第8話 侍女と騎士は公子に謁見す
活気がない。そうとしか言いようのない街だった。歩いている人も少なく、住民が出て行って放置された家が目立つ。商店も閉まったままでとにかく寂しい。国境の街ってこんなものなのだろうか。私とユーグ様は中心部へと向かって歩を進めていた。
「嗜み、というには手慣れていましたね」
「<司書> というのはそういうものなので」
「ははあ、成る程素晴らしい。手合わせした時にも感じましたが、馬に乗る貴女も見事でしたよ」
こちらを覗き見るように首を傾げて微笑むユーグ様に、ちょっとどぎまぎしてしまった。騎士服ではなしに、黒いスラックスに黒のシャツをラフに着こなした姿に、妙な色気を感じてしまったのだ。飾り気のないシンプルな若草色のワンピースに編み上げのブーツを合わせた私はやっぱり平々凡々で、そこらの雑草と同じだ。侯爵家の次男坊とは釣り合わないのだから、そんなふうに見ないでほしい。
二人で触れ合わない程度に離れて埃っぽい道を歩く。住む人さえ少ないようだ。国境の街だと言うのに、王家としてもこんな状態で放置しておいてもいいのだろうか、なんて疑問が湧いてくるほどだ。公女様の輿入れをきっかけにして、もう少し発展していくといいなとガラにもないことを考えていた。
「侍女殿、こちらの宿で休みましょう」
ユーグ様が迷いなく一軒の宿屋へ入っていった。これは間違いなく予定された行動とみた。いったいここで何があるのかと身構えて思わず身体に力が入ってしまう。私のそんな様子に気付いたのか彼は、大丈夫ですよと言いつつ、宥めるように私の背に手を添えた。慌てて反射的に飛び退った私に、本当に貴女という人は、と彼は呟いて目を細めている。
「何ですか?」
「いや、俺のことが信用ならないようですね。何とか今日中に貴女の信用を勝ち取りたいものです。これでも騎士ですから、不埒な真似はしませんよ」
そう言いつつ肩を揺らしてくつくつと笑っている。所謂連れ込み宿という風ではないけれど、食事でなくいきなり部屋へ行くというのだから、どうしたって警戒するでしょう。でもそういう意味で避けたわけじゃないのだけど。そう、接近されては秘密がバレてしまうからだ。
宿の主人に断りを入れて、ユーグ様はさっさと階段を上がっていく。いったい何があるというのだろう。訝しむ私に振り向いて笑いながら手招きをしてくる。分かりました、着いていけばいいのでしょう。覚悟を決めて二階奥へと進み、他とは違う重厚さを伴った扉の前に立ち、ノックした。
「誰だ」
低いくぐもった声が聞こえた。ユーグ様が素性を名乗ると、扉が開かれ中へと招き入れられた。
「やあ、待っていたよ。来てくれてありがとう」
そう爽やかな笑顔と共に歓迎してくれたのは、鈍色に光る黒髪と鋼の瞳の威厳のある方だった。服装は普通の騎士服だったが、それにしては上等な生地をたっぷり使っているのが分かる。明らかに上に立つ者のオーラが隠しきれていない。その後ろには、付き従うように収まりの悪そうな赤い髪の男がすっくと立っていた。先触れは三日後と言ってなかったっけ? それに宰相には見えないけれど。
「ヴァイセブルク王国近衛騎士団所属のユーグ・ファブリス・デュトワと申します。公子殿下に於かれましては、このようなところまでお越しいただき誠に僥倖でございます」
ユーグ様がいつもよりも畏まって深く腰を折った騎士の礼を取った。公子殿下が来てるなんて聞いてないよ。驚きながら私も右に習えでここはきちんとカーテシーを披露する。
「これは公式訪問じゃないから楽にしてくれ。私も若手では一番だという噂の騎士に会えて嬉しいよ。――アントン、何か飲み物を頼んできてくれないか」
「前以ってお願いしてきましたので、そろそろ持ってきてもらえるかと」
「そうか、相変わらず手回しがいいな。ありがとう――彼は私の側近で補佐官のアントンという」
「殿下の補佐官を勤めておりますアントン・マロールといいます。よろしくお願いします」
「改めて挨拶するが、私はエーデルシュタイン公国公子ベルトホルト・フォン・エーデルシュタインだ。此度は我が妹を其方へ任せるにあたって、知っておいてもらいたいことがあって呼び立てた。突然ですまないな――ところで其方の女性は?」
「彼女はシアです。侍女兼護衛として公女様に付き従う予定です。構いませんでしょうか」
「シアと申します。家名はどうかご容赦ください。エリーゼ公女殿下の侍女を勤めさせていただきます。よろしくお願いします」
ここで私が顔を上げた。ベルトホルト公子殿下がこちらを試すような目付きでじっと見ている。護衛か、そんな呟きが聞こえた。
「エリーザは親しい侍女を一人だけ連れてそちらへ輿入れ予定だ。一人では心許ないと思っていた。シアとやら、妹を助けてやってほしい。侍女、というより護衛が何より有難い」
お互いに自己紹介をしたタイミングで、宿の主人がお茶のセットを持ってきた。それを受け取り私が給仕を担う。一国の公子に出すような代物でない香りの弱い茶葉だ。申し訳ないが我慢してもらうしかない。
