第35話 懐疑心

 その日の午後、にわかに国軍本部が騒がしくなった。研究所にいたオレたちにまで情報は届かなかったが、夕方になってアロイスさんがやってきた。

「直接指示を受けていたと思しき魔猫が捕まったそうだよ」

「えっ」

 驚くオレたちへ彼はにこにこと笑う。

「ウンズィヒバーの居場所も吐いたって。それで明日、さっそく向かうらしい」

「それはまた、急展開ですね」

 と、ベルナルトさんが返せばアロイスさんもうなずいた。

「オレもそう思うよ。でも黒幕の居場所をつかめたのはいいことだ」

「そうね、やっと一件落着だわ」

 ほっとするジークさんだが、オレは納得がいかなかった。

「あの、疑うわけではないんですが……それ、本当なんですか?」

「おや? ヘルマンから聞いた情報だから、信じていいと思うけど」

「あ、いや、そこじゃなくて。捕まえた魔猫の話を信じてもいいのかってことです」

 顎に手をやってアロイスさんは考える。

「ふーむ、たしかに怪しいとは思うよね。でも捕まえるのに一騒動あったみたいだし、嘘を言ってるわけではないんじゃないかな」

「そうですか。何かの罠じゃなければいいんですが……」

 心配しすぎかもしれないと思ったが、どうにも引っかかっていた。

 リーゼルはどこか不安げな顔でオレの膝の上へ乗ってくる。

「大丈夫だよ、ハインツ。もし罠だったとしても、フロレンツがメンバーに入ってる。あいつのことだからすぐ返り討ちにするさ」

 と、アロイスさん。

「そう、だといいんですけど」

 まだ納得のいかないオレへ軽く笑って、彼は言う。

「そういうわけだから、今日は家に帰って大丈夫そうだ。オレはまだやることがあるから、ジーク、ハインツを頼むよ」

「ええ、分かったわ」

「それじゃあ、また後で」

 アロイスさんはさっさと研究室から出ていき、ベルナルトさんが言った。

「明日ですべてが終わるんですね」

「ええ、うまく行けばね」

 オレにはそう思えなかった。あまりにもあっさりしすぎている。こんな呆気なく終わるほど、簡単な話ではなかったはずだ。

 ――きっとまだ気を抜いてはならない。きっとまだ、何かある。


 そんなオレの心配が馬鹿みたいに、翌日ウンズィヒバーは捕まった。イシュドルフから北へ行った先にある小さな町にそいつはいた。

 聞いた話によるとウンズィヒバーは六十歳を過ぎた地味な小男で、抵抗することなく逮捕されたそうだ。家の中には神話に関する本がいくつも並んでおり、石版を壊せば世界が崩壊することを独自の考察で知ったという。

 また、ウンズィヒバーは猫好きであり、そこから魔猫を使役しえきすることを思いついたらしい。

 そして魔法使い連続殺人事件について彼はこう語った。

「本当の目的を隠すために指示したことだ。石版が狙われていることに、ちっとも気づかなかっただろう?」

 つまりはただの目隠しだった。事件に気を取られて、聖地や石版のことに誰も気が回らなかったのだ。――オレたちを除いて。

 ジークさんやベルナルトさんがいなければ、オレは聖地へ行くことがなかった。水の精霊に石版を託されることはなかった。言い換えれば、このことがウンズィヒバーにとって唯一の誤算だったのだ。

 ヘルマンさんや先生たちはその後も忙しくしていた。真犯人が捕まってもやることはたくさんあった。

 捕獲作戦で捕まえた魔猫たちの処分もあり、また先生と会えない日々が続いた。


 気づけばアロイスさんたちの家で過ごして一ヶ月が経とうとしていた。

「ハインツは真面目ね。まだ律儀りちぎに石版を持ち歩いて」

 呆れたようにジークさんが言い、オレは返す。

「水の精霊様に託されたものなので、やっぱりオレが持ち歩かないといけないと思うんです」

「そうだけど、もう事件は終わったのよ? 聖地へ返しに行ってもいいと思うのだけれど」

 と、少し困った顔をするジークさんだが、オレは首を横へ振る。

「それはできません。水の精霊様はオレのことをどこかで見ているはずなので、返しに行っても大丈夫であれば、また姿を現してくれるはず。だからオレは彼女の指示がない限り、石版を手放したくないんです」

「うーん、なるほど」

 相槌あいづちをしてくれるジークさんだが、彼女の言うことも頭では理解していた。

「殺人事件はたしかに終わりました。でも、他の国の状況はよくなかったじゃないですか。日照りが続いたり洪水が起きたりして、聖地は見る影もないって」

 国軍の情報部が集めた情報によると、聖地のあった土地はどこもひどい状態だった。早くも飢饉ききんに見舞われている地域もあり、国同士の関係もギスギスしているという。それらの原因が石版にあると理解している人は、果たしてどれだけいるだろうか。

「それって世界がまだやり直せてない証拠だと思うんです。きっとまだ、石版の事件は終わっていない」

 オレの訴えにジークさんはにこりと微笑んだ。

「前から思ってたけど、ハインツは研究者向きね。その懐疑心、そして責任感は見上げたものだわ」

 褒められても嬉しくなくて、オレはただむっとして口を閉じた。

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