第十八話 遠心加速器
月曜日の午後。
天馬たちパイロットコースの生徒たちは、鹿取の指示を受けて司令部の地下へと向かった。
司令部の地下は分厚い壁で四方を覆われ、光を差し込む窓は一つもない。
そして部屋の中央には巨大な円形のカプセルが、太いアームに支えられて浮かんでいた。
「おお、すげえ」
感嘆の声を漏らしたのは空也だ。
着ていた白色のジャージの袖を捲くると、両頬を平手で叩いて気合を入れる。
空也の隣に並んでいた天馬は、首を左右に振ってコキコキと音を鳴らす。
今日の授業の日程は前もって聞かされていたので、生徒たちはそれぞれ緊張した面持ちで円形のカプセルを見上げていた。
遠心加速器。
コンピューター制御による遠心力を応用した加重装置であり、この機械に乗れば実際の戦闘機に乗ったときと同じGを感じることができる。
天馬は遠心加速器から視線を下に移した。
遠心加速器からやや離れた場所にはピアノのような大きさの電子制御装置が二台置かれ、鹿取や他のパイロットコース担当教官たちが機械を操作している。
よく見ると、電子制御装置から遠心加速器に何本ものケーブルが触手のように延びていた。
生徒たちがこの部屋にやってきて十数分が経過した頃、他の教官たちに何やら指示を出した鹿取が近づいてきた。ざわついていた生徒たちを一喝する。
「私語は慎め! 言っておくがこれは遊びじゃないんだぞ!」
鹿取の射るような眼差しと身が竦むような怒声を浴びせられた生徒たちは、一瞬で口を真一文字に締めて背筋を伸ばす。
生徒全員が休みの態勢で押し黙ると、ようやく納得したのか鹿取が頷いた。
「では、これより訓練を始める。予め伝えていたと思うが、今日の訓練はこの遠心加速器を使って実際の戦闘機に乗った場合にかかるGを体感してもらう」
鹿取は後ろを振り向かず、親指を遠心加速器に向かって指し示した。
「簡単に説明しておくが、この遠心加速器が出せる最大荷重は10Gまでだ。航空自衛軍の基地には最大荷重20Gまで測定できる遠心加速器もあるが、そんなものは君たちには必要ないし耐えられない」
鹿取は顔色一つ変えずに説明を続ける。
「まず1Gから徐々に荷重を上げ、それにともない簡単なテストを受けてもらう。だが安心しろ。テストといっても数字を読み上げたりするだけだ。そして万が一意識が消失するような自体に陥っても、こちらでは体温や血圧などの身体状況を常にモニタリングしているのですぐに緊急停止できる」
意識の消失。
その単語を聞いただけで生徒の何割かは唾を胃に流し込んだ。
天馬はちらりと隣にいる空也を見た。
案の定、空也は極度に緊張しているらしく、何度もゴクリと唾を飲み込む音が聞こえてきた。
一方、天馬はそれほど緊張してはいない。
若干の不安はあったが、それ以上に遠心加速器という装置に興味があった。
遠心加速器の形状から推測すると、巨大なアームに支えられた円形のカプセルが高速回転するのだろう。
モーターが何千馬力あるかは知らないが、ほぼ戦闘機のエンジン出力と同等の力が出せると見ていい。
となると、1秒間に5回転くらい回るのだろうか。
「……というわけで説明は以上だ。何か質問がある奴はいないか?」
鹿取が全員を見渡しながら問うと、空也がすっと挙手をした。
「教官。今の説明で7G以上のGに耐えた人間には特別ボーナスが与えられるとありましたが、具体的に何を貰えるのでしょう?」
特別ボーナス?
遠心加速器に意識が集中していたせいで、天馬は鹿取の説明を聞きそびれていた。
鹿取は質問した空也から全員の顔を見回しながら言った。
「与えると言ったが何も物ではない。もしも7Gまで耐えることができた生徒は、特別に明後日の授業で実際の戦闘機に乗せてやる。といっても操縦桿は握らせない。複座型の戦闘機の後部座席に座らせてやろう」
その言葉を聞いた生徒たちは、嬉しさのあまり一斉に声をあげた。
まさかこんな短期間で戦闘機に乗る好機が巡ってくるとは思わなかった。
普段から沈着冷静を貫いていた天馬であったが、そのときばかりは体内の血圧が上昇したように感じた。
だが、すぐにあることが天馬の脳裏によぎる。
「よろしいでしょうか? 鹿取教官」
ざわついていた生徒の中で、空也がもう一度質問するために挙手をした。
「何だ? まだ何かあるのか?」
「はい。その特別ボーナスにより戦闘機に乗れる機会ができたのは嬉しいのですが、私たちはまだ仮飛行免許も取得していない身の上です。それでも戦闘機に乗ってもいいのでしょうか?」
空也が質問した内容はずばり天馬と同じだった。
飛行機や戦闘機に乗るためには、飛行免許が必要になる。
そしてその飛行免許を取得する前には、仮飛行免許というライセンスを取得しなければならない。
これは一般で取得しようとすると多大な費用と訓練時間を求められるが、航空戦闘学校のパイロットコースを志望した学生に限り、二期生から取得できるシステムになっていた。
仮飛行免許についても約半年間訓練すれば取得でき、これはまさに航空戦闘学校のパイロットコースならではの特権であった。
だが、どんなに最速で飛行免許が取得できるといっても、最低半年間は訓練を積まなければならない。
そのために日々訓練を行っているのだが、天馬たちはまだ入学して一週間ほどしか経っていない。
「なるほど、そう言う訳か」
空也の質問を聞くなり、鹿取は苦笑した。
「お前たちの中には18歳になった折、車の運転免許を取得する者もいるだろう。そのときには教習所が用意した特別な車に乗って実習することになる。それと同じだ。たとえ飛行免許や仮飛行免許を持っていなくとも、この航空戦闘学校の敷地内であれば教官が同席している場合に限り飛行が認められている。本当は仮飛行免許を取得できる3ヶ月前まではフライト・シミュレーターだけで訓練を積むのだが、約束どおり7Gまで耐えることができた生徒には本物の戦闘機に乗せてやろう」
今度こそ生徒全員は歓声を上げた。二度に渡って質問した空也も鹿取の答えに納得したのか、小さくガッツポーズをして喜びを表していた。
「ただ」と鹿取は低い声で付け加えた。
「お前たちは分かっているのか? 身体に5Gの付加がかかれば、体重が60キロの奴は300キロにまで跳ね上がる。それにGが上がるごとに身体機能が低下していき、ブラックアウトを起こすなんてことはザラにある。それを踏まえた上で君たちに特別ボーナスを出そう。いいか? もう一度だけ念を押しておく。7G以上のGに耐えられた奴だけが戦闘機に乗れる……では、早速始めるか。Aクラスの若い出席番号の奴から遠心加速器に乗れ」
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