第9話 侍女と騎士は先触れを厭う
エリーザのことをくれぐれも頼む。そう言い残して公子殿下はすぐに国境を越えて戻って行かれた。私とユーグ様は殿下の信頼を得らえたようで、そこには安心した。護衛というのは互いの信頼によって成り立っているのだから。公女様には気持ち良く何事もなくお過ごしいただきたいと切に願う。
「何と言うか、とても良い方でしたね」
「そうだな。真っ直ぐで気持ちの良いお方だ。代替わりして彼の統治になった方が、こちらにも利があると思えるな。今の大公は政はきちんとやっているようだが、人間性を危うんでしまう」
「騎士様、滅多なことを言わない方が宜しいかと」
「侍女殿も身の回りに気を付けて下さい。公女様が狙われるとしたら、貴女も危ない」
「そうですね、ただお世話をしたらいいかとのんびり考えておりましたから」
「――あの時の手合わせで、俺と戦う貴女は魅力的だった。だがあの姿をここでは見たくない」
何を言い出すのやら? 私は立ち止まってユーグ様を見上げた。気のせいだと良いのだけれど。
「揶揄わないで下さい。仕事ですよ」
「勿論分かっていますよ。でも本心です」
同じく立ち止まって私を見下ろすユーグ様は、仄かに熱を帯びた瞳をこちらへ向けて柔らかに微笑まれていた。待って。そんな目をされては勘違いしてしまう。焦って目を逸らしたが彼は構わず言葉を続けた。
「危険な目に合って欲しくはないということです。油断は禁物ですから。部下たちにも気を引き締めるよう釘を差しておきます」
そう言いつつ私の耳元に口を寄せ、俺が貴女を護ります、と囁いた。
「……っ!」
掛かる吐息が気になり、またもや後退った私を見て満足そうにくつくつと肩を揺らして笑っている。揶揄われた……! そう気付いた私は、ユーグ様を置いて馬を繋いでいる場所へと走り出した。先に帰ります! と言い棄てて。熱を持った顔を見られたくない一心で。
そう言えば、いつの間に公子殿下と連絡を取り合っていたのかを聞くのを忘れていた。そのことに気付いたのは、寝る準備をしてから身悶えながら寝台にごろごろ転がっていた時だった。
どうして急にあんなに距離を詰めてきたのか。手合わせして以降のユーグ様の態度に振り回されている気がする。彼とまともに話をしたのは、司書の“レティ”としてだった。でも今の私はレティでなくて“シア”だ。これまでもユージェニー大公殿下のお供として付き添った時に、近衛騎士として同じ任務に何度か就いていたというだけだった筈。シアとして話をしたのは、皆が揃った会議の時が初めてだ。そして手合わせをして……。男同士で拳を交わすと友情が芽生えるとかなんとか聞いたことがあるが、手合わせでは普通、恋情愛情は生まれない、よね?
そこまで考えて、手合わせの後、差し出された彼の手をはたと思い出した。あれはもしかすると、握手ではなくて、騎士が令嬢にする
こちらへと来る旅の途中もそうだ。彼は他の騎士とは距離を置き、というか私と話をするのは常にユーグ様だった。他の騎士たちはなんとなく私たち二人を遠巻きに見ていたように思う。ユーグ様がリーダーであったので、特に疑問は感じなかったのだが、一旦意識してしまうと違う意味を持っているように思える。
いや、私の勘違いであってほしい。だってユーグ様だよ? あのモテモテの! 私に関心があるとか絶対ない! ある訳ない!
妙な羞恥心に囚われてしまい、余計にひとりで寝台の上をごろごろ転がる羽目になった。
◆
一晩眠ると舞い上がった心がどうにか落ち着いていた。そう、そんなわけないのよ。と冷静な判断が出来るようになったのだ。朝食でお会いした時、いつもとまるで変わらない態度だったので、変なことを少しでも考えた自分が恥ずかしく、馬鹿じゃないの? と、ひとりで突っ込みを入れていた。
そんなことを考えている場合ではないのだから、気合入れ直さないと。<司書> としての沽券に関わる。
「侍女殿、警備計画について最終的な確認をしたい」
「承知しました」
ユーグ様に言われて他の騎士様方を交えて話し合いをしているうちに、あっという間に先触れとしてのエーデルシュタイン公国の宰相が国境を越えてきたのだった。
◆
「出迎えご苦労である。私がエーデルシュタイン公国の宰相ヴォルデマール・フォン・ギーレンだ」
なんとも尊大なお方だった。ベルトホルト公子殿下の方がよほど腰が低かった。後ろに回って、んべーと舌を出したい気分だ。ピエール・カンテ辺境伯も共に出迎えたのだけど、その後ろでユーグ様がこちらを向いて明らかに不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。同じ気持ちだった私の眉間も似たり寄ったりだったろう。彼は私の顔を見て苦笑してから、何食わぬ顔をして表情を消した。さすが、対応に慣れていらっしゃる。辺境伯も内心ではどうだか分からないが、そこは年の功、慣れた様子でにこやかに笑いながら宰相に向かって礼を取って自己紹介をしている。それを興味無さげに聞き流して、さっそくだが、と声を被せて話を始めた。
「さっそくだが、実はもう既に公女殿下も来られているのだ」
「は? 貴公は先触れと聞いていたのだが」
「ベルトホルト公子殿下が行って良しとされたのだ。有難く思うが良い。殿下に認められたのだからな」
「や、そのような方はお見えになっていないようだったと思うのだが?」
ギーレン宰相と一緒にカンテ伯別宅の玄関前に揃った騎士たちや文官とは少し離れた別の馬車から、侍女かメイドのお仕着せを着た女性が一人降りてきた。中に声を掛けて手を差し出している。すると中からもう一人、簡素で動き易そうな薄いブルーのワンピースドレスに身を包み、ヴェールを被った金髪の女性が現れた。あれはエリーザ公女殿下だとすぐに分かった。宰相に付き従った護衛たちが動こうとしないのをひと目で見て取って、私はカンテ辺境伯に小声で耳打ちしてから、さっと走り寄った。次いでユーグ様も共に並ぶ。
宰相閣下が大切なのは分かる。でもどうして公女殿下を一人で放っておくのか。まったく理解出来ない。公女殿下には護衛は付いていないのだろうか。そんなことってある? 私が先導するようにして、ユーグ様には後方を守っていただく。打ち合わせ通り、他の騎士の方々にも取り囲むように目配りをしてもらった。公女殿下が宰相の近くへと歩まれる。
「おお、素晴らしい動きですな。この調子で公女殿下をお護りいただきたい」
何を、偉そうに。危険にさらしているのはそっちの護衛じゃないの。私はこの宰相を投げ飛ばしたくてうずうずしていた。いや、思うだけでやりません。でも心証は最悪だ、地に落ちている。大事にされていないのが丸わかりの公女様を全力でお守りする決意を新たにしたのだった。
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