第7話 中華攻略戦の余波
ロシア領スターリングラード
ザッザッザッザッ
「
「よかろう。それに伴い大三軍を北に向かわせろ」
1941年から始まった独ソ戦は当初,モスクワまで後10キロに迫ったドイツ軍の方かと思われたが、連合軍の支援やシベリア北部からの部隊の移動により、今や反転攻勢が行われていた。
「それにしても。日本……あれだけの力を持っていたとは。みくびったか。そのせいで北部の部隊の三分の一も動かせなかった」
「ただ、今は日ソ中立条約があるので安心かと思われますが…なぜそんなに日本を警戒しているのですか?」
「あいつらは日独伊三国同盟を締結してやがる。これは一国が戦争になった場合,他の国も参加するというものが含まれているだろう。今,我らがドイツと戦っている。背後を突かれたらそれどころでは」
「なるほど」
「ワシらは一刻も早くベルリンを落とさねばならぬのだ。全軍進め。あの
1943年6月。史実よりも早いペースでスターリングラード、レニングラードを奪還したソ連は、その矛先をウクライナ方面へと向けることに。
対するウクライナを守るのはエーリッヒ・フォン・マンシュタイン。アメリカのニュース雑誌タイムに「our most feared enemy」《我らの最も恐るべき敵》と言わしめたドイツ軍の名将である。
「ソ連軍二百八十万が北から来ております」
「わかっている。総統より連絡が来た。だが…それと同時に退くなともきている。敵を倒し、退かない方法か……よし。撤退だ」
「て,撤退?退くなと言われているのでは?」
「もちろんただの撤退ではない。敵の前線を上げさせ,物資の補給が追いつかなくなったところで反撃、すると両方の目標を達成できるわけだ」
「なるほど」
「では撤退だな。全軍,退却だ!」
この作戦は大きくハマり、ソ連軍に三万人もの死傷者を出し,退却したのだった。
のちのこの作戦はバックハンドブロウと呼ばれ、フランス攻略時に使われたマンシュタインプランと共にマンシュタインの知名度を大きく上げることとなった。
だが、重要拠点のクリミアを失ったことは確かであり、それは趨勢に大きく響くことになっていく
次回、砂漠の狐とマレーの虎
これなぜか英語が上に載っけられないので
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