第二十五話 危険な葛藤
正面ゲートから走り続けること十数分。
日が落ちて空が暗闇に包まれていく中、天馬は道路脇に停車している一台の自転車を発見した。
近寄ってみると、その自転車がママチャリであることが分かった。
基本的に生徒たちは自転車を使わない。
中にはわざわざ実家から愛用の自転車を運んできた生徒もいるが、それでもママチャリなどはなかったはずだ。
「生徒じゃなかった? ……いや、そんなはずは」
遠目からでも自転車に乗った人間の背格好は把握できた。
確かに航空戦闘学校指定のブレザー制服を着た女性であった。
見間違うはずはない。
とりあえず天馬は呼吸を整えながら周囲を見渡した。
道路を走る車やバイクは一台もなく、当然のことながら人気もなかった。
市街地方面ならいざ知らず、自然しかない海岸付近に夕方以降近づく人間などいない。
天馬の目線は自然と薄暗い雑木林に向けられた。
この自転車の持ち主が他に行くような場所は、周囲を見渡しても雑木林の中しか考えられなかった。
明かりがないので天馬は慎重な足取りで雑木林の中に足を踏み入れていく。
鬱蒼と木々が生い茂る雑木林は視界が効かず、足元には木の根が幾本も露出しているので慌てて進むと足を掬われかねない。
一歩一歩地面を噛み締めるように歩いていくと、天馬は遠くのほうに浮かんでいる小さな光を見つけた。
人魂のような怪奇現象ではない。
遠目からでもその光が機械により発生された光だと十分認識できた。
天馬は息を殺しながらそっと光に近寄っていく。
なぜ、自転車の持ち主がこんな時間帯にこんな場所に足を運んだのかは分からなかったが、ここまで来てしまった以上後戻りはできない。
せめて顔を確認しなくては。
そう思いながら目的の場所に天馬が辿り着いた瞬間、眩い光が視界を塞いだ。
咄嗟に腕で防御し、目を細める。
「だ、誰?」
次に声が聞こえた。
少女の怯えた声だ。
「誰ですか?」
天馬は誰何の言葉に答えず、徐々に声の持ち主に近づいた。
そしてそこにいたのは……。
「雨野……やはり君か」
懐中電灯の光を向けていたのは、クラスメイトである雨野向日葵であった。
一際大きな樹木の前に佇み、その表情は驚愕色に染まっている。
「こんな場所で何をしている? 教官たちが心配していたぞ」
とりあえず天馬は、相手を刺激しない程度に優しい口調で声をかけた。
懐中電灯のわずかな光を頼りに向日葵を見た天馬だったが、どうやら向日葵自身怪我などはしていなかった。
だが、いつまでもこんな場所にいれば分からない。
最近では島の中にも野犬などが目立っている。
こんな鬱蒼とした場所で野犬に襲われれば、無事では済まないだろう。
「さあ、さっさと寮に帰ろう」
まさにそう言った直後であった。
「来ないでっ!」
向日葵は悲鳴のような声を上げた。
思わず天馬は足を止める。
「急にどうした?」
天馬は訳が分からなかった。
雨野向日葵という少女のことはよく知らなかったが、クラスで見ている限り大声を出すような性格には見えなかった。
いつも小見山渚と仲良く行動している大人しい少女――それが雨野向日葵という少女だと天馬は認識していた。
「あ……ごめんなさい」
大声を出した直後、すぐに向日葵は顔をうつむかせて謝罪した。
「いや、別に構わないが……」
と天馬がどう対応していいのか分からず視線を外したとき、向日葵の足元に小さなダンボール箱が置かれていることに気がついた。
大きさから推測すると、子犬か子猫の一匹か二匹はすっぽり入れるほどの大きさである。
「まさか、捨て犬でも拾ったのか?」
天馬の言葉を聞いた瞬間、向日葵は明らかに動揺した。
図星か。
そのとき、天馬はなぜ向日葵がこんな場所に足を運んでいるのか理解した。
大方、捨て犬か捨て猫を拾い、こっそり一人で飼っていたのだろう。
しかし、天馬のその予想は最悪の形で裏切られた。
「キキ……キキ、キキキ!」
「だ、駄目っ!」
向日葵が庇うよりも速く、ダンボール箱の中から何か黒い物体が飛び出てきた。
一瞬、天馬は鳴き声を聞いて猿かとも思った。
しかし、すぐに胸中で首を振って否定した。
この四鳥島に猿は生息していない。
ならば、ダンボール箱から飛び出てきた生物は一体何だ?
