第4話 銀狼

「さっきのは夢だったのだろうか……」


 僕は椅子に座り、観察日記を開く。すると、自分が書いた記録が事細かに残っていた。ただ、グチャグチャっと書かれた文字からして相当疲れていたとわかる。あとから読み返せるように書き直しておかないと。でも……、


「よ、よかった……。夢じゃなかった」


 観察日記に銀狼の姿が他の文字より鮮明に描かれており、ほっとする。


「銀狼が助けてくれたのかも……。そうだったら嬉しいなー」


 僕は銀狼の姿の絵を見ながら、グチャグチャっと書かれた文字を修正していく。生憎記憶力がいい方なので、なにを書いたのか何となく思い出せた。文字を綺麗に修正した後、未だに銀狼の名前をつけていなかったと気づく。


「んー、なんて言う名前にしようか。分類は魔物族狼科とかかな。個体名はどうしようか。あんなに小さかったのに生きようとしていた。強い意志が無いと無理だよな。出来れば強い意志を持っていると言う意味を込めたい。うーん、フェンネル(ハーブ)の花言葉は『強い意志』と言うし……。フェンネルをもじって『フェンリル』にしようかな。うん、良い名前だ」


 僕はお気に入りの魔物を見つけて名前を付けた。ものすごく良い気分で、そのまま集中力が続く限りライトさんが書く論文みたいに今回の発見を文章でまとめた。まだ荒い結果だけど、もっと多くの発見をすれば大人が書いたって思われるような凄い論文になるんじゃないだろうか。


 『不思議な生き物が攻撃を負うことによって発生する光る粒は魔力だと考察した。それならば不思議な生き物の体は魔力で構成されていると証明できる。根拠として魔力を含む魔石と魔力を含まない魔石をくっ付け合わせると起こる[魔力の移動理論]により、実際に魔力が魔物の体の中に流れる現象を確認した……』


「ふふふー、楽しいなー、楽しいなー。部屋の中に閉じ込められても、僕はやることが山積みだよー」


 僕は今日の発見をママが部屋に入ってくるまでの間、ずっと書き残した。

 五歳ながら論文紛いな品を本棚に何種類も書き溜めている。文字が書いて読めるようになってから始まりの森付近にいる魔物の観察を何者かに取りつかれたようにずっと続けていた。そこで発見を文章に残している。昔のグチャグチャな文字を読み返し、新しく書き直したり、思いついた考察を仮説を立てて検証してみたりするのが本当に楽しくてやめられない。どこか普通じゃない気がするけれど、パパが好きなことはとことんやりなさいって言ってくれるから、ママも渋々許容してくれている。

 最近だと『魔力の移動理論』や『スライムの生態調査』『魔物の進化論』のような論文紛いな品も楽しいから書いていた。まさか『魔力の移動理論』が使える時が来るとは……。

 パパやママは何が楽しいのかよくわからないと言っていたけど、シャインのパパさんなら面白いって言ってくれるかも。そう考えるとやる気が出て沢山書いてしまう。


 夕食を得た後、パパと一緒に体を拭き合って綺麗にして歯を磨き、トイレを済ませた。寝る準備が終わったらママに絵本を読んでもらう。論文も好きだけど読むより自分で調べて発見したことを書いている方が好きだ。でも楽しいお話は書けないから絵本を読んでもらって頭の中で想像するのが研究と全然違って大好き。 


 ――今日もぐっすり眠って明日もたくさん調べるんだ。


 ◇◇◇◇


 僕が魔力を沢山使って倒れた日から一ヶ月が過ぎた。

 最近、シャインのパパさんに会えていない。どうも魔道具の研究が忙しいらしい。家にも帰って来られていないそうだ。

 僕はと言えば、今日も今日とてシャインに無色透明な魔石を投げつけた後、パパの手伝いを終えて始まりの森にやって来ていた。

 ここ一ヶ月、フェンリルにも会えていない。でも、何となく何かが近くにいるような……、じっと見定められているような感覚はあった。もしかしたらフェンリルかもなんて淡い期待があったけれど、姿を現してくれないので嫌われているっぽい。


