第3話 魔物

「プル……」


 奥へ進むごとにスライムが増えていく。森の奥深くに来る人間は僕以外誰もいない。そのため、とても静かで心地よい空間だった。空気が澄んでいるのか、胸いっぱいに呼吸すると頭の中で血がすーっと巡るようで視界がはっきりしてくる。


「スライムの魔力が別のスライムに吸収されるのなら、この赤色の魔石に含まれている魔力はスライムに吸収されるのか? なんなら透明の魔石をスライムにぶつけたら魔力が半分になるのかな?」


 僕は思いついたら即行動に移し、茂みから見つけたスライムに向って赤色の魔石を投げる。シャインとの鍛錬によって投擲技術は上がっていたので簡単に当てられた。


「プルン……」


 スライムの体に当たった赤色の魔石は威力が無く、軽く弾かれる。地面に力なく転がり、色は変化しなかった。だが、スライムは赤色の魔石にずるずると近寄り、覆いかぶさる。すると赤色の魔石が体の膜を貫通し、水疱の中に入っていた。

 スライムの魔石が赤色の魔石に触れると赤色の魔石の輝きがみるみる減っていき、最終的に無色の魔石になってしまう……。


「プルッ」


 スライムは透明な魔石を吐き出した。緑色に見えていた体が赤色になっている。


「おお……。すごい……。やっぱり不思議な生き物は魔力から体を構成しているんだ。じゃあ動物じゃない。魔力で構成されている生き物……」


 僕は観察日記に書かれている『不思議な生き物』の『不思議な』と言う部分を横線で消し『魔力で構成されている』と書き換えた。


「魔力で構成されている生き物……。長いな。『魔物(まもの)』と略したら呼びやすい。まだ、仮定だけど不思議な生き物は皆、魔物なんじゃないだろうか。魔力で構成されて動いている生き物を魔物と総称し、血が通っていて心臓がある普通の生き物は動物とすれば、分類がしやすくなるぞ」


 僕はブツブツと独り言を吐きながら鉛筆を動かす。周りを気にせず観察に集中しすぎて昼頃を過ぎ、いつの間にか日が沈みかけていた。


「ああ、もうこんな時間。早く帰らないとママが怒るぞ……」


 僕は来た道を引き返そうとした。だが、聞いた覚えが無い鳴き声が森の中で響いた。犬のようだが、もっと野太くて力強い。体が強張り、逃げたいと言う気持ちが強くなる。でも……、もし、未発見の魔物だったら……。そんな好奇心が恐怖心をかき消していく。


「この声、何だ……?」


 僕はママに怒られることを覚悟して声がした方向に走っていく。すると、茂みの奥から不思議な気配が発せられており分厚い壁にぶつかったように感じられた。こんな気配は初めてで心臓が何度も脈打ち、足が勝手に前に進む。壁を押し返すように突き進み、茂みを掻き分けて少々開けた原っぱに出ると……、視線が釘付けになった。体から光の粒を出し、足下がフラフラしている生き物がいたのだ。


 ――見たことない魔物だ! は、早く模写しなきゃ!


 僕は鉛筆を走らせ、観察日記に狼のような生き物の絵を描いていく。銀色の毛に金色と黒色の瞳、体から光の粒がチラチラと漏れ出しているのを見るに魔物で間違いなさそうだ。大きさは子犬程度。どこから来て、どうやって生まれたのだろうか。


「とりあえず、名前は銀狼にしておこうかな。また後で名前を考えよう」


「グルルルルルルルルッ……」


 銀狼は後方に下がりながら威嚇しているようだった。


「キャキャキャッ!」


 銀狼の前にいるのは狂暴な山猿だ。器用に石を持ち、狙いを定めてから銀狼に投げつける。あまりに綺麗な投擲で、普段からあのようにして狩りをしているのだろうとうかがえた。


「グラッ!」


 銀狼は石を躱そうとするも足下がおぼつかず、攻撃を体に食らった。口から光の粒を吐き、その場に倒れる。


「キャキャキャッ!」


 三頭の山猿が銀狼の周りを踊るように回る。銀狼が確実に倒れたか観察しているようだ。狩った獲物にすぐに飛び掛からないところが山猿の執念深さを物語っていた。


 ――やっぱり、山猿は賢いな。魔物じゃないから興味ないけど……。


 僕は魔物の銀狼が生き物に負けたらどうなるのかと言う疑問を解消しようとした。でも、そんな時、ママの優しい声が頭にふとよぎる。


 ――『老人は狼に似た不思議な生き物と友達になった』って絵本に書いてあったな。絵本の通りなら僕も友達になれるんじゃないだろうか!