「駄目よ、今出てきては――」
慌てて向日葵は黒い物体を摑もうとしたが、その前に天馬の視界が黒い物体の全容を捉えた。
光に照らさなくても分かるほど黒い外皮に尖った口。
闇夜の中で光る二つの眼球は犬や猫などとは一線を隠すほどの威圧感を持ち、極めつけは背中から生えていた二つの翼であった。
まさしくそれは……。
「翼竜ッ!」
向日葵は両膝を地面につけ、飛び出してきた黒い物体を抱き締めた。
間違いなかった。
向日葵が一瞬のうちに胸に隠した黒い物体の正体は、人類に未曾有の生物災害をもたらした翼竜の幼体であった。
「馬鹿野郎ッ! さっさとそいつから離れろ!」
天馬は血走った目で向日葵を怒鳴りつけた。
右手を水平に薙ぎ払う動作をする。
だが、向日葵は言うことを聞かなかった。
翼竜の幼体を抱き締め、隠すように天馬に背中を向ける。
「くそっ!」
吐き捨てるように呟いた天馬は、向日葵に向かって駆け出した。
一瞬で距離を縮め、向日葵の身体をこちらに向け直す。
向日葵は目元に涙を潤ませていた。
視線を下げると、抱かれている翼竜の幼体は天馬に視線を向けていた。
猿のように小さく鳴き、首を傾げるような動作をする。
何をそんなに苛立っているのかと問いかけているようだ。
「お前、自分が何をしているのか分かっているのか!」
至近距離で怒声を浴びせられ、向日葵の身体がビクッと硬直した。
現在の日本の法律では、翼竜を庇護するような行動を取っただけでも刑に処される。
第一次大空戦が勃発する前、翼竜の存在を知った世界中の動物学者たちが生態を調べようと大騒ぎしたときがあった。
西暦1999年。
突如、太平洋の中心に出現した大陸に古代の恐竜が生き残っていると分かった世界中の国々は、その大陸に挙って学者や軍隊を送り込んだ。
だが、その大陸全体にはまるで外部から大陸自体を守護するかのように巨大な低気圧が渦巻き、どんな戦艦や戦闘機だろうと上陸するのは不可能だった。
やがて大陸自体が調べられないのならば飛行してくる翼竜を調べればいいと世界中が興奮に包まれたようだが、すぐに人類はその浅はかさを思い知らされた。
古代の翼竜とは比べ物にならない戦闘能力と飛行能力を有していた現代の翼竜たちは、一気に世界中に散らばり、各国で人間たちを襲い始めたのである。
そして奇しくもその折、翼竜たちは地球を汚した人類を根絶やしにするために神が送り込んだ奇跡と称した新興宗教団体が世界各国で現われた。
地域や国により名前は様々だが、日本では「人類解放竜の会」が有名である。
その新興宗教団体の目的は、ずばり翼竜の数を年々増加させること。
そのため一番数と種類が多いとされる【第三種】の翼竜たちを関連施設内で保護し、繁殖させるという極めて悪質な活動を行っていた。
ときには生きている人間を何人か拉致し、翼竜に餌として与えているという噂まで広がったほどだ。
それから一年も経たずに第一次、十数年後に第二次大空戦を経験した日本は、翼竜を保護、または繁殖させるような行動を行った個人、そして団体にはすべて重い罪を与える法律が可決されたのである。
天馬は向日葵の肩を激しく摑む。
「もしも教官たちに見つかれば退学程度では済まないぞ。下手をすれば実家の家族共々実刑も有りうる。お前も航空戦闘学校に入学した以上知らなかった訳ではないだろう。こんなこと、小学生だって知っていることだ」
息を荒げながら説得する天馬に、向日葵は一度だけ頷いた。
「分かってた……全部、分かってた」
向日葵は抱き締めていた翼竜の幼体をそっとダンボールの中に戻した。
「でもお願い、白樺君。この子の傷が癒えるまででいい。待って欲しいの……」
消え入りそうな声で懇願する向日葵を見下ろし、天馬は深々と嘆息した。
「駄目だ。今すぐこいつを殺して海に捨てろ。幸い、まだこのことを知っているのは俺だけだ。他の人間たちに見つかる前に処分するんだ」
それでも向日葵は首を縦に振らなかった。
「お願い……もう少しだけ」
「雨野……」
懐中電灯の弱々しい光が、向日葵の頬を伝う涙を照らした。
「なぜだ? なぜ、お前は翼竜の幼体を庇う? こいつは将来、間違いなく人間を襲うことになるんだぞ」
そうだ。
翼竜は人間を捕食する危険な肉食飛行獣である。
今は無害な幼体でも、すぐに成長して大空を飛行することになるだろう。
そしてドラゴンの本能に従い、この世に溢れ返っている人間たちを捕食するために。
不意に向日葵が口を開く。
「昔の白樺君はそんな薄情な人間じゃなかった」
「え?」
眉根を細めた天馬を無視して、向日葵は話を続けた。
「昔の白樺君は動物に優しい人だった。あの日だってそう。転校ばかりを繰り返していた小学生時代、あなたは神社の裏手で飼っていたミントに餌を持ってきてくれた」
「小学生……神社……ミント……」
そのとき、天馬の脳裏に蘇ってくる一つの記憶があった。
小学生最後の年の夏休み。秘密練習場で飛行練習中に交わした父親との会話。
――隠すな隠すな。そうか、その子は転校したのか……で、名前は何て言うんだ?
――〝ひまわり〟っていうんだ。
その瞬間、天馬は欠けていた記憶の一部を思い出した。
「向日葵……あのときの少女は君だったのか?」
向日葵は目元に溜まっていた涙を手の甲で拭い、天馬に顔を向けて頷いた。
「私も思い出したのはつい最近だった。まさかあのときの少年が白樺君だったなんて思わなかったから。でも、やっぱりそうだった」
向日葵は立ち上がり、天馬の胸に飛び込んできた。
咄嗟に天馬は向日葵の身体を受け止める。
「お願い、白樺君。1週間……ううん、4日でいい。その間だけ目を瞑って。そうすればこの子――ミントを海に放すから」
一拍の間を置いて天馬が答える。
「捨て猫とは訳が違うんだぞ」
「分かってる。だからお願い……お願い」
天馬はしばし無言で向日葵の身体を受け止めていた。
ふと天馬は顔を上げた。
夜の帳が下りた漆黒の空には、宝石のように光り輝く星たちが浮かんでいる。
そして周囲の木々から聞こえていた虫の羽音に混じり、ダンボール箱の中からは母親を心配するような悲しい鳴き声がいつまでも聞こえていた。
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