第20話 嫌な感じ

「浮かない顔ね」

 研究室に入ったところでジークさんに言われ、オレはとっさに笑みを浮かべた。

「いえ、何でもないです」

「そう? フロレンツと何かあったのではなくて?」

 ぎくりとして隠すのをあきらめた。ため息をつきながら、いつものように椅子へ座る。

「昨日、ベルナルトさんから聞いたことを先生に話したんです。それから少し、変な感じというか……たぶん、お互いにぎこちなくなってしまって」

 何冊かの本を机の上に置きながら、ジークさんは「想像できるわ」と、うなずいた。

「彼、ああ見えて繊細せんさいなのよね。ハインツにもそうしたところがあるように思うわ」

「うーん、そうですかね」

「自分の気持ちを言葉にするの、苦手でしょう?」

「……はい」

 苦い顔でうなずくしかなかった。オレも先生も、なかなか本音を口にできない。それはもう、お互いによく分かっているのだけれど。

 ジークさんはにこりと笑って椅子へ座った。

「始める前にもう一つ、いいかしら?」

「ええ、何ですか?」

「どうして彼のこと、先生なんて呼んでいるの?」

 背中を丸めて縮こまりたくなるが、座り直してから答えた。

「その、イシュドルフに来た時、小学校の授業についていけなくて。その時にあの人が教えてくれたんです。難しい文字とか計算とか、学校の先生なんかより分かりやすくて、それで……です」

 あの頃はまだおじさんとか、フロレンツさんと呼んでいたから、別の呼び方ができてほっとしたのを覚えている。

「彼もそれでいいって言ってくれて、それからなんとなく、ずっと続いてるっていうだけです」

「そういうことだったのね、ありがとう。だけど……」

 ジークさんが優しい顔でにこりと微笑む。

「あたしだったら、お母さんって呼ばれたいわね」

「っ……」

 言われなくても分かっている。「先生」のままではよくないこと。師匠と弟子ではなくて親子なんだから、ちゃんと、「父さん」って呼んであげなきゃいけないこと。

「さて、それじゃあ始めましょうか」

 と、何事もなかったかのようにジークさんが言い、オレは微妙な表情のままうなずいた。

「あなたのことはだいたい分かったし、あとは聖地の情報と照らし合わせて論文にすればいいだけ。そのために他の属性が本当に存在しないのかどうか、確かめさせてもらうわよ」

 彼女が手にしたのは一冊の薄い本だ。

「魔法の基礎をやってみましょう」

「はい」

 オレはすぐにそちらへ向かい、彼女が開いた本へ視線を落とす。子ども向けと思しき、魔法の基礎について書かれた教科書だ。

「火はフォイアー、土はラント、風はヴィント、水はヴァッサー。さっそくやってみて」

「は、はい」

 少々緊張しながら、ジークさんから離れて誰もいない方向へ体を向ける。

「フォイアー」

 まずは火の魔法を唱えてみたが、何も起こらなかった。

「片手を出してみて」

「はい。――フォイアー」

 左手を開いて前へ出して唱えたが変わらない。火は出なかった。

「じゃあ、次のをやってみてちょうだい」

「えっと……ラント」

 土の魔法も反応はない。さすがに苦々しくなってきて、オレは自信をなくしながら唱える。

「ゔぃ、ヴィント……」

 風も同じく出現しなかった。

 ジークさんは「予想通りね」と、嬉しそうに笑ってくれたが、オレはどうにも情けなくて泣きそうだ。

「それでいいのよ、ハインツ。あなたは水の属性で満たされているということが、これで証明できた」

「……はい」

 これまで魔法を使うことがなかったから知らなかったが、オレは他の属性がまったく使えないらしい。だからこそ純血であり、水の属性で攻撃が出来るのだと頭では理解できるが、やっぱり他の人とは違うのだと分かってショックだった。


 ベルナルトさんとは次の休日の午後二時、本部の敷地内にあるカフェで会うことになった。アロイスさんが間を取り持ってくれたおかげですんなりと決まったのだが、先生はあまり嬉しくなさそうだった。

 いや、ベルナルトさんはオレの親戚なんだから、先生からすれば微妙な気持ちになるのは当然かもしれない。

「今日もぎこちなかったな……」

 綺麗なベッドに横たわり、テディベアを抱きながら考える。

「何か、嫌な感じ」

 先生は今、何を考えているのだろう。どんな気持ちでいるのだろう。

 想像はできても確証は持てない。かといって彼に直接たずねても、素直に話してくれないことは分かっている。

「ベルナルトさんは悪い人じゃないのに……」

 当日はオレのことを話すだけだと分かっているのに、何だか三人で会うのが怖くなってきた。

 ぎゅっとテディベアを強く抱いて、薄汚れたその頬に顔を埋める。

「……嫌だな」

 先生が何を考えているか分からなくて。

 先生が何を隠しているのか分からなくて。

 オレが自分のことを何も分かっていなかったように、もしかしたらオレは先生のことをちっとも知らないんじゃないかと思ってしまって――嫌だな。

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