第7話 侍女は騎士と国境へ向かう
国境まで馬車だと三日は掛かる。騎乗すれば時間の節約になると思い、馬で国境へと向かうつもりだったが、貴族出身の侍女はそんなことはしないと養父に咎められてしまった。私一人で馬車を使い、ユーグ様や他の騎士の方たちは馬での移動と相成った。結局、国境を越えて騎士などに入られては困ると突っぱねられたリースマン侯爵は、報告時見事な顰めっ面のままで、大公殿下の前であっても今にも舌打ちしそうな勢いだった。
エーデルシュタイン公国と接してる国境の街ペランは、鉱山で盛んに採掘されていた頃はかなり栄えたそうだが、もうそんな面影はなく、打ち捨てられた廃墟が目立つ憂鬱な気分の漂う街だった。国境と言っても今はもう公国との行き来も少ないそうだ。申し訳程度の宿しかなく、仕方なしに少し離れたピエール・カンテ辺境伯の別宅を借り受けることになっている。王家から連絡を取ってもらい、公女殿下を迎え入れる為の準備をしてもらっている。
馬車から眺める景色は典型的な田園風景でのどかそのものに見える。任務とは言え今はまだ緊張する必要もないだろう。ぼんやりとしながら、先日ユーグ様と行った手合わせを思い出していた。
養父、もとい後見人名目のプロスト子爵が見守る中、私はシアとして、わざと侍女のお仕着せである濃紺の飾り気のない踝丈のワンピースドレスを着込んでユーグ様と相対した。
まずは長剣での手合わせを望まれた。長剣は長く重みがあるので、さほど背の高くない私にとっては苦手な得物だ。模擬戦用のものだからと言って手渡されたものは少しは軽く感じたが、振り回すのにはそれなりに鍛えていないと無理だった。あっという間に一本取られてしまい、子爵の冷たい視線が飛んできた。現役バリバリの本物の騎士様相手に付け焼刃に近い私が勝てるとでも?
向かい合っただけで、纏う空気感がいつもと異なり、改めて彼のかなりの強さが伺い知れた。この方には絶対に勝てる気がしない。そう思った。思ってしまった。
長剣を飛ばされてしまったあと、すぐに隠し持っていた短剣を手にして正面から突っ込んでみた。しかしこちらの動きをきっちりと読んでいて、流れるように躱され、ついでに足を掬われてしまう。情けない。無様にすっころぶ前に、手を着いてくるりと回転、直ぐに振り向いてこちらへ伸ばされたユーグ様の剣先をなんとか躱す。それだけで、こっちは既に息も絶え絶えだ。
膝を付いて身体を縮めて短剣を構え直し、髪に差した特殊なピンを引き抜いて顔を狙って投げた。彼ならば絶対に避けられるはずだとの信頼感からだ。案の定、剣を使ってきんっという音を立ててピンを跳ね除けた。と同時に長剣を投げ捨てたかと思うと、私に向かってきて素手で腕を取ろうとしてきた。狙って差し出した短剣を軽く叩いて落とし、そのまま腕を取られて投げ飛ばそうとくるりと身体を捻ってきた。
こんな接近戦になるとは思っていなかった私は、背中に軽々と持ち上げられてしまって、かなり慌てた。投げ飛ばされる前にと、こちらも身体を捻ってユーグ様の背中から反動を付けて飛び退いた。反転して反撃を試みようとして、その判断は一瞬遅かったようだ。いつの間にか私が落とした短剣を拾って後ろから肩を抱きかかえられて動けなくなり、切っ先を首に突き付けられていた。マズい、こんなにひっついたらバレてしまう。
『それまでに願います』
割って入ったのはプロスト子爵だった。ユーグ様は涼しい顔をしたままで、するりと私を開放すると、すまなかったと言いつつ私に短剣を手渡してきた。腹立たしいほどの余裕をそこに感じた。ぱたぱたとスカート部分についてしまった土埃を払って、八つ当たりだが彼の顔を睨み付けた。子爵は渋面でこちらを見ている。
『まったく、<司書> ともあろうものがこんなにこてんぱんにされて』