 銀狼が山猿に倒されたら他の魔物と同じように光の粒になって消えてしまうだろう。そうなったらいつ同じような魔物に出会えるかわからない。

 そう思った僕は魔物と友達になるために、山猿を追い払うことにした。

 鞄からねじ込んだパンを取り出して三等分にする。ポケットから赤色の魔石を三個取りだして体の中の魔力を押し込むようにぎゅっと握った。すると僕の体の中にある魔力が魔石に移動する。僕の魔力を混ぜ込んだ赤色の魔石をパンの中に一個ずつ忍び込ませた。これで簡単な罠が三個作れた。


「ほらっ! 冷めてるけど美味しいパンだよ!」


 僕は赤色の魔石入りパンを三頭の山猿に向って一個ずつ投げる。魔石を投げる時と勝手が違うが、狙い通りの位置に落ち山猿の目の前に上手く転がってくれた。


「キャキャキャッ!」


 山猿は間抜けな顔でパンを拾い、小さくちぎって食べる。目を見開き、大きくて咬合力のある口の中にまるまる入れ込み、顎下の歯ですりつぶすようにして咀嚼した。他の二頭は一頭がパンを食べて毒が入っていないことを確認したのち、パンを少しだけ齧ってから口の中に全て入れた。


「ふぅ……。『ファイア』」


 僕は詠唱を呟き、手の平に魔法陣を展開させた。すると僕の魔力を含んだ赤色の魔石も反応し、発火する。


「ギャギャギャッ!」


 山猿の口の中から火が吹き出た。粉々に砕かれて胃の中に入った赤色の魔石も魔法で燃える。相当苦しいだろう。山猿は銀狼なんて気にしていられず、のたうち回った後その場から逃げ去った。


 僕は山猿が去ったのを目視で確認してから銀狼目掛けてすぐに駆ける。


「ああ、ど、どうしよう。魔物を助けるなんて無駄なことは誰もしないし、方法を聞いた覚えが無い……。とりあえず出血を止める感じで良いのかな。でも、口から魔力が漏れているし、吐血と一緒なんじゃ。このままじゃ、銀狼が死んじゃう!」


 僕は何をしたらいいか必死に考えた。ずっと魔物のことばかり考えてきたが、魔物を助ける方法なんて一度も考えた覚えがなかった。自ら調べてわかったことや今までにたてた仮説を何度も何度も思い返し、目の前の魔物を助ける方法を必死になって考える。


「えっとえっと、何をしたらいい……。何をしたらいい……」


 僕は観察日記をパラパラとめくり、何か有益な情報がないかどうか探す。見つけられるのは他の魔物の模写や行動、食べ物、性格と言った魔物の治療に関係ない情報ばかり。最後の方になってようやく『不思議な生き物の体は魔力で構成されている』と言う先ほど発見した内容が目に飛び込んできた。


「……体を構成している魔力が減っているなら、もう一度魔力を補給すればいいんじゃないか? 魔物にとって魔力が血液と同じなら、輸血と同じように。でも、傷はどうなるんだろう……。って! 考えている場合じゃない! 可能性があるなら何でも試すしかない!」


 僕は光りの粒が漏れている銀狼の体に上着を撒きつける。小さな子犬程度の大きさでよかった。でも、逆に魔力を出し過ぎたらこのまま消えてしまう。


「魔力の移動理論が正しいとするなら……、弱い魔力は強い魔力に引かれる。つまり沢山の弱い魔力を銀狼に流れるようにすればいい」


 僕は赤色の魔石と透明な魔石を鞄から地面に全部出した。赤色の魔石を銀狼に近づけても何ら効果がない。


「割らないと駄目か……」


 僕は魔石を地面に叩きつけて破壊した。すると魔石内にあった赤色の魔力が銀狼の中に吸い込まれていく。


「よ、よし! 入ったぞ!」


 赤色の魔石を銀狼に当て、地面にぶつけて叩き割る。と言うあまりにももったいない行為を繰り返し、赤色の魔石を全て使い切った。だが、銀狼はまだぐったりと倒れており目を覚まさない。


「まだ、透明な魔石が残っている。諦めるな!」


 僕は透明な魔石に魔力を送り込むようにぎゅっと握る。すると手の平から僕の魔力が透明な魔石に入っていく。


「く……、気持ち悪い……」


 魔力が透明な魔石に流れていくと気分が悪くなった。自分の魔力が抜かれているのだから当たり前だ。

 僕達の体にマナと呼ばれる魔力を作る臓器がある。なぜ、このような臓器があるのか解明されていない。でもこのマナがあるおかげで魔法が使えるのだ。

 ただ、普通は魔力をほぼ使わないため、一気に失うと気分が悪くなると言う魔力枯渇症をおこす。それでも僕は無理やり魔力を魔石に流し、銀狼に分け与えることにした。友達が倒れていたら助けるのが普通だから……。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 僕は透明な魔石を最大限光らせて銀狼に当てた後、地面に叩きつけて割る。すると魔石の中にあった僕の魔力は光りの粒となって銀狼に吸い込まれた。


