第三話 これからの行く末
「ああ、よろしく」
天馬は何も考えずに差し出された渚の右手を握り返した。
瞬間、天馬の眉間に皺が寄った。
「ええ、こちらこそ」
渚は天使のような笑みを作っていた一方、握手していた右手に万力のような力を込めていた。
その力は確実に相手の手を握り潰す勢いがあり、同時に何か殺意のようなものまで感じられた。
初対面だよな?
なぜ自分が目の前にいる少女に殺意を抱かれているのかは一先ず置いて置くとして、このままでは見ず知らずの少女に腕を放してもらえない。
天馬は渚に怪我をさせない程度の力を込めて握り返した。
「いったーいっ!」
圧倒的な力で握り返された渚は、血相を変えて手を離した。
真っ赤になった右手を冷ますためか何度も息を吹きかける。
「これでも手加減したんだがな」
右手を押さえている渚を見て、天馬はいたたまれない思いに駆られた。
一般的に男と女では筋肉量や骨の硬度に差がある。
そしてその差は筋力トレーニングなどにより縮ませることは可能だが、天馬の場合は幼少の頃からパイロットになる英才教育を父親から受けていた。
無論、その英才教育には筋力トレーニングも含まれており、単純な握力ならば七十キロは軽く超える。
「骨には異常はないと思うが、痛みが激しいようなら冷やしたほうがいいぞ」
「そう思ったんなら少しは手加減しなさいよ!」
怨嗟が込められた眼差しで渚が天馬を睨みつけていると、向日葵が拙い足取りで渚に近寄っていく。
「渚ちゃん……手、見せて」
向日葵は赤くなっていた渚の右手をそっと握った。
「痛いの痛いの飛んでいけ。向こうのほうへ飛んでいけ」
渚の手を握りながら一生懸命言葉を紡いでいく向日葵。
その旋律はどこか夢の世界へと誘う子守唄にも聞こえた。
「……もう大丈夫だよ」
握っていた手を離した向日葵は、キョトンとしている渚に微笑んだ。
渚は右手を握ったり開いたりすると、一度だけ頷いて向日葵に微笑み返した。
「ありがとう、向日葵。お陰で痛みが少しだけ引いたよ」
互いに満面の笑みを向けている二人を見て、この二人は昔からの知り合いなのかと天馬は思った。
十一年前に起こった第二次大空戦後、しばらくは住民が本土に避難して無人島になっていた四鳥島。
しかし近年になるとようやく防空・防海戦線が敷かれ、政府の意向により一六八番目の航空戦闘学校が新設されることになった。
それと同時に本土から多数の企業の手が加わり、この四鳥島は航空自衛軍の予備軍とも呼べる航空戦闘学校だけではなく、海上自衛軍やその予備軍である海上戦闘学校の巡視船や護衛艦の補給場所にも選定されるようになった。
と、天馬はこれらの予備知識を島に来るまでに頭に叩き込んできた。
「二人は昔からの知り合いなのか?」
天馬が渚と向日葵に問うと、間髪を入れず渚が答えた。
「そうよ。私たちは中学のときからの同級生なの。将来の夢はもちろん一級看護師。そのために航戦に入学したんだから。そうよね、向日葵」
向日葵はおどおどした後に首を縦に振った。
何が恥ずかしかったのか顔を真っ赤に染めている。
「そうか。じゃあ二人はこの島の出身なのか?」
「いや、違うぜ」
天馬が振り向くと、そこには泥にまみれた缶ジュースを持った空也がいた。
「ほら、拾ってきたぞ。これでいいんだろ?」
「拾ってきただけじゃ駄目でしょ。きちんと缶専用のゴミ箱に捨てるの」
空也は何度も頷いて「分かった分かった」と呟いた。
そんな空也の態度を見て、渚は呆れるように大きな溜息をついた。
「まったく、航戦の学生は自衛軍直轄の下部組織の中でも模範的立場を取らないといけないのよ。それにアンタは将来敵から日本を守るパイロットになるんでしょ? だったら少しは自分の普段の行動を正す自覚をしなさい」
「へいへい、ご忠告感謝しますよ」
もう向こうへ行けとばかりに空也が手を振ると、その意図を察したのか渚は向日葵の手を摑んで歩き出した。
「じゃあね。同級生として忠告するけどあんな奴と付き合っていたら落第しちゃうよ」
すれ違う間際、渚は天馬に軽くウインクをしてそう言った。
向日葵も何か小声で言っていたが、はっきりとは聞き取れなかった。
徐々に遠ざかっていく二人の背中を見つめながら、空也は缶を握り潰した。
「根っからの委員長体質だな。同じクラスにならないといいが」
延々と渚に対して空也はぼやいていたが、その表情や声色からは注意されてもマンザラではなさそうだった。
「空也はあの二人と昔からの知り合いなのか?」
「うん? ああ、中学時代にちょっとな」
そう言うと空也は、学生寮に向かって歩き出した。
途中で振り返り、呆然と立っていた天馬に早く行こうぜと促す。
「部屋に案内したらとっておきの場所に案内してやるよ。きっとお前も驚くぞ」
空也は足早と学生寮の中へと入っていく。
「とっておきの場所か……」
天馬は地面に置かれたままになっていたボストンバッグを持った。
これから自分が生活するお世辞にも立派とは呼べない学生寮に向かって歩き出す。
その途中、天馬の脳裏にはふと向日葵の姿が浮かんだ。
(あの子、どこかで会ったことがあったか?)
ふとそんなことを思った天馬だったが、どう考えても記憶が蘇ってこない。
その間にも学生寮の玄関口からは空也がひっきりなしに手招きをしている。
気のせいだな。
向日葵のことは記憶の片隅に置き、天馬は学生寮の中に入っていった。
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