「スライムたちは今日もいるねー」


 僕は一ヶ月前の実験をもとに色々考えた結果、無色透明な魔石に僕の魔力を込められるのだから、魔物の体を構成している魔力も無色透明な魔石に入るんじゃないかと言う考察をした。


「僕の考察が当たっていたら凄い発見だ……。失敗したとしても、どんなふうに失敗するんだろう……。気になるー!」


 僕は考察を思いついた今日、実験の為に始まりの森に早速来たわけだ。楽しみすぎて足踏みしちゃうよ。フェンリルにもこの気持ちが伝わってくれていればいいのだけれど魔物と人間じゃ、やはりわかり合えないのかな……。いや、そんなことない。僕が魔物と初めて友達になればいいんだ。その目標さえあれば、毎日でも魔物の観察が続けられる。


「魔力が魔石に入るために必要な条件は『接触』と『魔力量』『魔力が入る魔石』の三つが合わさること。ここ一ヶ月でここまでわかるなんて……、僕、頑張ったなー」


 僕は無色透明な魔石を鞄に沢山入れて持って来た。パパが赤色の魔石を使ってパンを焼くので使い終わって色が抜けた無色透明な魔石は腐るほどあるのだ。いくら持って行っても気付かれないし、無くなったところで誰も困らない。どうせ、砕いて土に埋めたり川辺に捨てたりするだけだ。実験の材料に使われた方が魔石も喜ぶだろう。


「さてと、ここら辺にいる魔物で一番弱いスライムの魔力が魔石に入るのかどうか実験しよう」


 僕はパパが昔使っていたナイフを持って来た。これでスライムの体を傷つけて光の粒にした後、無色透明の魔石を魔物の魔石にくっ付けたらどうなるのか試してみる。


「ごめんなさい、スライム。実験させて!」


 僕は茂みから飛び出し、スライムの体にナイフを突き刺した。スライムの体はママの大きなおっぱいみたいにぷにゅっと柔らかく、物理耐性が低い。そのため非力な攻撃でも傷が簡単に入った。


「プルウ……」


 スライムは光りの粒となり、小さな小さな魔石を落とした。落ちた魔石と無色透明な魔石をすぐにくっ付ける。するとスライムの体から出た光の粒は散り散りになり、落ちた魔石に含まれていたほんの少しの魔力が無色透明な魔石に移動した。


「ああ……、魔物の体を構成していた体の魔力は散り散りになっちゃった。これじゃあ、ただの魔力を移動させただけだ。どうしたら体の魔力も流れ込むんだろう……。散り散りになった魔力と魔石の魔力が違うのかな……。やっぱり魔石を壊さないと駄目なのかな……」


 僕は試せることをとことん試していった。スライムが弱いお陰で戦いの鍛錬を毎日欠かさずしていなくても簡単に倒せる。たくさんのスライムが犠牲になり、僕の体は泥やスライムが吐いた粘液でねとねとだ。吐き出された粘液は魔力で生み出した物質らしく、本体を倒しても消えなかった。そのせいで、何度滑ったことか。友達になりたい相手を何匹も倒しているのがとても心苦しい。でも、僕の探求心は試すことがなくなるまで止まるところを知らない。


「うう……。失敗ばかり。でも、失敗も論文に書けるしいいか。次々やろう!」


 僕は今まで魔力が全くない透明な魔石に魔力を入れ込もうとしていた。だが発想を転換し、僕の魔力を入れ込んだ魔石の方が、魔力量が多ければ空中の魔力が吸い取れるんじゃないかと考えた。


「よし……。やるぞ!」


 僕がスライムを倒しすぎて近場にいなくなっていたので始まりの森の奥の方に入った。その後、とても綺麗な水辺で水晶のように綺麗なスライムを発見した。スライムの色違いか何かかなと観察日記にしたためた後、実験を開始する。