「や、やった。上手く行ったぞ。これなら、助けられるかも……」


 僕は大量にある透明な魔石に魔力を注ぎ込み、叩き割って魔力を銀狼に送る動作を何度も何度も繰り返した。


「う、うぐ……、気持ち悪い……。魔力枯渇症ってこんなきついんだ……」


 僕はこんな時でも観察日記に状態を記録しておく。ずっと水を飲まなかった状態に近く、重度の睡眠不足、心拍数の低下、足下がふら付くほどの眩暈、軽い吐き気、目の奥が軋むような頭痛、金づちが釘を打ち付ける音を間近で聞いているような耳鳴り、鉛筆を握るのも難しいほどの筋力低下……などが引き起こっていた。もう、体の中の魔力がスッカラカンになり、意識がどんどんと遠退いていく。


「グルル……」


 僕の意識と裏腹に、銀狼の方は意識を取り戻した。金色の瞳が僕に向けられる。狼に睨まれたらきっと怖いはずなのに、銀狼に睨まれた僕は一瞬で好きになってしまった。恋に落ちちゃったなんて単純なものじゃない。運命だ……。僕たちは出会うべくして出会った。そうはっきり言える。だって、巨大な木を真っ二つに割るほどの威力がある雷が、この身に落ちたような跳ね上がりたくなるほどの衝撃が全身を駆け巡っているのだ。


「あぁ……、よ、よかった……、ど、どうか……僕と友達に…………」


 僕は魔力を使い過ぎて目の前が真っ暗になり意識を完全に失った。観察日記だけは絶対に離さないと抱きしめていたような気がするものの、記憶が全くない。


 ◇◆◇◆


「う、ううん……」


 瞼を開けると僕の部屋の天井が視界に一番に飛び込んできた。背中に柔らかいマットレスの感触が伝わってくる。いつも寝ているベッドの上だ……。


「あ、アッシュ! 目を覚ましたのね! よかったあ!」


 大量の涙を流し、僕に抱き着いてきたのは幼馴染のシャインだった。なぜ、彼女が泣いているのか理解できない。


「ちょっと、シャイン。苦しい……。えっと、なんでシャインが僕の部屋にいるの?」


「なんでって……。アッシュのママさんがアッシュが帰って来てないって言うから、また始まりの森にいると思って呼びに行ったの。そうしたら、あんたが入り口で倒れていたのよ。頭が真っ白になっちゃったけど、抱きかかえて家にすぐ連れて帰って来たの。もう、あんなところで居眠りするなんてほんと何を考えてるの!」


 シャインは僕から離れ、がみがみと怒ってきた。怒る顏がママと似ていて言い返せない。


「ご、ごめん……」


「ふんっ。不思議な生き物に襲われていなかったからいいものの、今度からは気を付けなさいよ!」


「う、うん。シャイン、運んでくれてありがとう」


 僕は頭を軽く下げ、感謝した。でも僕は始まりの森の奥で倒れたはずだ。いったい誰が入口まで運んでくれたんだ?


「お医者さんは魔力の使い過ぎって言っていたけど何で魔力枯渇症になっていたの?」


 シャインに気を取られていてすぐに気づけなかったが、すぐ近くにいたママはもう、すっごい怖い顔をしていた。言葉にするのも恐ろしい表情で、怒っているのは明白だった。

 こんなところで事実を言えば、家から出入り禁止になってしまうと直感する。


「いや……、ちょっとした実験を始まりの森付近でしていて……」


「へぇー、どんな実験かしら?」


 ママは引きさがってくれず、視線をそらした僕の顔を両手で挟み、鼻先がくっ付くほど顔を近づけてくる。白目に稲妻のように走る真っ赤な細い血管が浮かんでおり、充血しているのがわかってしまった。なんなら、いつもよりも瞼が腫れている気がする。


「アッシュ、なにをしたか言う気がないなら別に言わなくていいけど、危険な行為は絶対にやめて。ママ、アッシュが倒れてるって言われてどれだけ心配したか……。パパは外で寝るくらい問題ないなんて言っていたけど、ママは許しません! 始まりの森にも怖い動物や不思議な生き物が一杯いるのよ。いい、今度同じようなことがあったら家の外に出しませんからね!」


 ママは僕の頬を両手で潰しながらはっきりと言った。唇がタコのようにとがり、ママとチュウしてしまいそうになる……。


「は、はい……。ご、ごめんなさい……」


 僕はママに謝り、今日のところは許してもらえた。ママから多大なる感謝を受けていたシャインはお店に売れ残っていたパンを沢山持って家に帰ったらしい。


 僕はベッドの上で安静にしていなさいとママに言われ、部屋から出られなくなった……。渋々、ベッドに転がって寝ようかと思ったとき、持ち物のことを思い出した。辺りを見渡すと机の上に僕が持っていた観察日記と背負っていた鞄が置かれており、命を拾ったと思うほど安堵した。

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