第17話 本来の自分

 帰宅後、ジャケットを脱いだ先生がポケットからお金を出した。

「はい、これ」

 と、食卓の上へ無造作に置かれ、夕食の用意をしようとしていたオレは足を止めてそれを見る。

「え、何ですか?」

「何って売上だよ」

 にこにこと笑いながら先生が言うから、オレはつい声を上げそうになったがこらえた。

「何で本当に商売してるんですか?」

 じとりとした目をしてたずねれば、能天気な彼は言う。

「僕のネームバリューがあれば、ちょっとくらい高くても買っちゃう人がいるんだよ」

「ぼったくってませんか、それ!?」

 結局こらえきれずに大きな声を上げてしまった。

「ちゃんと仕事してくださいよ、先生!」

「もちろんしてるよ。商売は昼休憩の時に――」

「ヘルマンさんに見つかったら、どう言い訳するんですか!?」

 先生は笑顔のまま答えた。

「おすすめしてくれたよ。こいつのセンスいいよな、って」

「ヘルマンさぁん……」

 と、オレは脱力してしまう。

 あの人も妙なところが抜けてるというか何というか……よく言えば純粋なんだろうなとは思うけど、もっとしっかりしてほしい。

「もう、変人ばっかりじゃないですか」

 オレは相手をするのをやめてキッチンへ移動した。

「何の話だい?」

「先生が変人だから、周りにいる人たちも変人だっていう話です」

 と、棚からパンを取り出して薄めに切っていく。

「そうかなぁ?」

 納得がいかない様子の先生だが、椅子を引く音が聞こえた。腰かけながら彼が言う。

「でも、売れると嬉しいよね。まだ一つだけだけど、買ってくれる人はいるんだよ。探せばちゃんと」

「みゃー」

 リーゼルが肯定するように鳴き、オレはため息をついてしまった。切ったパンを皿へ二枚ずつ並べ、リーゼル用にさらに細かくしたパンも器へ盛る。

「そもそもリーゼルまで連れてて大丈夫なんですか? 怒られません?」

「大丈夫だよ。僕の相棒として認められてるもの」

「まだ小さいのに?」

 朝作ったスープを火にかけ、フライパンへ油を少量入れる。

「小さいけど魔猫だからなぁ。ちゃんと大人しくしていられるし、これから先にまた役立つことがあるかもだし」

 そう言われると返す言葉がない。オレ自身、リーゼルに助けられたことがあるからだ。

「……それならいいんですけど」

 フライ返しを取り出し、ソーセージを四つフライパンに並べた。火をつけ、油を広げるようにして焼いていく。

「それにしても、やっと元気になったね」

「え、何の話ですか?」

 ちらりと振り返れば、頬杖をついた先生がこちらを見ながら言う。

「ハインツ、やっと前みたいに大きな声でツッコんでくれるようになった」

「っ……」

 急激に恥ずかしくなり、慌ててフライパンへ視線を戻す。

 あの誘拐事件以来、オレはたしかに元気がなかった。少なからずあの日のことはトラウマになっているし、思い出したくないのにふとした時に思い出してしまって辛かった。それがやっと消えてきて、オレは本来の自分を取り戻し始めたのだ。

「やっぱりハインツはこうでなくっちゃね」

 と、先生がくすりと笑い、無性にくすぐったい気持ちになった。

 心の底ではまだ傷は癒えていないし、きっといつかまた苦しくなる日は来るだろう。でも、守ってくれる彼がいるうちは、不思議と大丈夫だと思えた。


 翌日もジークさんは資料を探すばかりで、研究に進展はなかった。

 オレが持ってきた本もすっかり読み終えて、早くも退屈しのぎが出来なくなってしまった。紙と鉛筆かペンがあれば、絵を描いて過ごせたのだけれど……どうしようかな。

 研究室の床は綺麗に整理され、本や書類はすべて棚へ入っていた。いったいどこから持って来るのか、日に日に本の数が増えている。

 それでも有益な情報は見つからないようだ。ジークさんはずっと紙とにらめっこしていた。

 期間はオレのことが解明されるまで、だっただろうか。思ったよりも長期間になりそうで嫌だなと思っていると、ふいに扉がノックされた。

 顔を上げたジークさんが「どうぞ」と、声を返す。すぐに扉が開いてアロイスさんが入ってきた。

「やあ、ジーク。思い出したから連れてきたよ」

「え?」

 アロイスさんの後ろにいたのは彼より少し背が低い、二十代半ばと思しき焦げ茶色の髪をした男性だ。

「ヴァッタースハウゼンについて、彼が話していたんだ」

 思わず立ち上がったオレだが、ジークさんも同時に腰を上げていた。

「あなたが!?」

 と、驚きをあらわにたずねたジークさんへ、男性は丁寧に名乗った。

「僕は衛生曹長のベルナルト・グライナーと申します。ブリッツェ軍医少将から事情は聞きました。僕の話を聞いていただいてもよろしいでしょうか?」

 ――彼の目はオレをまっすぐに見つめていた。

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