第36話 慰労会
季節はすっかり夏に入り、朝昼は暑いが日が暮れるとほどよく涼しくなった。
「まだまだやることは残っているが、ひとまず一段落ついたし、今日はみんないっぱい飲んで食べてけよ」
オレたちはヘルマンさんの家で行われた慰労会に呼ばれていた。
「いやぁ、僕も来ちゃってよかったんですかね」
と、ベルナルトさんが困惑をあらわにすれば、ヘルマンさんがその肩をがしっと抱いて言う。
「気にすんな。今日は身内しか呼んでないからな」
「あはは、身内……」
オレやジークさんとよく一緒にいたせいか、いつの間にかベルナルトさんも身内になっていた。
「遠慮せず飲み食いしてってくれよ、若者」
「はい、ありがとうございます」
ヘルマンさんが離れたところでオレは言う。
「まあ、オレとは親戚ですよね」
「うーん、それもそうか。そういうことにしておくよ」
「はい」
とはいえ、ジークさんの研究はもう残りわずかであり、聖地での出来事を踏まえて論文を書き上げるだけだった。そのため、ベルナルトさんはとっくに衛生部へ戻っており、最近は昼休みに時々会う程度だ。
他に呼ばれているのはブリッツェ夫妻と先生だけだった。本当に仲のいい人だけを集めた会のようだ。
ヘルマンさんの家はとても大きくて立派な屋敷だった。バカンスの時期であるため奥さんと娘さんは旅行に出ているらしく、今夜はいくら騒いでも問題ないという。
会場となっている広間にはさまざまな料理と飲み物が用意され、ビュッフェ形式となっていた。それぞれに料理や飲み物を取り、近くにあった二人がけのソファへ座ったところでベルナルトさんがたずねる。
「で、ハインツ。彼と話さなくていいのかい?」
「えっ、いや、あのー……あ、後で声かけます」
「緊張してる?」
「……会うのも久しぶりなので」
ベルナルトさんがおかしそうに笑って、オレの頭をくしゃくしゃに撫でた。
「頑張れ」
「は、はい」
彼の気持ちはありがたいし嬉しい。でも、先生にいつ声をかけたらいいか、正直に言って分からなかった。
先生はヘルマンさんと話をしており、少なくとも今はタイミングがよくない。
リーゼルも連れてきていたが、専用に用意されたご飯をいつものように「みゃうまう!」と、鳴きながら食べているばかりだ。
ジークさんやアロイスさんはオレを気遣ってそばへ来たが、先生だけは近づいてこない。みんなそれを分かっているのか、オレたちの話題に触れることなく、様子を見守ってくれているようだった。
腹がふくれてきた頃、何かを決意したようにベルナルトさんが立ち上がった。どこへ行くのかと見ていたら、彼は先生の前で立ち止まった。
離れているせいで二人が何を話しているか、はっきりとは聞こえてこない。しかし、ベルナルトさんが大きな声で言うのだけは聞こえた。
「先日は申し訳ありませんでした!」
室内がざわつき、オレはそっと席を立つ。足元の
夜の空気に触れると、室内のにぎわいで
「……ダメダメだ」
ベルナルトさんが勇気を出したのに、オレは逃げ出してきてしまった。
かれこれ会が始まって一時間が経過しているのに、このままでは何も話さずに終わってしまいそうだ。
それは嫌なのに彼の元へ行く勇気が出ない。何をどう話したらいいかが分からない。――それとも、考えすぎだろうか。
ふとバルコニーの端に階段を見つけて、オレはそこから庭へ下りた。手入れがしっかりされている綺麗な庭だ。
焦りそうになる気持ちをごまかすように歩いていると、近くに気配を感じて立ち止まった。
「ハインツ」
振り返れば先生だ!
びくっとして思わず後ずさるオレへ、先生は弱気な声で言う。
「その、ごめん。君と離れて暮らしている間、いろいろ考えたんだ」
室内から漏れる人工灯が彼を照らす。
「僕は本当に自分勝手だった。自分のことしか考えていなかった。
「……そんな、こと」
彼が首をゆっくりと左右へ振った。
「ううん、僕自身がやっと気づいたんだ。もちろんベルナルトに言われたからではあるけれど、本当に愚かだったと分かったんだよ」
あの日のように弱々しい顔をしていた。泣き出してしまうんじゃないかと心配になるが、泣き出しそうなのは自分もだった。
「オレもいろいろ、考えました。ベルナルトさんにも話を聞いてもらって、自分のこともいっぱいいっぱい考えました」
声が震えてしまった情けなさで、泣き笑いになる。
「オレ、純血なんです。水の聖地の番人で、石版を、この世界の秩序の証を守らなくちゃいけないんです」
「……うん」
「だからオレは石版を守ります。でもそれは、この世界というより……先生と一緒に過ごした七年間を、守りたいからで」
灯りに照らされた涙が一粒落ちる。
「オレ、あのお店が大好きです。先生の作る魔法雑貨が好きです。お客さんが来なくても、店番をしている時間が好きです。本を読み終えて振り返ると、作業場にいる先生が見えて、真面目な顔をして作業をしている先生の横顔を、黙って見ているのが好きなんです」
何気ない日々が宝物だった。
「先生は好き嫌いするけど、オレが作った料理は文句を言いながらも食べてくれる。嫌いなはずのキャロットスープも、ちゃんと飲み干してくれた。だからオレ、嬉しくて時々嫌がらせしちゃうんです。先生のそういう、優しいところが好きだから」
涙のせいでもうほとんど声にならない。それでも思いがあふれて止まらなかった。
「先生の作る料理はまずいし、洗濯は雑だし、掃除も全然しないから作業場がごちゃごちゃになってて、でもそれを片付けるのがオレは好きです。先生は頼りないから、一人にさせておくと心配な人だから、たとえオレがいなくても大丈夫だとしても、オレはっ」
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