殿下の視線を受け、赤毛のアントンが扉の鍵を閉めた。内密な話の始まりだ。どちらかと言うと聞きたくない内容だろうなあ、と私はちょっと遠い目になった。ユーグ様に騙された気がする。隣に座るユーグ様は悠々お茶を飲んでいる。まったくこちらを見ようとはしないのが証左だ。あとで文句のひとつでも言ってやろう。
「さて。そちらももう分かっていることだろうが、我が妹エリーザは大公の種ではない」
酷く直截的な言葉を遣っての公子殿下の話が始まった。
政略結婚ではあったが、エーデルシュタイン公は公妃をたいそう寵愛していたらしい。子どもを三人産ませたことを鑑みてもそれは事実だろう。公妃のほうも夫を愛していたのは確かだと公子殿下は語った。だが、頻繁に出入りしていたアジーラ国の聖職者の存在が公妃を惑わすことになる。
「いっときの気の迷い、とは言えないほどの感情を持っていたと思うのだ。我が母のことながら、嫌な言い方をすると、すっかりのぼせあがっていたな。昨今流行りの真実の愛ってやつだったかも知れん」
殿下の笑顔は歪んでいた。自嘲するかのようにそんな言葉を口にして、溜め息を落としてお茶を飲んだ。
「私は十歳だったかと思う。その頃、偶然国内で聖石の鉱脈が発見されたのだ。するとアジーラ国の聖職者が品質を確かめる為に飛んできた。アジーラ国内の聖石の出る鉱山は既に枯れていたということだったからな。そこから我が国とアジーラの結び付きが強くなって、聖職者が鉱脈探しに幾人か滞在することになった。……エリーザの父親はそのうちの一人だったのだろう」
彼は見たそうだ。母親の部屋に時折輝くような金髪の黒い眼鏡を掛けた一人の男が出入りするのを。まだ子どもだった殿下は意味も分からず、あれは誰だろうと不思議に思っていたという。
「相手の名前も何も知らない。ただ、母はそれまで見せたことも無いような表情をしていた。ふわふわと夢の中にでも漂ってるような、そんな幸せそうな様子だった。父はその頃、アジーラの接待と聖石のことで忙しく余裕が無かった。多分母の行動にもまるで気付いていなかった。周りの使用人も母の味方で皆して黙していたようだ。思うに父の愛は、一方通行だったのだな」
重い沈黙が部屋の中を支配した。妊娠が発覚した頃には、聖職者たちは仕事を終え既に国に引き上げていたらしい。子が出来たことは勿論大公にも知らされたが、自分の子だと露ほども疑わなかったという。そうして月満ちて生まれたのが、金髪で茶と金のヘテロクロミアのエリーザ様だったと言う訳だ。そりゃお怒りは激しかっただろうな、と推察する。
「いや、……怒り、というよりも愕然としていたな。ただ認めたくない気持ちが大きかったように思う。あれから妹への父の感情が無くなってしまったようになった。エリーザは父からは居ないものとして扱われた。同時に母のことも記憶を消したかのように、触れ合わなくなった。父は母を愛していたのは確かだが、それはエリーザが生まれた時に時が止まったのだ。先日母が亡くなった時も、心を閉ざして目には何も映そうとはしなかった。だから葬儀も内々で済ませた。……我々兄妹と母の侍女たちとで、ひっそりと見送った。一国の妃殿下なのにな」
悔しそうに唇を噛み、感情の奔流に耐えている殿下は、母思いの稚い子どもに見えた。気の毒な話だ。しかし気になることがある。私は不敬を承知で口を開いた。
「……ひとつお伺いして宜しいでしょうか」
「許す。何でも聞いてくれ」
「では遠慮なく。エリーザ様ですが、仲間からの情報によると、今まで何度か命の危険があったと聞いています。犯人は捕まったのでしょうか? 正直に言いますと、私は父親が、大公がそのような暴挙に出たのかと考えておりました。が、父親からは関心を示して貰えなかったということでしたので、その線はちょっと違うように思えるのです」
「犯人は捕まっていない。というか分からなかった。毒を盛られたこともあったが、直接手を下した者は、あの場合はキッチンメイドだったが、話を聞こうとする前に死んでいた。口封じされたのだ」
「では、誰が?」
「――アジーラの聖職者ではないですか? 聖職者には厳しい掟があるという話を聞く。そのうちの一つが、他国の者と交わってはいけないという掟だ。血を守る為だと、そう聞いている」
ユーグ様の導き出した答えが一番近いように思えた。自分の間違いの結果である子どもを排除しようとしたと考えるのが一番妥当だろう。酷い話だが。ちゃんと避妊しろよな。十六年前だって方法はちゃんとあったんだから。
「私もそう考えている。しかしアジーラとの付き合いの難しさは貴殿たちも良く分かっているだろう。明らかにするのはまず無理だ。まったく忌々しいことだ」
これ以上考えても答えは出無さそうだ。詳しく探れなかったというジョスランの口惜しさも良く分かったが、アジーラのことになるとどうにもならない。アジーラの父親がエリーザ様を消そうとしているのなら、我が国でも同じことが起きるかもしれない。ちょっとのん気にしている場合ではないな、と私は気を引き締めたのだった。
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