 スライムは眠っており、僕の接近に全く気付いていなかった。

 僕は右手にナイフ、左手に僕の魔力を込めた魔石を持っている。足音を立てないようにゆっくり……ゆっくり……歩いて眠っているスライムの背後で立ち止まる。ナイフを掲げ、いったん静止。


「ふっ!」


 僕は狙いを定めていた綺麗なスライムにナイフを勢いよく突き立てた。


「プリュッ!」


 スライムの水疱が割れ、大量の光の粒が溢れ出す。体の魔力を魔石に入れたいのだから『魔力の移動理論』の条件の一つである『接触』を満たすためにスライムの体が消える前に魔石を当てた。その瞬間、スライムの体が全て光りの粒になり、左手で持っている魔石の中に吸い込まれる。スライムの体内にあった魔石は地面に転がっており、キラキラと光っていてとても綺麗だった。


「へ? う、嘘……。で、出来ちゃった」


 僕はスライムの体を構成していた魔力が入っている魔石を見つめる。無色透明だったころよりもキラキラと輝いており、半透明で水色っぽい。本当に魔石の中にスライムの体の魔力が入っていた。実験に成功し、経験した覚えがないほどの達成感が頭のてっぺんから足先まで電撃のように駆け巡った。冬場に頻繁に起こる静電気の一〇万倍強い衝撃が体を強張らせ、小刻みに震える。


「は、はは……。や、やった。やったぁあああああっ! やっぱり、不思議な生き物の体は魔力だったんだ!」


 僕はナイフをしまい、地面に落ちているキラキラ輝く魔石と左手に持っている魔石を天に突き出し、大きく叫ぶ。雲一つない青空に僕の声が吸い込まれて行き、優しい風に簡単にかき消された。それでも、体を巡る大きな達成感はさらなる疑問を解く原動力になって循環する。


「でも、この中に入っている魔力がスライムの魔力となると使ったらどうなるのかな? 思い立ったのなら試してみたらいいか!」


 僕はスライムの体の魔力を使って魔法が使えるか試す。だが、全属性の魔法を使ってみてもウンともスンとも言わない。魔力が入っている魔石を使えば大概の初級魔法なら使えるはずだ。魔法が下手くその可能性も考えられたが、僕が一番上手く使える『ファイア』も不発。そう考えると、魔法の発動が出来ない魔力なのかもしれない。加えて、魔法の得意不得意と言う問題は関係なさそうだ。


「魔石に入ったのは魔力のはずだ。なのに何で魔法が使えないんだ? 魔力に種類なんてあるのか?」


 僕は観察日記に失敗例を書きまくり、頭をひねる。人の体の中で作られる魔力はだいたいどの属性魔法でも使える。でもスライムの体の魔力と僕の魔力が含まれている魔石ではどの属性魔法も使えなかった。


「となると、スライムの体を構成している魔力は魔法に使われていないってことか。そう考えれば魔法が使えない理由も照明できる。人の体も魔法に仕えるわけがない。じゃあじゃあ、魔物の体を構成している魔力と魔石の魔力は別物なんだ! すごい! 魔力に種類があるなんて大発見じゃないかな!」


 僕は興奮し、鉛筆を走らせる。新しい観察日記に変えておいてよかった。そうじゃなきゃ、ページが全然足らなかった。


「魔力の種類が違うとなると……、普通の属性魔法は使えない。じゃあ、魔石の中の魔力を無理やり外に出してみるか。魔石をただ展開した魔法陣に入れば、魔法が発動せず魔力だけが放出されるはず……」


 詠唱によって展開する魔法陣は魔力を変換するための門のような役割がある。その役割を、僕は魔石内の魔力を放出させることだけに使ってみることにした。本来なら『ファイア』のように魔力が火の塊として放出されるのだが、今回はどうなるのか。


