第37話 少年と黒猫

「僕もハインツのことが好きだよ。君があまりにしっかりしてるから、つい頼りたくなってしまうんだ。料理は上手だし、絵も上手で頭もいい。しかも水の属性で攻撃までできる。僕なんかより強いのに、テディベアがないと眠れないってことも知ってる」

 先生がくすりと笑い、オレは言い返す。

「眠れます、なくても眠れますっ」

「そうだっけ? でも、そういう可愛いところが大好きで、愛おしいんだ」

「っ……」

 先生がぎゅっとオレを抱き締めた。

「僕の自己満足で引き取ってしまってごめん。でも、君のことを本当の子どものように思ってるよ」

「っ、そ、それならオレだって……!」

 顔を上げて彼を見上げるが、いざ言おうとしたら急に恥ずかしくなってきた。

 にこりと泣き笑いの顔で待っている彼から視線をそらしながらも、オレは回した腕に力を込める。互いの首にかかったレッドアベンチュリンを服越しに感じる。

 するとどこからか声がした。

「クソ親父」

「そ、それですっ、クソ親父だと思ってま――ん?」

 はっとしてバルコニーの方を見れば、ベルナルトさんがおかしそうに笑ってこちらを見ていた。

「いいねぇ、ハインツ。もっと言ってやれー!」

「ちちち、違います! っていうか、みんなして何見てるんですか!?」

 バルコニーへ出ていたのはベルナルトさんだけではなかった。ヘルマンさんにアロイスさん、ジークさんも微笑ましげに見ているではないか!

 慌ててオレは先生から離れ、涙と鼻水をハンカチで拭う。

 すると先生は優しい声で言った。

「いいよ、ハインツ。待ってるから無理しないで」

「っ……が、頑張ります」

 と、天邪鬼あまのじゃくな返答をしてしまい、オレは素直になれない自分に嫌気が差す。

 先生はくすりと笑ってから、真面目な顔になって言う。

「君の家族を奪ってしまったこと、つぐないきれないとも思ってる。申し訳ないことをしたと、僕はきっとずっと後悔し続けるだろう」

「……はい」

「それでも君がそばにいてくれるなら、僕は一生をかけて君を守るよ。家族として、父親として」

「……はいっ」

 嬉しくてまた涙が出てきた。

「あっ、これはその、違くて」

「どっちでもいいよ」

 先生の大きな手に頭を撫でられ、引き取られたばかりの頃を思い出す。あの時にくらべたら、先生の手は小さくなってしまった。いや、オレが大きくなったんだ。

「一緒に帰ろう、ハインツ」

「っ……はい」

 やっと先生のところに帰れる。やっと先生と一緒に暮らせる。ただそれだけのことが胸いっぱいにあふれて、オレの涙は止まらなくなってしまった。

 もうこうなったら仕方ない。気が済むまで泣いてやろうと思った。思った、のに――。

「ハインツ!」

 唐突に先生がオレを突き飛ばした。

 気付いた時には尻もちをついていて、オレは呆然とまばたきを繰り返す。先生は腹部を手で押さえ、地面に片膝をついていた。

 アロイスさんがすぐにそばへ寄り、魔法を唱える。

「ハイルング・ヴァッサー」

「ありがとう、アロイス」

 ヘルマンさんも慌てて下りてくると、二人を背にして立った。

「どこだ? どこにいやがる?」

 はっとしてオレは鞄を両腕に抱いた。石版は無事だ。でも、今のはオレを狙って――?

 住宅地の夜は暗い。特にヘルマンさんの家の庭は広く、隣近所の家の灯りなど届かない。街灯の光ですら遠かった。

 怖くなって動けないオレを、そばに来たベルナルトさんが立ち上がらせてくれた。

「大丈夫かい?」

「は、はい。オレは平気、です……」

 心臓がドキドキする。石版を狙われているのに、相手の姿が見えないことが恐怖を増幅ぞうふくさせる。

 ヘルマンさんも同じ思いだったのだろう、耐えかねた様子で叫んだ。

「姿を見せろ! ヴェルフェン・ラント!」

 地面の一部をえぐり取ったように浮き上がらせ、前方へと投げつける。……近くで猫の鳴き声がした。

 誰もが嫌な予感を覚えただろう直後、どこに潜んでいたのか人影が現れる。ゆっくりと芝生を踏んで歩いてくる、小さな足音。

「ごめんなさい、ボクのウルリヒが迷い込んでしまって」

 声変わり前の少年だった。腕には黒猫を抱いており、オレたちは誰一人として気をゆるめない。

 緑色の髪をした少年はくすりと笑った。

「なんてね。ボクたちのこと、でしょう?」

 黒猫がするりと腕から抜け出し、地面へ着地すると同時に人の姿をとった。背の高い知的な顔つきの執事風の男だ。どうやら魔猫だったらしい。

「ルーペルト坊ちゃま、あとは私にお任せください」

「うん、全部壊してね。ウルリヒ」

 少年が後ろへ数歩下がり、ウルリヒと呼ばれた魔猫は目に殺意を灯らせた。彼が見ているのはオレが持っている石版だ。

 先生とジークさんがオレの前へ立つ。

「ドゥンケルハイト」

 聞いたことのない呪文だ。先生もすぐに唱える。

「ヴィント」

 風の魔法だと思った直後、オレはベルナルトさんに抱きしめられた。かばわれたのだと気付いた直後、先生とジークさんがバルコニーのフェンスにぶつかった。

「な、何が……」

 見上げたベルナルトさんは苦しそうな顔をしていた。

「逃げろ、ハインツ」

「え」

「石版を守るのが、使命……」

 ベルナルトさんがその場に膝をつき、ヘルマンさんが叫ぶ。

「ヴェルフェン・ラント!」

 地面を揺らすが、ウルリヒは途端に魔猫へ姿を戻した。毛色が黒いせいで暗闇に紛れて見えなくなる。

「ハイルング・ヴァッサー」

 と、アロイスさんがすかさず治癒を開始する。

 オレは恐怖で立ち尽くすばかりだ。逃げろと言われてもどこへ逃げたらいいか分からない。

「ドゥンケルハイト」

 ヘルマンさんが「うぐっ」と、声を上げるが吹き飛ばされはしなかった。体が鍛え抜かれているために耐えたようだ。

 先生が立ち上がってオレへ言う。

「ハインツ、僕から離れないで」

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