第二十七話 最悪を告げるサイレン
天馬は素早く着替えた。
だが、着替えたのはブレザー制服にではない。
運動着である白色のジャージにである。
さっとジャージに着替え終わった天馬は、ボストンバッグの中から小さなリュックを取り出した。
中には大きなビニール袋と黒のシーツが数枚、他には紙パックの牛乳が入れられていた。
これは昨日の夜、予め天馬が用意して入れておいた物である。
天馬は最後に勉強机の上に置いていたサバイバルナイフを手に取り、リュックの中に仕舞い込んだ。
こうすれば目立つことはない。
それに今の時間帯は、まだ寮の中をうろついている生徒たちは皆無である。
学生寮から航空戦闘学校までは徒歩で5分ほどの距離しか離れていないので、ほとんどの生徒は午前7時30分を過ぎないと活動しない。
1週間以上も住めばそれぐらいは十分に把握できる。
だからこそ天馬は一足早く起き出した。
生徒たちが寝静まっている時間帯を選び、寮外に出るためだ。
そうである。
このとき天馬は、海岸付近の雑木林に行く準備をしていた。
向日葵に内緒で、人知れず翼竜の幼体を始末する。
1人で考え抜いた結果、天馬はもうこれしかないという結論に至った。
向日葵は4日、もしくは1週間待ってくれと言っていたが、はっきり言って1日だって待ってはいられない。
それにこれは単に向日葵だけの問題ではない。
誰であろうと航空戦闘学校の生徒が、翼竜を庇っていたという事実があってはいけないのである。
ゆえに翼竜の幼体は始末する。
幸いにも今現在、翼竜の生存を知っているのは向日葵と自分だけだ。
向日葵に内緒で始末し、死体は海にでも棄てればいい。
そして翼竜の幼体がいなくなった事実を知れば向日葵は騒ぎ出すだろうが、そこは自分も知らなかったような態度で接する。
思いのほか早く怪我が治って逃げ出したとでも言えば何とか誤魔化せるだろう。
準備を整えた天馬は、勉強机の上に置かれていた目覚まし時計を見た。
午前6時9分。
もし学校の正面ゲート前を通り、警備員に呼び止められたとしても早朝ランニングと言えば不審には思われない。
そのためのジャージ姿でもある。
背中に背負っているリュックも特に何も言われないだろう。
汗を拭くようなタオルや水分補給用の飲料水が入っていると言えば、警備員も不審には思わないはずだ。
天馬は荷物を入れたリュックを背負い、気合を入れるために両頬を叩く。
「悪いな、雨野」
眠気を吹き飛ばし、再度気合を混入する。
たとえ翼竜といえども生物の生命を刈り取ることには違いない。
生半可な覚悟では遂行できない殺すという行為。
天馬はもう一度覚悟を決め、精神を清らかな水面のように落ち着かせる。
(そろそろ行くか)
天馬はそっとドアを開けて廊下に出た。
案の定、寮の廊下は奥深い山中のような静寂に包まれ、天井に取り付けられた蛍光灯の明かりも点ってはいない。
五感を鋭敏に働かせると、どこかの部屋で人が起きている気配は感じられる。
だが、時間が時間なので廊下に出てくる気配はない。
なるべく他の生徒たちに気づかれないように天馬は歩き出す。
横幅が大きい階段を降りて1階に到着した。
あとは寮長室の前を通って正面玄関を潜れば外に出られる。
と、天馬が正面玄関を目の前に捉えたときであった。
「――――ッ!」
天馬は面食らった表情のまま立ち止まった。
サイレン。
しかも訓練用の音ではない。
入学式当日、航空自衛軍のパイロットが緊急着陸を要請したときと同じ緊急警告のサイレンが鳴り響いた。
その瞬間、静かだった寮の中が引っくり返ったように慌しくなった。
寮長室からは恰幅のよい初老の寮長が飛び出し、生徒たちが寝泊りしている2階も騒然とし始めた。
Tシャツにパンツ一枚というラフな格好をした何人かの生徒が血相を変えて1階に降りてくる。
「何があったんですか!」
明らかに取り乱していた1人の生徒が寮長に尋ねた。
「いや、詳しいことは私も聞かされなかった。だが、司令部から早急に生徒たちを第一体育館に集合させろとの命令があった。君たちも着替えはいいから早く他の生徒たちを起こしてきなさい」
寮長の周囲にいた生徒たちは、早鐘を打つよりも早く駆け出した。
地鳴りのような足音を響かせて2階に上がる。
「そこの君!」
何人かの生徒たちを見送った寮長は、正面玄関近くに立っていた天馬に気づいた。
よほど慌てていたのか、足が縺れないように注意しながら近づいてくる。
「君はこんな時間になぜそんな格好をしている?」
寮長の質問に正直に答えるわけにはいかない。天馬は咄嗟に誤魔化した。
「はい、早朝ランニングに行く途中でした」
一瞬、寮長は怪訝そうな顔をしたが、天馬がパイロットコースの生徒だと言うと即座に納得した。
「そうかい……ともかく君も早く第1体育館に向かいなさい。早急にだ」
そう告げた寮長は、2階からバタバタと降りてくる生徒たちのほうへ向かった。
「おいおい! 朝っぱらから何だってんだよ!」
脳に直接響くようなサイレンが鳴っている中、空也のボヤキ声が盛大に聞こえた。
無地のTシャツにジャージのズボンを穿いていた空也は、寝癖が目立つ頭を掻きながら1階に降りてきた。
するとすぐに天馬を見つけ、脇目も振らずに駆け寄ってくる。
「よう、天馬。いやに早起きだな」
暢気にそう挨拶してくる空也を天馬は一喝した。
「そんなこと言ってる場合か! 何があったかは知らないがどうも様子がおかしい。すぐに第1体育館に向かうぞ」
「それはいいが……お前、何で朝っぱらから完全装備なんだ?」
眠っている最中に叩き起こされた生徒たちとは違い、きちんと動きやすい身なりを整えていた天馬を見て空也は小首を傾げた。
天馬は背負っていたリュックを目立たない壁際に放り投げると、呆けている空也の手を強引に引いた。
「ともかく、命令は絶対だ」
誤魔化すように天馬は空也を寮の外に連れ出した。
他の生徒たちも同様に寝ていた状態のまま外に出てくる。
「お、おい! 分かったから手を離せ!」
空也の悲痛な叫びを無視し、天馬は空也の手を引きながら第1体育館を目指した。
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