ヨセフによる『マリア』記-4

まるで絵本の中に入ってしまったようだ。僕は家についてそう語ろう。

この家は呪われているか。呪われていないか。呪われているというのなら誰が呪っているというのだろう。

僕はオカルトには詳しくない。だけど、どのホラー映画でも大元の原因があるものだ。それが人であれ、悪魔であれ、なにかはそこにいる。

そういうものは僕らが信じる神よりも形を顕著にあらわすだろう。どれほど教会に通って祈っても、神は目の前には現れない。大空を天使が羽ばたくことはない。

良いことよりも悪いことの方が人にとっては重要なのだ。悪いことを回避したいから予言を欲する。


では、町の人が言う「呪い」とは何なのか。


「呪われているのか?」

「ノロワレテナンテイナイワ」


ほら、ナターシャだってそう言っている。

ああ、でも。


「変わっているかもしれないな、この家は」


ナターシャは笑う。




この家の中では気づけない。外に出なければ。




僕は夜の廊下を歩く。

この腕の中には、いつの間にかナターシャが抱かれている。彼女は大切にされたいのだ。だから僕はそれに応え、赤ん坊の抱き方を学び彼女に施した。マリアにはしてあげられなかったことだが、きっといつか命を抱くこともあるだろう。

ナターシャは満足そうに笑っていた。


僕らとナターシャという関係は、単なる一家と人形のものではないだろう。一人の声を聞いたその瞬間、僕らは呼ばれたのだ。

それが呪いなのかはわからない。だが、これだけは言える。


「僕らは選ばれたのかもしれない」


窓の外の月が輝く夜だった。







そう。

僕らはこの家に招かれた。今思うとそうでしかない。

何がお役目だ。僕らは町の人の手によって役目を押し付けられたのではない。きっとするべき「お役目」なんて最初からなかったんだ。

だって見てみろ。彼らが僕らに向ける目を。嗤っているだけじゃないか。変なモノを見る目で僕らを見て、ただ嗤いたいだけじゃないか。


「カナシイノネ、ヨセフ」


彼らは自分だけが正しい、自分だけが素晴らしいと思いたいだけだ。自分よりも立場の低いものをわざわざ用意して、自分こそがと。

町は余所者を嫌う。外には内のことが理解できないという心理が彼らに働いているに違いない。


外には、内のことが。

内には、外のことが。


「ヨセフ、ネムリマショ」


人形が僕に語りかける。







おかしいだろう。人形が喋るだなんて。

これもきっと外には理解できないことなんだ。外では通用しないこと。

じゃあ今の僕はなんだろう。

僕はきっと変わってしまった。

この隔離された「呪われた家」という空間の中で、何かが起きている。何かが、変わっている。


「ヨセフ。アナタニナラワカルワ」


ここにいては気づかない。

外に出なくては。

物語の中にいたら物語に呑まれてしまう。本の外に出て、第三者の視点で物語を読まなくては。

ここから、出なくては。


「ヨセフ。ソトニアノコガキテイルワ」


ああ、またナターシャが僕を呼ぶ。

僕はここから出られない。


ごめんよ、エヴァ。

ごめんよ、マリア。

僕は君たちをあの山小屋に連れて帰ることは出来ないらしい。

話をしよう。毎夜、僕の話を聞いてくれ。

出来る限りのことをしよう。君たちのために。




神よ。僕に真実をお与えください。

この家に眠る真実を、僕にお与えください。

この家はまだ呪われてなんていない。

まだ。

まだ。

まだ、だ。

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