第九話 フライト・シミュレーター
司令部兼教員用宿舎の一階正面玄関口に集合したパイロットコースの生徒たちは、全員で十五人ほどの人数であった。
受付口手前の通路に整列し、担当教官の訪れをひたすら静かに待つ。
集合時間であった十時四十五分になると、甲高いチャイムが鳴り響いた。
と同時に二階の階段からパイロットコース担当教官が姿を現した。
角刈りの髪型に引き締まった顔つきと体格。緑のTシャツに緑のズボンという自衛軍の訓練服を着た担当教官は、室内だというのにジャングルブーツを履いていた。
そして手には生徒たちの顔写真と経歴が記されているだろう名簿を持ち、印象的だったのは他人を竦みあがせるような目だった。
担当教官は生徒たちを見渡せる位置に立ち止まり、鋭い視線で全員を見回す。
「さすがに初日だと欠席者はいないな。結構、それでは今後の予定を説明する前に自己紹介をしておこう。私の名前は
鹿取は自己紹介を終えると、名簿を捲りながら生徒たちの顔と経歴を参照した。
担当教官である鹿取は、見るからに軍人の雰囲気を身に纏った人物だった。
戦闘学校の教官には民間から教員を募る場合もあるらしいが、それはメカニックやメディックコースを担当する教諭だけであり、パイロットコースを担当する教員は退役した自衛軍の軍人か、場合によれば特別教員として現役の自衛軍人が講義を行う場合もあるという。
天馬は今後の予定を淡々と喋っている鹿取から目を離さなかった。
鹿取の年齢は多く見積もっても四十代には達してないだろう。
となると自衛軍を退役するには早すぎるし若すぎる。
最初は現役の航空自衛軍かとも思ったが、話を聞く限りではそうではないようだ。
自己紹介の際、鹿取は一言も自分が現役の自衛軍だと名乗らなかったからである。
その場に集まっていた生徒全員の顔を確認した鹿取は、続いて今後の予定を簡単に説明し始めた。
「今から君たちにはパイロット養成に必要な施設を見学してもらう。最初はブリーフィングルームからだ。全員、二列になってついてこい」
鹿取が歩き出すと、生徒たちはクラス順に二列に素早く整列した。
つかつかと歩いていく鹿取の背中を追いかける。
清掃が行き届いたリノリウムの廊下を歩きながら、天馬たちは最初の目的地であるブリーフィングルームに到着した。
正面玄関口から歩いて五分もかからずに到着したブリーフィングルームは、壁に窓ガラスが取り付けられており、廊下から室内を見通せる仕組みになっていた。
天馬は窓ガラス越しに室内を見た。
中学校の教室のような部屋の中には大きな机と丸椅子が何脚か置かれ、壁際には何も書かれていないホワイトボードが置かれている。
「通常、パイロットは飛行前に何回か段階を踏まえなければならない。その一つとして気象状況を専門の予報官から説明を受けることが挙げられる」
緊張した面持ちでブリーフィングルーム内を見ている生徒たちに、鹿取は落ち着いた口調で説明していく。
「気象状況を正確に把握していなければ飛行に多大な影響を及ぼす。ベテランのパイロットならば悪天候の中でも計器飛行で機体を飛ばすこともできるが、君たちには当分先の話になるだろう。だが、ここでは同じような飛行を体験する訓練もある。軽く考えていると最悪の場合生命にも危険を及ぼすので肝に銘じておくように」
なるほど、と天馬は鹿取の説明を受けて一人頷いた。
ちらりと横目で左右を見ると、他の生徒たちも鹿取の話を真剣に聞き入っている。
皆、理解したのである。
鹿取は決して誇張して言っているわけではなく、本当に起り得る事態を普通に述べているだけだと。
「予報官の説明を終えた後、続いては私たちのようなパイロットコース担当教官から飛行訓練についての概要と注意事項が述べられる。それが終わると今度はメカニックコースの担当教官か整備関係者がやってきて機体の整備状況や故障についての対策を説明されるだろう。その中には空中で不具合が生じたときの緊急手順の説明も含まれているので絶対に聞き逃さないようにな……よし、次だ」
