第二十六話   天馬のとある決意

 ピピピピピピ……


 目覚まし時計のアラーム音が部屋中に響き渡る。


「う……」


 天馬はベッドからゆっくりと上体を起こし、勉強机の上に置いていた目覚まし時計のアラーム音を止めた。


 何度か瞬きをして時刻を確認する。


 午前6時ジャスト。


 普段は午前7時30分に起きても大丈夫なのだが、昨夜の天馬は1時間30分も早く目覚し機能のタイマーをセットして床についた。


 天馬はベッドの外に両足を投げ出し、しばし呆然とただ座っていた。


 目の下には薄っすらと隈が浮かび、表情がやや強張っている。


 あまり寝られなかった。


 天馬は何度となく押し寄せてくる欠伸を噛み殺し、胡乱だ視線を虚空に向ける。


 今日の午後は滑走路で戦闘機の体験実習が行われる。


 2日前、遠心加速器でGを体感する実習の折、担当教官であった鹿取は7G以上の荷重に耐えられた生徒は、特別に戦闘機の体験搭乗を許可すると生徒たちに約束した。


 そして天馬は見事に7G以上のGに耐え、体験搭乗の権利を獲得したのである。


 しかし、7G以上耐えられた生徒は天馬一人だけであった。


 すると他の教官たちから鹿取に意見が寄せられた。


 体験搭乗は一人だとキリが悪いので、5G以上の荷重に耐えられた生徒にも権利を与えるべきだという意見である。


 結局、鹿取は他の教官たちの意見を聞き入れた。


 天馬以外にも6人の生徒に機体搭乗の権利を与えたという。


 これは昨夜に空也から説明されたことであった。


 学生寮に帰った途端、気色が悪いくらい陽気に騒いでいた空也がべらべらと喋ってくれたお陰で、特に腹が立つようなこともなかった。


 天馬は戦闘機に乗ってみたかっただけで、何も自分一人だけが優越感を味わうために耐えたわけではない。


 それに他の生徒たちが見ている中、自分一人だけ乗るよりも他の生徒たちがいてくれたほうが精神的に楽だった。


 そう、思っていた。


 いや、思うようにしていた。 


 天馬はベッドから降りると、窓際に歩み寄りカーテンを開けた。


 まだ完全に日は昇っていなかったが、それでも山間部からは眩しい陽射しが顔に突き刺さってくる。


 空を飛行するには絶好の日和だ。


 天気予報でも今週の降水確率は低く、穏やかな晴天が続くと報じられていた。


 天馬は大きく深呼吸をして肺一杯に新鮮な空気を循環させる。


 その場で軽く柔軟体操をしてみるが体調にも問題ない。


 やや寝不足気味ではあるが、そんなものは午前中の一般教科の授業中に寝ていれば回復するだろう。


「違う!」


 天馬は壁を殴りつけた。


 奥歯を激しく軋ませ、壁を殴ったままの右拳が小刻みに震えている。


「考えることはそんなことじゃない」


 今、天馬は激しい葛藤に悩まされていた。


 クラスメイトであった雨野向日葵が、あろうことか密かに翼竜の幼体を飼っていたのである。


 いや、飼っていたとは語弊があった。


 本人曰く、負傷していた翼竜の幼体が自力で飛行できるまで世話をしていたのだという。


 だが、その行為がどれだけ危険な行為か向日葵は分かっていない。


 もし負傷していたのが子犬や子猫の類ならば、秘密を知ってしまった自分も喜んで世話をしただろう。 


 けれど、それが翼竜ならば話は別である。


 たとえ今は無害な幼体とはいえ、将来は数十倍に体格が成長して人間を襲うようになる。


 そうなってからでは遅い。


 翼竜は人類を破滅に導く巨大肉食飛行獣である。


 故に人類は翼竜と戦う。


 戦って翼竜を滅ぼさなければ、自分たち人類に未来がないのだから――。


 しかし向日葵は言った。


 早くて4日間、遅くても1週間で翼竜の幼体の怪我は完治するから今は見逃して欲しいと。


 それが昨日の夕方、海岸付近の雑木林の中で向日葵と約束したことであった。


「4日か……」


 囁くように漏らした天馬は、壁に叩きつけた右拳をそっと引いた。


 向日葵が約束した期間は4日、もしくは1週間。


 これは短いようで長い。


 海岸まで続く道路はランニングコースにも指定されているので、もし予定よりも早く完治した翼竜の幼体が道路まで出てこないとは限らない。


 そうなれば嫌でも人目につく。


 そして気づかれるだろう。


 翼竜の身体には人の手による手当ての痕跡があり、海岸付近によく出歩いていた向日葵が世話をしていたと。


 それに向日葵はメディックコースの生徒である。


 手当ての処置が素人ではないと判断されれば、最早疑う余地もなく向日葵は逮捕されるだろう。


 翼竜を保護した第一級の犯罪者として。


 天馬は振り返ると、部屋の隅に置いていたボストンバッグに近寄った。


 片膝をつき、ボストンバッグのチャックを開けて手を奥に突っ込む。


 そして中から取り出したのは、頑丈な革のケースに入った一本のサバイバルナイフであった。


 天馬はサバイバルナイフをケースから取り出し、滑り止めのために黒紐が巻かれていたグリップを握ってみる。


 父親の遺品の一つであったサバイバルナイフはよく使い込まれており、鈍色に輝く刀身は刃毀れ一つない。


 朝日を反射している刀身を眺めながら、天馬は懐かしさにふけった。


 飛行機の操縦だけでなく、天馬は父親からサバイバルの技術も叩き込まれていた。


 その折に使うのは形態性に優れたサバイバルナイフであった。


 よくこれで森の中で捉えた野兎や野鳥を解体して料理したものだ。


 ふと思い出せば昨日のことのように感じられる。


 たまの休みに出かける父親とのキャンプ生活。


 日帰りがほとんどだったが、それでも天馬には至福の時間だった。


 優しく、雄々しく、逞しかった父親。


 大空を我が物顔で飛行する巨大肉食飛行獣と戦うべく、鋼の鳥に乗って大空を飛行する戦闘パイロット。 


 白樺篤志は天馬にとって憧れの象徴でもあった。


 と同時に、いつかは越えなければならない巨大な壁だとも認識していた。


 そのためにも航空自衛軍に入隊し、最新鋭の機体を操るパイロットとなる。

  

 天馬はサバイバルナイフをケースに仕舞った。


 そしてそのサバイバルナイフを勉強机の上に置くと、クローゼットを開けて着替え始めた。


 これから自分が向日葵に内緒で行う、ある目的のために――。


 

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