさい、わたくし、寝ていたのね」
エリーザ様が目を覚ましたようだ。私はすっと姿勢を正して騎士のような礼をして、顔の表情筋を働かせてにっこりと笑ってみせた。
「お疲れでしたでしょう。お気になさらずに」
「お休みになっている間に、お荷物を確かめさせていただきました。ご協力感謝します」
「もう終わらせてくれたのね。それは勿論必要なことだと理解しているから大丈夫です。わたくしは他国の人間だもの」
エリーザ様は、ふんわりと笑顔を見せてくれた。寝起きだというのになんて可愛らしいのか。こちらも自然と口角が上がる。
「姫様、そろそろ今晩の準備をなさらないと」
「そうね、お湯を使いたいです。シア、お願い出来ますか?」
「畏まりました。メイドに伝えてきます。ついでにお目覚めのお茶もお持ちしますね」
部屋を出て、メイドを掴まえて湯の支度を頼んだ。それから厨房へ行ってお茶の支度をする。ここに居る間だけでも何人かメイドを付けてもらった方がいいだろうかとちょっと考えた。いちいち私がこうした雑用をしていると護衛がおろそかになりそうだ。ユーグ様に相談すること、と心にメモしたのだった。
誰かに呼ばれた気がしてふと顔を上げた。気のせいか、そう思ってトレイに茶器を載せて、菓子を入れた皿も置く。やあ、と真後ろに立たれた気配に驚き、振り向きざまに腕をあげて肘を突き出した。
「っ! 待てよ、僕だってば」
「フェリクス先輩?!」
どうして此処に? ていうか、真後ろに来るまで何も感じなかった。彼は戦闘要員じゃないのに。本気で驚いた。
「いきなり私の後ろに立たないで下さい。どうなっても知りませんよ」
あやうく肘を打ち込んでしまうところだったことを冷や汗をかきながら誤魔化した。とりあえずお茶を出さねば、冷めてしまう。
「シア、後で話がある。時間をくれないか」
「そうですね、私も聞きたいことがあります。このお茶を出してからにしてください」
わかった、とフェリクスはにこりと笑って手を振った。私はお茶のトレイを捧げ持ち、エリーザ様の処へと戻った。
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