第四話 空を駆ける鋼鉄の馬
学生寮の中は外観とは違って綺麗に清掃されていた。
生徒数が少ないためか一人一人に個室が宛がわれ、最低限の生活必需品はすでに部屋の中に揃っていた。
勉強机にパイプベット。
さすがにテレビの類はなかったが、部屋の片隅にはホテルに完備されているような小さな冷蔵庫が置かれていた。
天馬は12畳ほどの広さがあった部屋の内観を見渡すと、パイプベッドの上にボストンバッグを放り投げた。
その後、天馬はカーテンが開けられた窓際に歩み寄る。
窓からは暖かな陽光が差し込み、遠目には近代的な施設が幾つも見えた。
そのうちの一つに屋根が丸みを帯びている施設があった。格納庫か整備工場かもしれない。
「おい、天馬。早く行こうぜ」
突然、ノックもなしに空也が入ってきた。
「ああ、今行く」
財布や携帯電話などの必要なものだけポケットに仕舞い込み、天馬と空也は部屋から退室した。
ギシギシと頼りなく鳴く廊下を抜け、玄関口から外に出る。
「ところでどこへ行く気だ?」
二百メートルほどの円周になっていたグラウンドの中を歩きながら、天馬は先頭を歩いている空也に訊いた。
「黙ってついてくれば分かるさ。心配するな、絶対に損はさせない」
上機嫌に鼻歌を歌う空也の背中を見つめながら、天馬はそれ以上何も言わず黙って空也の後をついていった。
約十分後、二人は金網のフェンスに覆われている広大な敷地に辿り着いた。
第168航空戦闘学校。
これから三年間、志望したコースに沿って必要な技術を習得するための大事な学び舎だったのだが、一般の高校とは違い雰囲気は軍事施設そのものだった。
正面の玄関口には訪問者の身分を確かめるゲートが設けられ、近くにあった詰め所には屈強な警備員の姿があった。
空也の話によれば、警備員たちは二十四時間体制で待機しているという。
「ちょっと待て」
正面ゲートに近づくと、厳つい顔をした警備員に呼び止められた。
天馬と空也は学生証代わりであった記章を警備員に見せ、身分を確認されてからようやく施設内に入る許可を得た。
空也はへこへこと頭を下げていたが、天馬は警備員の視線を無視してつかつかと中に入っていく。
正面ゲートを潜りしばらく歩いていくと、左手のほうに三階建ての鉄筋コンクリート製の建物が見えてきた。
「あれは司令部兼教員用の宿舎だ」
続いて空也は遠くのほうに見えた細長い建物を指し示した。
建物の最上部は四方がガラス張りの窓に囲まれ、屋上部分には巨大なパラボラアンテナが設置されている。
「あっちは管制塔兼気象レーダの観測所だ。生徒は立ち入り禁止だが、実習の際に入ることもあるらしいぜ」
色々な場所を指差しながら淡々と建物の説明をする空也。
その口調は長年住み慣れた街を案内するような饒舌振りであった。
「何でそんなに詳しいんだ?」
歩きながら天馬が尋ねた。
空也は振り向くことなく答える。
「そりゃあ詳しくなるさ。俺たちは中学の卒業式を終えてすぐにこの島にやって来たからな。お前さんだけだぜ。始業式前日になってこの島に来た人間は」
空也の説明を聞いて天馬は「そうだったのか」と納得した。
空也が言ったとおり、明日は航空戦闘学校の入学式であった。
確か入学案内書には入学式前日までに入島し、学生寮で入寮手続きをすればよいと書かれてあった。
だからこそ天馬は期日を守って入島したのだが、まさか一ヶ月以上前にほぼ自分を除いた全員が入島していたとは思わなかった。
「まあそんなに気にすんな。パイロットコースの奴は入学式前日までに学生寮に入寮すればいいが、メカニックコースの奴らは入学式二週間前までに必ず学生寮に入寮して軽い研修を受けないといけないんだぜ。そいつらに比べれば楽なもんだ」
二人は雑談をしながら施設内の奥に向かって進んでいく。
一般の高校と同じ外観をしていた体育館の前を通り過ぎると、天馬の耳に甲高い音が聞こえてきた。
エンジンを吹かす独特の音に機械を削る異様な音。
その音が近づいてくる度に目の前には灰色の工場のような建物が見えてきた。
空也が言うには格納庫兼整備工場であり、そしてまさにその場所が目的地らしい。
二人は聴覚を刺激する騒音を気にせず、格納庫兼整備工場の中に足を踏み入れた。
「どうだ? 結構凄いだろ?」
格納庫兼整備工場に入った空也は、胸を張って高らかに自慢した。
天馬はなぜ空也が自慢げになるのか疑問だったが、今は素直に目の前の光景に感嘆することにした。
コンクリート製の床には油染みが多く、牽引車や電源車などの整備車両が複数停車していた。もちろんそれだけではない。
コンパクトな胴体に小さな翼。
短い脚部と尾部は車輪付きの移動台に固定され、強力なジェット・エンジンが搭載された戦闘機が何台か鎮座している。
天馬は無意識のうちに歩き出し、そんな戦闘機の一台を食い入るように見つめた。
それほど大きな機体ではないが、炭素系複合材とマグネシウム合金で構成された胴体フォームは、流体力学と機械工学の粋を集めて製造された理想的な原型をしていた。
それにミサイル類は一切積んでなく、唯一の武装は胴体下部に取り付けられた12ミリヴァルカン機関砲一門のみ。
一通り外観を眺め終わった天馬は、操縦席まで伸びていたタラップを登り始めた。
操縦席内は所狭しと計器類が設置され、座席の上には酸素マスク付のヘルメットがぽつりと置かれていた。
その他の目立ったものといえばサイドスティク操縦桿に高度計、対気速度計、電波高度計、燃料流量計などが自動的にスクリーンに表示される自動統合計器システム。
そして操縦席正面部分に搭載されていた標的を補足するテレビジョン・センサーだろうか。
航空自衛軍の正式採用戦闘機と比べると性能的に見劣りするが、それはこの機体が大量生産用の機体だからであろう。
しかしそれでも自衛隊時代に採用されていた中等練習機や高等練習機よりは性能が高い。
モデルはスウェーデンが開発した戦闘・攻撃・偵察などを一機で賄えるように設計された軽量小型戦闘機「グリペン」に近いだろうか。
天馬はまさに「空を駆ける鋼鉄の馬」である戦闘機に直に触れたことで、我を忘れるほど高揚した。
嬉しさのあまり許可も取らずに操縦席内に乗り込もうと足を伸ばす。
その瞬間だった。
「おいっ、そこのくそガキ! てめえ、何やってやがる!」
鼓膜の奥を刺激する怒声が施設内に響き渡った。
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