第31話 窃盗団

「まさか、戦争が?」

 ジークさんが神妙に問いかけ、水の精霊は答える。

飢饉ききんや自然災害もよ。世界そのものが壊れ始めてる、と言ってもいいわね」

「それなら、僕らはどうすればいいんですか?」

 すると精霊はにこりと笑い、オレの頬を左右の手で包みこんだ。まるで母親みたいに優しい手だった。

「ハインツ、ここにある石板はあなたが持っていてちょうだい」

「オレが?」

「一枚でも残っていれば、世界はやり直せる。失われた秩序を取り戻すのは簡単じゃないでしょうけど、私は人間がそこまで愚かでないことを信じているわ」

 ゆっくりと手が離れ、オレは石板へ視線を落とした。これを、オレが――。

「分かりました」

 そっと両手を出して石板を持ち上げた。見た目よりも軽かったが、鞄の中にかろうじて収まるくらい大きかった。

 石板の重みを肩に感じ、水の精霊へ顔を向ける。

「ヴァッタースハウゼンの名を継ぐ者として、オレが守り抜きます」

「ありがとう、ハインツ。魔法の言葉は覚えているわよね?」

「はい、覚えています。オレにあれを教えてくれたのは、あなただったんですね」

「そうよ。ハインツに強い力があることを知って、ヘルムートとマーヤが連れてきたの。だから大事な時にだけ魔法を使うよう、あなたに教えたのよ」

 にこりと笑う精霊へオレも笑みを返した。

「あの言葉がなければ、オレは今こうしてはいられなかったはずです。ありがとうございます」

 水の精霊は「知ってるわ」と、うなずいた。

「さあ、もう行きなさい。苦難を与えてしまって申し訳ないけれど、きっとここにあるよりは安全なはずだから」

「はい」

 オレは順に二人と顔を見合わせた。

「すぐにイシュドルフへ戻りましょう」

 ジークさんとベルナルトさんがそれぞれにうなずき、オレたちはその場を離れる。

「負けないでね、ハインツ」

 水の精霊の切ない言葉を背に、急いで階段を下り始めた。


 階段を下りきったところで、乱暴に扉が開かれた。

「おっ」

 入ってきた男がこちらを見て状況を察した顔をする。

「お前ら、石板を持ってるんだろ? 寄こしな」

 後から二人の男たちもやってきて、それぞれにナイフを手にした。――ついさっき話を聞いたばかりなのに、もう狙われてしまうなんて!

「ここは僕に任せてください。戦闘訓練は受けています」

 と、ベルナルトさんが流れるように前へ立ち、ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出す。

 するとジークさんは言った。

「援護は任せて」

「はい」

 ベルナルトさんがかまえると同時に男たちが飛びかかってくる。

「やっちまえ!」

「ヴィント!」

 すかさずジークさんが風の魔法で後方の男二人の動きを止め、ベルナルトさんが戦いやすいようにした。

 さすがは軍人、ベルナルトさんはいかにも慣れた様子で相手のナイフを刃で受け止めるが、武器の大きさが全然違う。折りたたみ式のために小さいのだ。

 オレはただ鞄をぎゅっと胸に抱いて、彼らの背中を見ているばかりだ。

 立ち上がった二人を見てジークさんがまた唱える。

「ヴェルフェン・ヴィント!」

 今度は強風だった。男たちが情けなくもあおられてよろけ、ベルナルトさんの戦っていた相手も巻き込まれて隙ができた。

 すぐさまベルナルトさんはナイフをくるっと回して逆手に持ち、男の太ももを勢いよく刺した。

「うぎゃあ!」

 痛みにもだえる男を足蹴あしげにしてから、ベルナルトさんが振り返る。

「やるじゃないですか、博士」

「魔法研究者だもの、これくらい自分で――」

 と、ジークさんが自慢し終えないうちに二人の男が向かってくる。

「危ない!」

 とっさに叫んだオレは直後、無意識に唱えた。「ヴァッサー!」

 水が男たちを一瞬で壁際へと押し流し、オレは「あれ?」と、苦笑いを浮かべてしまう。

 ベルナルトさんとジークさんが振り返り、ほっとしたように笑った。

「ハインツの魔法があれば一発だったね」

「最初から頼るべきだったわ」

 男たちは打ち付けた体が痛むのか、うめき声を上げるばかりで立ち上がろうとしない。

 ベルナルトさんはさっきまで戦っていた男へ近づくと、しゃがみこんでナイフを喉元に突きつけながらたずねた。

「で、あんたたちはいったい何者なんです?」

「っ……た、ただの窃盗せっとう団だ」

 と、男は苦々しく答える。

 ベルナルトさんが「ふーん?」と、両目を細める。これまでに見たことのない、冷たい顔をして質問した。

「窃盗団が石板を盗むわけないでしょ。それとも、誰かの指示だったんですか?」

 男たちは一様に気まずそうな顔をした。どうやら自分たちの意思ではなさそうだ。

「い、言えない……」

「おや、この状況でそんなこと言っちゃうんですか?」

 と、ベルナルトさんが切っ先を前へ出した。皮膚を切っただけだと思うが、ぷつりと血が出てきて、見ていた別の男が慌ててしゃべりだす。

「おれたちもよく知らないんだ! あいつは魔猫を通して接触してきた!」

「魔猫?」

 オレは肩に乗っているリーゼルと顔を見合わせた。

「『ウンズィヒバー』って名乗ってた! 聖地にある石板を奪って壊せって! そうしたら多額の報酬を出すって言われて!」

「そ、そうだ! しかも前金で五十万マルク払ってくれた!」

 と、もう一人の男が追従し、ベルナルトさんがジークさんへ問う。

「尋問はこれくらいでいいですかね?」

「最後に一つ聞かせてちょうだい。接触してきた魔猫の毛色は?」

 男たちは何故か戸惑った。

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