司書と侍女、どちらがお好きですか? ~近衛騎士はあの日の侍女を探している~

久遠のるん

第1話 騎士は心に住まう女性がいると言う


「君にはすまないと思っているが、俺には、心に住まう女性ひとがいる」


 さっき結婚式を挙げたばかりの私の夫が、侯爵夫妻の用意して下さった寝台が泣くような台詞を吐いた。おお、これが噂に聞く初夜の拒否なのね。ぞくぞくするわ。

 朝早くからの準備やら何やらで、正直くたくだった私は、渡りに船とばかりににっこり笑って返してやった。


「そうでしたか。承りました。―――それでは、おやすみなさいませ」

「いやいやいや。待て、ちょっと待て。待ってほしい。そうじゃなくて」


 そうじゃなくて、って他にどんな意味が?


「だって、私と共寝するつもりはないと仰っているのですよね。所謂“白い結婚”をお望みなのでしょう。身体に負担がかからずに済むのですから、私としては有難くお受けいたします。適当な時期を選んで離縁していただければ結構です。そうしたら貴方様も、何処どこの何方どなたか存じませんが、愛する方と結ばれるのですし、大変喜ばしいことかと。応援して差し上げますよ。

 ですが、私と結婚している間は、あんまりお盛んにその方のところへ通われるのはちょっと、デュトワ侯爵家としても外聞が悪うございますので、そこそこにしていただいた方が宜しいかと思います。それにしても、――そういうことでしたら結婚式をする前に一言あっても宜しかったのでは? まあ、婚約してからまともにお会いしたのも今日が初めてですし、伝える暇もなかったのかもしれませんが」


 立て板に水の如く、あっさりさっぱり言ってやると、本日夫となった人がその端正な顔が台無しになるくらい目を剥いて口を開けて呆然としている。何故そんな顔をする? こちらがびっくりするわ。


 何やら考え込むように眉間に皺を寄せて目の前で立ち尽くしている人は、武門の誉れ名高いデュトワ侯爵家の次男で近衛騎士団第四隊所属のユーグ・ファブリス・デュトワ様だ。軽くうねりのあるちょっとくすんだ金髪を無造作に一括りにし、翡翠のような美しい瞳、長身で細身に見えるが騎士らしく鍛えられた体躯の持ち主だ。剣術に優れ、近衛騎士団長にも覚えめでたいと聞いている。


 近衛騎士団は第一隊から第四隊まで存在し、第一隊は国王の、第二隊は王妃の、第三隊はその他王族の、そして第四隊は宰相や大臣クラスの要人の護衛を担当している。ユーグ様は主に宰相閣下の護衛に就くことが多く、それどころか時には王妹殿下、今は臣籍降下されて女大公となられたユージェニー・ノエラ・ヴォルテーヌ殿下の護衛騎士としてお仕えしているのも知っている。よほど信頼されているようだ。


 見栄えも重視される近衛騎士団だ、ユーグ様のご尊顔は十分に鑑賞に耐え得るもので、事実多くのご令嬢方から熱い眼差しをその身に集めていると聞く。高位貴族令息とあらば、例え次男であっても、幼い頃から婚約者がいらして当然なのに、何故か二十五歳になられるのにお独りだった。何か厄介事でも抱えていらっしゃるのかと勘繰り、この縁談が降って湧いた時には一応周辺に探りを入れたのだが特に問題は見つからない。女性が苦手だという噂もあるから、それが真実なのかもしれない。ということは浮気性ってことも無く、結婚相手にはうってつけな方なのだ。


 翻って私は、赤く縁取られた琥珀の瞳と、一歩間違えれば老婆のような牛乳を入れ過ぎた白依りのミルクティー色の髪で、全体的にはさほど目立つことのない顔だ。凹凸の少ない平坦な身体つきには少々コンプレックスを感じているが、そこを求めているのなら、多少なりとも申し訳ない気持ちにはなる。


 一応、貴族の令嬢が身に着けていることは全て身に着けたつもりだ。いや、それ以上の余計なことも身に着いている。それに関しては、初夜を拒否して私を受け入れようとしないのであれば、一生夫に告げるつもりはない。婚約時の誓約通り、結婚しても今まで通り仕事をさせてくれるのなら、それで満足だ。多分、きっと。……ちょっと残念な思いも無きにしも非ず、だけれど。


 図書室で司書として接した短い時間、それから<司書> の任務で共に闘った日々。私の中でいろんなユーグ様が思い浮かんでは泡のように消えていく。確かに私はこの方に惹かれていたのだと再認識させられてしまう。しかしそれは決して手を伸ばしてはならない想いだった。私の仕事の内容上、見た目を変えていることが多いので、任務中にお会いしたのは今の姿ではない。だから彼にとって私との縁談は、一体全体どういうことなのか理解に苦しんでいるのだと思う。


 だけど私にとっては、大公殿下が唐突に嫁に行けと仰っての今日の結婚式は、ちょっと、いえ白状するとかなり嬉しいものだった。ふんわりとだけど憧れていた人との縁談だ、浮かれて当然でしょう。でも、彼にとってはどうやら望まない迷惑な縁談であったらしい。殿下からの直々のお話だから、断るという選択肢はなかったのだろう。思えば気の毒な方だ。


 だから私も心に蓋をして育てることなくさっさとこの淡い想いを葬り去ることにする。今日の式は、そう、思い出として大事に心に仕舞っておこう。例えすぐに離縁されるにしても、この思い出があれば独り身でもやっていけそうだ。


 なんて思っていたら、ユーグ様がじっと私を見据えてこちらへと近づいて来る。


 ――どうしたの? 何がしたいの?


 それにしても、非常に人気の高い近衛の騎士様が、どうして見た目平々凡々の子爵令嬢の私と縁付くことになったのか、なのだが。

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