第十九話    天才の片鱗

 Aクラスの生徒全員が遠心加速器に乗り、次はBクラスの番が回ってきた。


 出席番号順だったので、天馬よりも先に空也が遠心加速器に乗ってGを体感する。


 巨大な円形のカプセルが高速回転し、やがて徐々に止まっていく。


 そして中から出てきた空也は、一気に2、3歳は老け込んだようにげっそりとやつれていた。


「神田空也、5・87G」


 鹿取は空也が耐えられたGの数値を読み上げる。


 今までの生徒たちが耐えられたGの中でも空也の数値は比較的高かった。


 だが、今のところ7Gの壁を越えた生徒は一人もいない。


「次、白樺天馬」


 名前を呼ばれ、天馬は鹿取に付き添って遠心加速器に向かう。


「よし、中に入れ」


 天馬は鹿取の指示に従い、カプセルに取り付けられた鋼鉄の扉を開く。


 薄暗いカプセルの中には、クッション製のシートが床に固定されていた。


 天馬はシートに腰を下ろし、ハーネストを身体に装着させた。


 まるで本物の操縦席のように作られていた遠心加速器の中は、よりリアル感を出すために必要最低限の計基盤が取り付けられている。


 しかし、そのほとんどは稼動しないことを天馬は見回しただけで看破した。


 カプセルの外に待機していた鹿取が、順を追って天馬に説明する。


「シートの感触を確かめた後はヘッドレストに首を当てて固定しろ。もし回転中に首を動かしたら頸椎が折れかねん。いいか? 絶対に首は動かさず正面だけを向いていろ」


 指示されたとおりに天馬はヘッドレストに首を入れて固定した。


「それが終ったら左隣に置いてあるヘッド・アップ・ディスプレイ(HUD)を装着しろ。すると画面に数字が映るはずだ」


 シートの左隣には確かにゴーグルのようなHUDが置かれていた。手を伸ばし、天馬はHUDを装着する。


「どうだ? 何か数字が見えるだろ?」


「はい。1・0と表示されています」


「それが現在の重力値だ。この数字が上がっていくほどGが増していく……まあ、後は体感したほうが早いな」


 そう言うと鹿取は、鋼鉄製の扉を閉めようとした。


 だが、完全に閉まりきる前に天馬に一つだけ注意を残した。


「いいか? お前の身体状況はこちらで逐一モニタリングしている。そして途中で止めたくなったら、シートの下にある緊急停止用のボタンを押せ。いいか? くれぐれも無理はするなよ」


 今度こそ鹿取は扉を閉めた。徐々にカプセルから気配が遠ざかっていく。


 密閉された空間に座っている天馬は、一度だけ大きく深呼吸をした。


 鼻腔の奥に金属独特の金臭い匂いが漂ってくる。


 同時に緊張感が薄れていき、ひどく頭の中がクリアになっていった。


『準備は整ったか?』


 不意に背もたれに設置されていたスピーカーから鹿取の声が聞こえてきた。


「はい。いつでもどうぞ」


『威勢がいいな。よし、まずは2Gからだ』


 鹿取の声が途切れると、徐々にカプセルが動き出した。


 あまりの滑らかな動きに、天馬は息を呑んで身体を硬直させる。


 最初こそ天馬は、ただ回転している遠心加速器に落胆した。


 これならば7Gを超えることなど容易い。


 そう自惚れていたときだ。


 再びスピーカーから鹿取の声が聞こえてきた。


『HUDには何Gと表示されている?』


「2・0です」


 嘘ではなかった。


 HUDには確かに2・0と表示されていた。


『脈拍、呼吸、体温、すべて正常値だな。まあ、2Gなど通常のGとあまり変わらん。本番はこれからだ。次は一気に4Gまで上げるぞ』


「くっ!」


 鹿取の声が途切れた瞬間、カプセルの回転数が一気に上がった。


 たった2倍になっただけなのに、ジェットコースターに乗ったときのような浮遊感を感じた。 


『脈拍、呼吸、体温が上昇してきたな。よし、ではその状態を保ちながら簡単なテストを行う。白樺、1+1は?』


 1+1? 


 天馬は考えるまでもなく即答した。


「2です」


『正解だ。では17+18は?』


 次々に出される計算問題を天馬は答えていく。


 ふと気づくと、HUDに表示されている数値が5・0を切っていた。


『現在のGは5・24。どうだ? 白樺。体調や視覚に問題はないか?』


 天馬ははっと気づいた。


 先ほどから妙に頭の思考が鈍ってきていると思ったが、それ以上に視界が驚くほど小さく狭まってきている。


『白樺、現在5・5Gを越えた。ここから本格的に身体に影響が出てくる。危ないと思ったらすぐに緊急停止ボタンを押せ』


 そう注意された天馬だったが、7Gを超えるまで絶対に止めないと誓っていた。


 7Gを超えれば練習用とはいえ戦闘機に乗れる。


 いずれ乗れると分かっているが、体験するのは早いほうがいい。


 だが、固い決意とは裏腹に天馬の思考は低下する一方だった。


 無理もない。


 高重力下では頭部に血液がいかなくなり、思考や視界に多大な影響が出てくる。


 さらにこの状態がもっと続くと、脳から血液が引いてブラックアウト現象を引き起こす。


『現在6G。どうだ? そろそろ限界か?』


 天馬は両拳を固く握って激しく奥歯を噛み締めた。


 耳元ではっきりと聞こえていた鹿取の声が今では遠くに聞こえる。


「い……いえ……まだ……大丈夫です」


 それでも天馬は懸命にGの荷重に耐えていた。


 今のところ何とか意識は保っていられたが、うっかり気を抜くと一瞬で途切れてしまう。


『6・3……6・4……6・5……』


 カウントを数える鹿取の声が異様に遅く感じる。


 天馬は薄れていく意識の中で、そんなことを考えていた。




 一方、空也たちは高速で回転する遠心加速器を食い入るように見つめていた。


「す、すげえ……6・5Gを超えた」


 空也は電光掲示板に表示されているGを見て呟いた。


 その表情は恐ろしいモノを目の当たりにしたような驚愕色に染まっている。


 そしてそれはGを操作していた教官たちも同様だったらしく、電子制御装置を操作していた一人の教官が現場責任者であった鹿取に告げた。


「どうします? そろそろ止めますか?」


 鹿取は電子制御装置に表示されているGを見た。


「あくまでも緊急停止ボタンを押さない気か……」


 チッと鹿取は舌打ちした。


 おそらく、もう天馬の視界は正常に機能していない。


 カウントの声も聞こえてはいないだろう。


 鹿取は教官の一人に言った。


「停止しろ!」


 教官の一人が緊急停止ボタンを押した。


 しばらくすると遠心加速器の回転数が徐々に落ちていき、やがて完全に止まった。


 鹿取は駆け足で遠心加速器に向かった。


 ロックされていた鋼鉄製の扉を開け、中を覗き見る。


「無茶しやがって……だが、この才能は本物だな」


 シートの背もたれにぐったりと身を預けていた天馬は、ブラックアウトにより意識を失っていた。


 鹿取は天馬が装着していたHUDをそっと外す。


 HUDには、7・02というデジタル数字が煌々と表示されていた。

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