『そりゃ無茶ですよ! 現役の近衛騎士様に勝てる訳ないじゃないですか!』
『いや、侍女殿の実力は見せてもらいました。十分な強さをお持ちだ。彼女なら我々男が護衛出来ない場面でも安心して任せられます』
どこが!? と叫びたくなった。悔しくて何も言えずに固まっている私に、彼は目を細めてふんわりと微笑んでみせた。
『自慢じゃないが俺を倒せるのは、近衛騎士団の中でも隊長クラスの人間数人しかいません。俺相手にあれだけ動けるのだから大丈夫です。倒されてもすぐに攻勢をかけてくるなんて思いもしませんでした。何も貴女一人が護衛を担当するのではありません。我々も同様に担っているのです。貴女で足りない分は俺たち近衛騎士団が補えばいい』
あの短い時間にどうやら護衛としての信頼を勝ち取れたようだった。その点は本気で嬉しく思えた。彼は右手を私に向かって差し出してきた。握手するのね、と私にしては最大限の笑みを浮かべて両手で握り返した。すると一瞬微妙な顔をされたが、すぐに同じく笑って左手を添えてきた。昔からの仲間のように笑い合ってがっつりと手を握り合った。
そうして侍女シアとして近衛騎士団の事務室に出向き、他に同行する騎士様たちに挨拶したり、共に護衛計画を練ったりすることになった。何事もなく公女様をお迎え出来たらいい、とその時はまだのん気に構えていたのだった。
◆
国境の街ペランに辿り着いた。すぐにピエール・カンテ辺境伯の別宅へと向かい、迎える支度が整っているか、同行の騎士たちと共に確認して回った。辺境伯の近侍だというクレマンという男が案内についてきてくれた。カンテ伯は、メイドや従僕だけでなく、辺境伯家専属の騎士団の一個小隊も寄こしてきた。如才ないことだ。
「クレマン殿、いろいろと助かりました。カンテ伯には感謝をお伝え願いたい」
「なんの、カンテ辺境伯家としても公女様の接待は名誉なことですから、何でもお申し付けくださいませ。で、正確にはいつお越しになるのですか?」
「先触れが三日後には到着することになっています。何事もなければ公女様はその二日後に来られる予定です」
「ユーグ様、あちらの先触れはどなたが?」
「宰相と聞いている。公女の輿入れだから妥当なところだろう」
それよりも私の関心は、公女が侍女を何人連れてくるかにあった。多ければ私の出る幕が無くなってしまうかもしれない。どうしたって他国の侍女なんて信用されにくい。人数の少ない方が懐にも入り易いだろう。ぴったりお側に付き従って守ってやってくれと、大公殿下から頼まれていたのだ。
「侍女殿、俺は一度街中を見てくるが、貴女はどうします?」と、ユーグ様がこちらを向いた。
「私もお供します。今度こそ馬で行きます」
そう告げると、私と養父の騎乗か馬車かのやり取りを思い出したのだろう彼は、思わずといったふうに苦笑した。
「さすが、プロスト子爵ご自慢の<司書> ですね。貴女は貴族令嬢だとお見受けするが、乗馬は得意ですか」
「令嬢の嗜み程度には」
得意とまでは言わないが、馬に乗る爽快感は好きだ。確かにここまで馬で来るのは無謀だったかもしれないが。
ユーグ様は、一緒に来た他の近衛騎士たちに何らかの指示を出した後、行きましょう、と私を促した。どうやら二人で視察に向かうらしい。
「他の方々はよろしいのですか?」
「ああ、彼らには交代で明日に行って貰うから大丈夫です。それよりももっと気軽な恰好をしましょうか。不自然にならないように」
成る程。旅装だとしても王都からの我々の格好は上等過ぎたようだ。辺境の寂れた街では目立つかもしれない。少し時間を下さいと断りを入れ、着替えに部屋に入った。
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