鹿取は窓ガラスに背を向けると、次の目的地に向けて歩き始めた。
ブリーフィングルームから移動した天馬たちは、階段を上がって二階に向かった。
そして到着した部屋は、ロッカールームが立ち並ぶ更衣室のような部屋だった。
「ここはパイロットが飛行時に装着するパラシュートやヘルメットが置かれている救命装具室だ。戦闘機に搭乗するパイロットは実に様々な装具を着用する。最初は救命ジャケット、次に小さく畳んだ浮き袋であるメー・ウエスト。その次はGスーツだ。機体を急降下させてからの引き起こしや、急旋回したときなどは強い遠心力が身体にかかって血液が足のほうに下がってしまう。それを防ぐためにGスーツと呼ばれる服を着る。そして最後はパラシュートを背負って終了だ」
鹿取の説明を聞きながら、天馬たちは装具掛けにかかっていたヘルメットやパラシュートを手に取った。
バイクのヘルメットに酸素マスクを付属したようなパイロット用ヘルメットには、両耳の部分に無線機がついていた。
それに思ったよりも重く、意外と被り難そうだった。
「ヘルメットは被ってみると分かるが、強く締め付けると十五分ほどで頭痛が襲い掛かってくる。だが逆に緩く締め付けても駄目だ。緩く締めると、無線機と耳の間隔が空いて無線機に騒音が入ってしまう。そうなると無線がよく聞こえないという不具合が生じてしまうから装着するときは注意するように」
実際に被りはしなかったが、天馬は鹿取の言葉を心のメモにしっかりと書き記した。
十五人ほどの生徒たちは、救命装具室を出て次の場所に向かった。
次の目的地は三階だった。
そして部屋に入るなり、急に生徒たちが騒ぎ始めた。
前方にいる空也も見るからに顔を緩ませ、新しく買って貰った玩具を手に入れたような嬉しそうな表情を浮かべている。
何となく天馬もその理由が分かった。
鹿取に案内された部屋は、フライト・シミュレーター室であった。
本物の戦闘機内の操縦席を模した操縦用訓練飛行装置。
ゲームセンターに置いてあるカーゲームのような操縦席が五つあり、座席の前には画面が映っていない液晶画面が設置されていた。
鹿取はざわつく生徒たちを一喝し、シミュレーター室の説明をする。
「ここは見た通り、コンピューター制御による擬似操縦が行える部屋だ。操縦装置や計器反応は限りなく実物と同じに作られており、手順に沿って操縦を行うとコンピューターがパイロットの操縦技術を判定する。今は電源が点っていないが、画面に映る外の景色は実写の風景が投影されているから本物に近い飛行体験も可能だ。そして航空自衛軍にはGも一緒に体感できるフライト・シミュレーターもあるが、ここにあるのは固定式だからGは感じられない。けれども心配する必要はない。それはまた別の場所で体感できる」
鹿取はそんな意味深な言葉を吐くと、初めて顔を緩ませた。
だが、大半の生徒はフライト・シミュレーターに目が釘付けになって満足に聞いていない。
皆、ゲームのように感じるフライト・シミュレーターを体感したくてウズウズしていた。
「そう焦るな。最初は必ずこのフライト・シミュレーターで飛行訓練を積んでもらう。ここでは最低限の飛行操縦法や計器類の読み方が学べるから、ここでみっちり訓練をしないと到底本物の戦闘機に乗って空は飛べん。戦うことなどなおさらだ」
天馬は鹿取の説明を聞きながら、シミュレーターの一つに近寄って将来の自分を想像した。
本物の戦闘機に乗り、あのドラゴンとも呼ばれている翼竜どもを各個撃破しているパイロットの自分を。
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