「『魔法陣展開』」


 僕は手の平を突き出し、円形の魔法陣を空中に展開する。その中に半透明で水色っぽく光っている魔石を入れた。適当に……、本当に適当に……。この先、なにがあるのかも考えず、数あるうちの失敗例の一つになるかなと内心思っていた行為。失敗したらまた別の実験を考えて試すだけだと。そう思っていたのに……。


「プリュンっ!」


「えっ! はぁああああああああああああああああ?!」


 魔法陣から飛び出したのは先ほどの綺麗なスライムだった。大きさ、色、形、何もかも全く同じ。観察日記に描いていた絵の特徴と一致しているため、別個体と言うことはあり得ない。模写、複製、分裂、そんな言葉が頭の中を巡る。なにが起こっているのか、所見では理解できず、頭の中が疑問符で埋め尽くされた。

 魔力が出るのではなく魔物の体が構成された状態で出てくるのは予想外だった。魔法陣を通り抜けた魔石に僕とスライムのどちらかの魔力が残っているらしく無色透明の魔石に戻っていない。


「や、やばい! 逃げられちゃう!」


 僕は地面にいるスライムが逃げないようにぎゅっと抱きしめる。ひんやりしていてとても気持ちが良い。こんな感触の物体はスライム以外で得た覚えがなく、一番近いのはママのおっぱい、その次に焼く前のパンの生地。もっちもち、ふわふわで、このまま枕にしたい……。


「プリュルン~」


「え、ええ……。な、なになに?」


 スライムは逃げ……なかった。なんなら、よく懐いた犬のように僕の頬に頬擦りしてくる。つるつるの水晶よりもすべすべな表面で、本当に水に触れているような感覚。普通、ここまで近づいたら粘液を吐かれたり、顔に纏わりつこうとしてくるのに攻撃の素振りを一切見せてこなかった。


「ははは、くすぐったいよぉー。もう、全然逃げないし、いったいどうなっているの? で、でも、こんなに懐いているってことは友達になれたのでは……。う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 僕は再現性を立証できていないがスライムとここまで触れ合えたのが嬉しすぎて雄叫びを上げた。スライムを勢いよく真上に放って落下してきた水の塊を抱きしめようとする。だが……。


「プリュウっ!」


 スライムの体がプルプル過ぎて腕からすり抜け、地面に衝突。スライムの体はトマトのようにパンっと弾け、光の粒になってしまった。


「ああああああああっ! す、スライムっ!」


 僕はスライムの体をかき集めようとするも光の粒となって散り散りになった。あまりにも早い別れに動揺を隠せない。心臓の音が一気に静まり、水辺周りの空気が異様に冷たかった。腕の中にひんやりとしたスライムの感触が未だにありありと残っているというのにその姿はどこにもない……。僕に頬擦りしてくれるほど懐いてくれていたスライムが出会って一分の内に消えてしまった。捕まえた蝶をポケットに入れて家に持って帰ったあと、取り出そうと思ったら脚や翅が取れてボロボロになって死んでいた時以上に目の前が真っ暗になる。


「う、ううう……。ごめん、ごめんよぉ……。うわぁあああああああん、すらいむぅうううううううううううううっ!」


 僕はスライムが入ってた魔石をぎゅっと握りしめて人生で一番泣いた。泣きすぎて握りしめていた魔石に魔力が溜まる。すると、スライムの体を触っていて冷えた手の平がじんわりと暖かくなっていくのを微かに感じ取れた。


「ん? なんか、キラキラ光っているんだけど……」


 僕の握り拳の隙間から魔力とは違う光があふれ出ていた。そっと開くと、水色っぽい魔石はスライムが入っていた時と同じくらい光り輝いてる。


「ま、まさか……。ま、『魔法陣展開!』」


 僕はもう一度スライムに合わせてほしいと心の底から願いながら魔法陣を展開し、震える左腕を右手で抑え込むようにして持ち魔石を通す。

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