第2話 司書は任務をこなす


「レティシアーネ・プロスト嬢、今回も良くやってくれた。これで証拠が揃った。ありがとう」

「お役に立てて何よりです」

「うん、今日はもう上がってくれていい。後処理だけは頼むよ」

「はい、ありがとうございます」


 私は目の前の紳士に深くお辞儀をした。上品なカーテシーではない、単なる子爵令嬢にはそんなものは似合わない。宮廷勤めの文官としての一礼だ。頭を上げると紳士は既に扉の向こうへと消えていた。


 踵を返してさっそく宮廷の奥まった処にある、文官専用の図書室へと向かった。入り口の<総合受付> で先ほど受け取った終了証を差し出した。お疲れさまでした、という一声と、ばんっと音を立てて印章を押してもらう。今度はそれと衣装諸々を入れた箱を隣の<返却カウンター> へと滑り込ませた。ここでもお疲れ様の一言と共に、代わりに薄汚れた革の小袋を差し出される。次いで<レファレンスサービス> と掲示された窓口へ抱えたままだった資料を置いた。


「無事に終わったんだね」と声を掛けてくれたのは友人のアナイスだ。

「ありがと。今回も役立ったよ」と礼を言う。


 軽く言葉を交わした後、傍の階段を駆け下りて閉架式の書庫へと入った。私の目的地はその更に奥の<図書事務室> だ。


 どうして民間業者がやるような浮気調査を私が? という疑問があったのだが、あの夫人のお相手は、先だって奥方を亡くされたばかりのドニ・ノエル・バティスト公爵閣下だった。成る程それは国の大事だ。先の王の弟君に当たるその方は、奥方が西の大国ゾンネスフェルト出身だったので、彼の国との繋がりが深い。王族のお一人であるから国の重要機密に触れる機会もあるのだが、どうも閨に入ると口が軽くなるようで、典型的なハニートラップに引っ掛かってらっしゃったのである。もうけっこうなお歳だというのに。あっちは今でも使える状態なのか甚だ疑問だ。……不敬なのでこの辺りにしておくが。


 お相手のファルファッラ夫人もゾンネスフェルト国の出身だ。以前から我が国の情報が西の国へ流れていると思われるふしがあった。侍女として入り込んだお邸では毎日のように、サロンと称して西の国出身者や我が国の高官、文化人が集まるパーティーが開かれている。一見さんお断りの紹介制の集まりで、此処に出入り出来るというのが今、我が国の社交界でのちょっとしたステイタスになっていた。ファルファッラ夫人はともかく魅力溢れる女性であるには違いなく、齢四十を越えてもなお、肌艶に陰りなく、加えて煌めく金髪に水面の如く輝く蒼い瞳で、その魅力を振りまいている。未亡人であることさえも魅力の一つであり、人気を惹き立てていた。


 サロンでは毎夜いろんな情報交換と共に、艶事も転がっていて、その為の小部屋が用意もされていた。侍女の一人として、掃除や給仕の為にあちこちの部屋に派遣されて、ついでに耳をすまして情報を得てきた。行くまでは、夜な夜な酒池肉林状態が繰り広げられるのかと思っていたが、割とまともな集まりが多くてちょっと驚きもしたし、ここに出入りする高官の方々は本当に勉強熱心で、西の国との交流を大事にしていることがすぐに分かった。一度だけ、<図書館> の先輩であるフェリクス・オーブリーを見かけたことがある。彼はゾンネスフェルト国に技術者として短期留学していたので、その関係で出入り出来るのだろう。


 ま、バティスト公爵閣下はそうした勉強会が目的でなくて、夫人との時間を楽しみにしてらっしゃったようだ。奥方も亡くされたのだし、別に否定はしない。けれど、こちらの情報を流すのは駄目だ、大いに気を付けてもらいたい。『もう閉山された筈の鉱山で、白金の鉱脈が見つかった』というその情報の内容をざっくり把握出来たところで侍女を辞してきた。<レファレンスサービス> が用意してくれた仮の身分証と紹介状と、髪と目の色を変え、顔付きも多少なら変えられる認識阻害機能付きのピアスのおかげで、バレる可能性はほぼない。


 それにしても、お邸の賄いは非常に良かった。もう少し侍女やってもいいなと思うくらいに。


 表向きの私は、文官専用の宮廷図書室を管理する司書事務官として採用されている。いつもじゃないが、ちゃんとカウンターに座って地味な事務作業をしたり、返却された本を棚へと戻したり、傷んだ本を直したりしている。


 しかし実態は、先の内戦後間もない頃に創立された<図書館> と呼ばれる諜報機関での<司書> という名の間諜である。一応貴族の子女が通う王立学院を普通に卒業し、そこから<司書養成講座> という名目で、まるまる一年間、ありとあらゆる知識や体術を叩き込まれた。血反吐を吐く思いをして、文字通り実際に吐きながら、<図書館> が求める水準に達した者が晴れて、実行部隊の<司書> となる。部隊に登録された人間がどれほどいるのか、この仕事についてまだ三年の下っ端の私には分からない。知る必要の無いことは知らなくていい。それは身を守る為の教えのひとつである。


 仕事内容が浮気調査だろうが、とにかく無事に仕事をやり遂げた。国の為の仕事だ、大いに褒められて然るべきだと思う。


「や、レティシアーネ、レティ、久しぶり」

「あら、ジョスラン、ジョス、生きてたんだ?」

「ご挨拶だね、君らしい」


〈図書事務室〉の扉を開けると、そこには同期のアイスラー伯爵家三男のジョスランがソファに座り込んでいた。彼はしばらくエーデルシュタイン公国へと潜入していたのだ。どうやら任務は終わったらしい、同期の笑顔を見るとちょっと安心する。


 ジョスランとは王立学院入学時から同じクラスで腐れ縁ともいえる。明るいブラウンの髪に緑の瞳、中肉中背、一見ぼんやりしているがそれは油断を誘う罠に過ぎず、素手での格闘では私は一手も打ち込めた試しがない。悔しい。


「だって、エーデルシュタイン公国へ出張だって聞いてたから、さすがのあんたでも何処かで引っ掛かって無理じゃないかって皆で賭けてたんだよ」

「マジかよ、ひでーな。期待を裏切って悪いが、この通りぴんぴんしてる。さっき<返却カウンター> へ行ってきたとこ」

「おかえり。また会えて嬉しいよ」

「おう。ただいま」


 そうして挙げられた彼の手に私も手を合わせた。ぱちん、と小気味いい音が鳴る。これは無事を祝う仲間同士の挨拶だ。実は互いに武器を持っていないという意思表示の意味合いもあるが。それから先ほど返却カウンターで手渡された皮の小袋を広げて中身を確かめる。<司書> の仕事は歩合制だ。経験値や危険度に合わせて報酬が変わる。国内で浮気調査をしていた私と国外で潜入捜査してきたジョスランとは、かなりな違いがあるだろう。でも相応の理由があるから文句を垂れるつもりはない。浮気調査にしてはまずまずの金額かな、という額が入っていた。その様子を見ていたジョスランがくすくす笑っている。


「レティは明日仕事かい?」

「私も今日けりを付けてきたとこ。明日は普通に図書室で事務仕事をするよ。今日はもう帰るけど」

「んじゃ、食事に行こう。レティも稼いだようだしさ。他にも声掛けてるから」


 断る理由がないので、是とする。同僚との情報交換は貴重な機会だ。仲間とは親睦を深めておくに限る。いざという時の財産になるからだ。

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