ヨセフによる『マリア』記-2

新しい家には先住民、それも町の人よりかなりこっちの事情を理解しているような顔が僕を見る。

ドアを開いた先で待っていたのは一体の人形だった。今まで見た中でもとびきり美しいロシア人形。僕とマリアは驚き、エヴァは再会を喜んだ。ブランは興味を示してはいたけど玩具にすることはなかった。




僕たちは彼女を、いや、彼女は僕たちを新しい家族として、住人として受け入れてくれたようだったよ。




名前はナターシャ。

何十年も、もしかしたらもっと前からこの家にいたかもしれない少女の形をした人形。五つのマリアよりも小さな体で、彼女は人を待っていた。


エヴァはナターシャについて何も言わない。僕が問えば、彼女はいつもこう返した。


「この家に来るとね、この子と出会うのよ。いろいろ教えてくれるわ」


その「いろいろ」がどんなものか、僕はエヴァの口からは引き出すことができなかった。でもそれでいいんだ。妻の言葉の意味は、娘の口から語られた。


「お父さん。この子、ナターシャって言うんだよ」

「お父さん。ナターシャが笑っているよ。ブランが可愛いんだって」

「お父さん。ナターシャが怒っているわ。お外に誰かいるんだって」

「お父さん。ナターシャがいないわ。また一人でどっかに行っちゃったのね」

「お父さん。お母さんがナターシャとお話しているわ」


マリアは日に日にナターシャとの仲を深めていった。エヴァもナターシャとの出会いを少しずつ話してくれるようになった。僕の知らない時間だった。




カレンダーが捲られていく度に僕たちは変えられていった。エヴァからは笑顔が減る。マリアはワンピースを着る。僕もきっと何かが変わってしまったのかもしれない。だけどわからない。きっと他の人のことより自分のことが一番見えにくいのだろう。


僕は慣れない絵を用いて絵本を書いた。月の夜の話だった。そしてそれを愛する妻と娘に聴かせるんだ。

僕はここにいるんだよ、と。

それが僕の変わらない証だった。僕は僕だから。そしてその時はやって来た。


「アタシ、ナターシャ」







人形の発する声というものはどういうものだろう。金属の擦れる音。性別のない子どもの高い声。むしろ老婆の皺枯れて間延びした声。あるいは若く特徴のない男性の声。もしかしたら筒の中を吹き抜ける風の音なのかもしれない。

僕が少年だった頃、よう想像したものだ。動く人形。人形が動く姿。現実には異国のカラクリを用いなければあり得ないものだった。

人の手で動かすから人形なんだ。自分で動いてしまったら、それは。それは、リアルという現実から離れているだろう。

人形は動かない。変わらない。成長しない。

だから数年前に出会った少女は大人になっても、人形は変わらずそこに在り続けるんだ。いくら時間をその人に似せられた体へ刻んでも、人形は人形。生きていない、物なんだ。


僕はずっとそう思っていた。


でもその家では何かが違った。

違う何かが家の中を満たそうとしていた。

大きな家には開かれることのない部屋が数多く残っていた。僕たちの知らない何かがある、鍵付きの部屋だ。でもいずれこの家を出て山小屋へ帰るつもりだったから、全てを見る必要なんてないと思ったんだ。




その家に住んだなら、知らなくてはいけない。知らされる未来が用意されている。




それを教える声に出会ったのは突然だった。




「アタシ、ナターシャ」




「アナタワ?」

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